【ミリマスss】北沢志保「プロデューサーさん。私も自分の家庭を作りたいです」1.5/2





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1 : 箱デューサー 2020/11/15 09:22:19 ID:64r/UGhOgU

志保メインss
・キャラ崩壊
・一部オリジナル設定あり
・地文形式
・続き物(各話メインアイドル別)
・Pラブ勢(多分)アイドル達+αによる何の捻りもないラブコメ

前話
http://imasbbs.com/patio.cgi?tr=all&read=12211
(過去ログ入り?)


2 : ボス 2020/11/15 09:23:39 ID:64r/UGhOgU

今までの話
01:歌織の引越しを手伝う話
02:風花にヤキモチされる話
03:このみに人生相談する話
04:麗花と登山ロケする話
05:莉緒をP宅に匿う話
06:歌織とデートする話 1/2
07:歌織とデートする話 2/2
08:早坂そらと同棲する話
09:エレナが半暴走する話(TSV1)
10:恵美とガチでガチる話(TSV2)
11:琴葉が闇落ちする話(TSV3/E) 1/2
12:琴葉が闇落ちする話(TSV3/E) 2/2
13:可憐と恋人関係になる話
14:Pが志保の父親になる話 1/2
15:Pが志保の父親になる話 1.5/2


6 : プロちゃん 2020/11/15 09:32:10 ID:64r/UGhOgU

■お詫び
続きをお待ち頂いていた方へ。
前話よりかなりの間隔が空いたことお詫びします。
副業やら家庭の事情で一旦ssから離れていました。
今回、試験的に全文地文形式で書いていることもあり、いつも以上に時間がかかっています。申し訳ありません。
話のスパンは変わらないも思いますが字数が3~4倍増えていますが、どうかお付き合い頂ければと思います。
まだ現在進行形で書いていますが残り3分の1位になったので残りを書きつつ、投下していきます。
よろしくお願いします。


4 : Pさん 2020/11/15 09:27:46 ID:rqBc/uKTHc

待ってた!


5 : P殿 2020/11/15 09:31:59 ID:Ay270wkcLg

首をもげるくらい長くして待ってた


8 : プロデューサークン 2020/11/15 09:34:19 ID:rqBc/uKTHc

また書いてくれることがありがたい



7 : Pさん 2020/11/15 09:33:56 ID:64r/UGhOgU

 北沢志保の記憶障害も迎えるはずのなかった4日目へと続いていた。765プロダクション所属のプロデューサーである『彼』は一見、無表情だが訝しげな面持ちで台所に立ち、朝食作りを進めていた。その顔に掛かる朝日がやけに眩しく、痛くて目を細める。

 4日前のダンスレッスンの最中、志保は不慮の事故により頭部を強打し、気を失ってしまった。数時間後、病院の寝台で目覚めた彼女は、傍で見守っていた『彼』を『お父さん』として認識し、アイドルとしての自分の記憶を失くしていた。小学生の記憶まで巻き戻ったという障害が志保に起きた事実。

 しかし、その2日後、唐突に彼女は自身の年齢を13歳とまで認識するようになり回復の兆候ではないかと『彼』も期待していた。記憶障害3日目にして記憶が完全に回復するかもしれない。そんな期待を胸に志保を母親と弟の元に送り届けて一夜が明けたのが今日だった。この4日目の朝、予想打にしない事態となり、『彼』自身もいささか混乱気味ではあった。今より数時間前の光景が脳裏をよぎる。


9 : Pちゃん 2020/11/15 09:35:56 ID:64r/UGhOgU

 朝焼けが差し掛かる頃、走り込みより帰ってきた『彼』の元に、志保の母親より緊急の連絡が入った。聞けば、娘が『お父さん』に会いたいと泣き喚いていると言うのだ。『彼』は勢い任せで、北沢家に駆け付ければ、14歳のはずの志保は幼じみた言動で今の自身にとっての『お父さん』である『彼』の傍から離れないと言って聞かなかった。戻るべき記憶はまた忘却されてしまった。

 志保の母親も落胆ぶりを隠せないでいた。娘の記憶障害が改善すると期待されていた故に無理もないことではあった。その期待をさせていた『彼』は自責の念に囚われ、志保の母親に、志保との再度の同居生活を申し出た次第であった。その時の母親の顔を『彼』は直視し難かった。娘をよろしくお願いします。そうは言った母親の顔の様子は苦汁をなめる、と言うのだろう。そんなどこか冷静に事を捉える自分に対して、ほんのわずかの苛立ちを覚えた。

 志保は溌剌な笑顔で『彼』の自宅に向かう車内で、ぱたぱたと足を動かしては常に笑顔だった。『彼』の自宅に着くなり、志保は目元をこすると、少し眠くなったの、と繋いだ『彼』の手を引っ張るように項垂れ、唐突に眠りについてしまった。『彼』は寝室のベッドに彼女を寝かせ、台所に向かい今に至るのであった。



10 : Pーさん 2020/11/15 09:37:20 ID:64r/UGhOgU

 『彼』は小鍋で煮立つ汁物の具合を気にしては今後の志保を考え、グリルでは魚の焼き加減を気にしては仕事のスケジュールの再調整を頭に思い描く。フライパンで焼く、出し巻き卵の厚みを気にしては志保と、最上静香の衝突の再発が頭の片隅で予想された。

 このままではまずい。そうは考えても状況を打破する策は一向に浮かんでくることはない。過去、医療に従事していた現アイドル、豊川風花の知識を頼りたくても彼女も専門ではないので、多くの期待を寄せるのも酷な話かもしれない。医者は経過観察を促していたが、正直、そこまでの余裕があるとは『彼』は思っていなかった。

 静香は、記憶を失った志保に拒絶に近い態度を取られて精神的ショックを受けている。正直、これが長続きするのは『彼』の中では悪いシナリオとして描かれていた。

「志保……」

 支度を終えた洗い物途中で、スポンジを握る手に力が入る。誰に言うでもなく呟く『彼』に電気炊飯器のシステムブザーが空しく響いた。


11 : P君 2020/11/15 09:40:08 ID:64r/UGhOgU

・・・・・・・・・・・・

 どこか暗い場所にいるみたい。どこかな。頭がぼんやりして、体が浮いているような気がする。どうしてか心地良い。

 淀んだ暗紫色が続く虚空を漂う彼女は『北沢志保』だった。異様に瞼が重く、上手に体を動かせない。踏み締める地すらなく、どこまでも広がる空間を漂流している。ただ、分かるのは周りが真っ暗だということだけ。

(私は、どうしてたんだろう……。何かやっていたはずなのに……。なんだろう……。早く……起き上がらなきゃ……)

 微睡む気だるさに抗いつつ、宛もなく手を伸ばすと、どこからか現れ、重ねられた小さな手によって控え目に押し戻された。

《もう目が覚めちゃったんだね。でも、いいんだよ。志保ちゃんは休んでいていいんだよ》

(誰……? あなたは……私……?)


12 : 高木の所の飼い犬君 2020/11/15 09:41:25 ID:64r/UGhOgU

 志保に語り掛け、目の前に現れたのは、自分によく似た小さな少女。少女はゆったりと微笑んでいる。

《ワタシは小学生の志保ちゃん》

(小学生の……私……?) 

《志保ちゃん。眠ってて。お父さんが一緒にいてくれるよ》

(……お父……さん? 私の……お父さん?)

《うん。志保ちゃんにはお父さんが、すぐそばにいてくれるよ》

 ふと『彼』の姿が空間の背景中に投影のように映し出されては広がっていく。見覚えがあるようでないようでハッキリしない。でも、得もしれない安堵感はあった。

(この人が……お父さん……)

 不思議と抵抗や疑問はなかった。


13 : EL変態 2020/11/15 09:43:59 ID:64r/UGhOgU

《そうだよ。他の事は考えないで。志保ちゃん、ゆっくり眠ってて》

 少女の言葉が甘く、優しい耳障りで全身の力を奪っていく。少女の笑顔を見ていると眠気がみるみる膨らむ。何かいけないと直感し、志保の瞼が瞑られるか否かで震えている。

(そうなんだ……。なんだか……眠い……。でも……私……やらなきゃ……いけないことが……あるのに……)

《いいんだよ。志保ちゃんが眠ったままなら、お父さんはずっと一緒にいてくれるから》

 お父さんが一緒にいてくれる。少女の言葉が、志保の最後の抵抗力を奪った。

(……そっか……良かっ……。……ん……ねむ……い……)


14 : 彦デューサー 2020/11/15 09:47:50 ID:64r/UGhOgU

 ぴくぴくと振れていた指先は折れてしまい、踏ん張っていた瞼は敢え無く閉じられた。すると、志保は虚空の漂流に乗っていく。少女は笑顔で見送り、志保から遠ざかるように漂い始めた。

《おやすみ、志保ちゃん。お父さんが呼んでいるから、行ってくるね》

 眠る志保は下流の闇底を漂い、にこやかな少女は上流の輝く小さな光に触れて消えてしまった。


15 : ごしゅPさま 2020/11/15 09:54:03 ID:64r/UGhOgU

・・・・・・・・・・・・

「志保、志保?」
「うぅーん……お父さん? 志保、寝ちゃってた……ふあぁぁぁ……」

 出社時間に迫られ止む無く『彼』は恐る恐る、寝室のベッドで眠る志保を揺さぶる。『彼』の呼びかけに眠りまなこを擦り、大きく伸びをすると寝ぼけながらに笑顔を返す志保。『彼』のエプロン姿と、そこに染み付いた仄かに香る卵の匂いが朝腹を刺激される。食欲を掻き立てられると勢いよくベッドから飛び出した。

「お父さん、朝ご飯、なに?」
「ああ、卵焼きと焼き魚とみそ汁だよ。手を洗ってうがいをしておいで」
「はーい」

 バタバタと寝室からリビングへと駆け出す少女を横目に、微笑ましいが素直に喜べず、『彼』もまた苦汁を舐める気分を味わった。その時、食べた朝食を志保は一層の笑顔で美味しいと褒めてくれたが『彼』には味のほとんどを感じずに掻っ込むのがやっとだった。


16 : そなた 2020/11/15 09:54:56 ID:64r/UGhOgU

・・・・・・・・・・・・

「志保ちゃんの記憶が、また昔に戻ったんですか?」

 何とも訝しげに、不可解気味に眉を潜めるのは、くせ毛が僅かに揺れる豊川風花。

 その日の昼下がり。そばを離れない志保を連れて765プロライブシアターに出勤してきた『彼』は会議室までやってきていた。事務室で『彼』の見送りを渋っていた志保だったが、たまたま居合わせた七尾百合子を一目見て気に入り、絵本の読み聞かせをねだっては、それで手を打った様子だった。

 かくして、会議室では豊川風花、最上静香、舞浜歩の三者が揃い、静けさを打ち消すように『彼』は説明を始めた。志保の記憶障害の初日、オフレコでの話を持ちかけたメンバーだった。

「恐らくはな。今朝、志保は自宅の玄関で倒れていたらしいんだが、起こしたら、お父さんに会いたいって泣きだしたとの事なんだ」

 一同が口を噤む。三人とも昨日の時点で『彼』より志保の記憶回復の経過を聞いていた為に、志保の母親同様、落胆を隠せないでいた。『彼』が用意したアイスティーのグラスも誰も手を付けられずにいた。


17 : Pーさん 2020/11/15 09:56:28 ID:64r/UGhOgU

「それで自分の事をまた小学生だ……って言ったの?」

 目立たない卓下で我慢できずにいた歩は、足を組み直した。そんなもたついた足組は机の足を蹴り、グラスの氷を崩れさせる。彼女は眉をしかめて既に困り果てていた。志保が記憶を失う直前まで行っていたダンスレッスンを師事していた事もあり、歩は自分なりに責任を感じていた。あの時、もっと早くに止めておけばとやり場のない悔しさが、彼女の脳裏から離れなかった。

「ああ。けど、確かに昨日、自宅に送り届けて、志保が寝るまでは自分を13歳だって……中学生だって言っていたのに」

 『彼』の経過報告で皆が落胆する中、一人、膝の上の拳をわなわなと震えさせている少女が一人。静香は『彼』を真っ向から見据える。食ってかからんとする睨みつけで席を立ち上がる静香の姿に、何事かと風花と歩の視線が集まる。

「一体、どうなっているんですか……。志保の記憶、本当に戻るんですよね……?」


18 : プロデューサークン 2020/11/15 09:57:42 ID:64r/UGhOgU

 冷静の皮を被った言葉の奥には、異様な剣幕が見え隠れしていた。そんな静香の顔からほんの僅かに顔を逸らした『彼』の仕草は彼女の火に油を注いでしまった。冷静の皮は程なく剥がれ、静香は知らずの内に卓上を叩いて、自身のグラスの中に波紋を呼んでいた。

「プロデューサー! 答えて下さい!」

 発声の振動でより波紋がひどくなったのではないか。そんな錯覚を覚える怒声を上げても、卓に押し付ける静香の手のひらの震えは収まらなった。

「し、静香ちゃん」
「お、おいおい、静香。落ち着きなよ。気持ちは分かるけどさ」

 向かい席の風花は苦味ある笑顔と共に手ぶりで、隣席の歩は立ち上がり、視線を動かさない静香の肩に手をおいては宥める。


19 : 箱デューサー 2020/11/15 10:17:29 ID:px4eiYkQE6

 そんな二人に助けられ、『彼』は静香の顔に向き直ることができた。悟られないように軽く息を吐いて、呼吸を整える。

「いや、いいんだ、風花、歩。静香の言い分は尤もだ。軽はずみなことを言ったのは俺だ」

 そうやって素直に自責されると、自分の問い詰めが稚拙であることを思い知らされ、こちらも黙らざるを得なかった。静香は眉をしかめれば、口を無理矢理に噤んだ。そうすると自身の熱が冷め、また自分の肩に歩の手の感触があることに気づけた。そのまま、静香は伏し目がちに歩と共に着席する。

「プロデューサー……。ねえ、アタシにも何か出来ることないかな?」
「今の志保と触れ合ってほしい。もしかしたら、記憶を取り戻すきっかけを作れるかもしれない。ただ、アイドルに関連することは伏せてくれ」

 風花、歩が『彼』に視線で問いかける。静香が僅かに首を傾けると、その表情に影が入るのを『彼』は何となく感じた。


20 : Pちゃん 2020/11/15 10:19:20 ID:px4eiYkQE6

「理由はまだ分からないが今の志保はアイドルのことを聞くと、癇癪を起してしまうみたいだ。できる限り、志保に刺激を与えたくない」
「オーケー、分かったよ。あ、やばい。これからって仕事だよね!?」
「ああ、後30分で出ないとまずいな。歩、仕事の支度をしてくれ。百合子も後で連れて行くよ」

 歩は二つ返事でアイスティーの存在も忘れて、軽快なハンドサインで会議室を後にした。まだ顔を上げない静香を横目に『彼』は、少々やり場に困っている風花に目を向ける。

「風花。これからも相談で呼び出すかもしれないけど頼むよ」
「分かりました。私で良ければ……あ、私、昔の同僚の子に聞いてみます。心療に詳しい人に話を聞けるかもしれません」
「おお、それは頼もしいな。是非、頼むよ」

 早速、心当たりをあたってみます、と意気込みを二人に伝えると風花も足早に会議から去っていった。アイスティーは、やはり手つかずだった。


22 : プロちゃん 2020/11/16 01:09:16 ID:JSUEEt2Lj6

 残る静香は椅子から動けずにいた。その表情からいまだに落胆は見えても平静の色はない。眉間の皺を寄せては唇を絞る彼女。

 少しの間を開けて腕組をしていた『彼』は静香の向かいに席を移した。まだ伏し目がちの静香を伺うようにして、卓上を軽くノックする。

「静香、大丈夫か?」
「え、何ですか?」

 現実に引っ張り戻され、多少の苛立ちと共に顔をしかめる静香。

「お前自身のことだよ。志保と……あんな衝突が続いて精神的に辛いんじゃないか?」


23 : Pちゃま 2020/11/16 01:10:52 ID:JSUEEt2Lj6

 北沢志保と最上静香。アイドル活動において二人が衝突する場面は『彼』も、しばしば見かけていた。時に他愛もない日常的な口喧嘩を微笑ましく眺めてもいた。時に765プロライブシアターの定期公演の演出案で檄を飛ばす口論を冷や冷やとしながらも見守っていた。その二人のやり取りは、ある種の親睦と解釈していたので『彼』も介入を考えてもいなかった。何も言わずとも好きなだけやればいいと。

 しかし、今は状況が違う。普段、志保と様々な衝突があっても売り言葉に買い言葉であったはずの静香が、志保の拒絶に耐えきれずに涙した、と昨晩の春日未来からの連絡に加え、志保の記憶がまだ戻っていないこの状況。『彼』には看過できない事態だった。

「それは……ないと言えば嘘になりますけど……」

 何の後ろめたさもないはずなのに今度は静香が『彼』から視線を外す。『彼』は密かな嘆息と共に、静香を正面に捉え続ける。『彼』にとってはここからが本題だった。まだ年若い彼女を、ひっ迫した空間に呼んだのは何も志保と関わりが大きいからというだけではない。


24 : P君 2020/11/16 01:11:51 ID:JSUEEt2Lj6

「一昨日は、ああは言ったけど、一度、志保と触れ合うのはやめたら、どうだろうか」
「え?」
「昨日のこともある。一旦、志保と距離を取って……」
「待って下さい! それって、私は指をくわえて見ていろって事ですか!?」

 『彼』からの提案に水を打たれる静香。その隙を突いたようにまくしたてようとする『彼』の言葉が、またしても彼女を灼熱と化した。静香は、また迫るように立ち上がって前のめりとなる。ただ、先程と違って静香の瞳に怒りではなく、焦りの色が『彼』には見えていた。まあまあと制しても静香はびくともしない。


25 : そなた 2020/11/16 01:13:21 ID:JSUEEt2Lj6

「そんなつもりはないんだ。このままじゃ、いたずらに静香が傷つくかもしれないんだよ」
「私が辛いのは関係ありません! 今は志保の記憶を取り戻すことが大事じゃないですか!」
「静香、落ち着け。何も、お前一人が頑張らなきゃいけない訳じゃないんだ。風花や歩だって志保の記憶を取り戻そうとしてくれている。他の子達だって出来ることをやってくれている。勿論、俺だって」

 自らの灼熱を鎮めようとする『彼』の言葉に昨日、友人からの言葉が重なる。同じアイドル仲間の春日未来。志保との衝突のショックに耐えきれず涙してしまった所を慰められた。その時の彼女の言葉が、今の静香の抑制となった。前のめりとなった背筋は穏やかに正され、また静かに着席した。ただ、その視線は『彼』に向けられなかった。


26 : ボス 2020/11/16 01:16:11 ID:JSUEEt2Lj6

「分かっています……。未来にも言われました……一人で抱え込むなって……」
「だったら、みんなに任せて……」
「でも……! 私は私で出来ることをやりたいんです……! きっと、何かあるはずです……! 私、諦めません……!」

 何か言い返さないと『彼』の言う通りにさせられる。掠れる声を絞り出した彼女は目の前のグラスの水面に映った自身の目を見た。眉をしかめて何とも余裕のなさそうだ。静香は伏し目がちのまま顔をグラスから背ける。子供じみた自分を否定するように。だって、目の前の『彼』は眉一つ動かさずに自分をじっと見ている。なのに、自分はその『彼』も見れずにこの有様だ。

「静香。この事態に、お前が真剣に向き合ってくれているのはよく分かっているつもりだ」
「勿論ですっ」


27 : プロデューサーちゃん 2020/11/16 01:17:54 ID:JSUEEt2Lj6

 静香が『彼』に視線を向けた。ほんの少し絞られた唇は、意志の固さを示していた。『彼』は机の上で両手を組むとやや前傾とする。言うつもりはなかった。と言葉の代わりに、わずかな沈黙を挟んで視線をやや細める。

「だからこそ、はっきり言うが、今の志保はアイドルの事以外にも静香、お前自身のことでも癇癪を起こすように感じるんだ」
「っ!」

 言い返さないと、という思いも虚しく開くべき静香の唇は静かに踊ることしかできない。既に二度も経験しているのだから分かっていた。自分が近づこうとすると志保は強い否定の意思を持って拒絶する。今の自分はハリネズミの如く、志保に近づけば自身だけでなく、志保も傷つけてしまうから近づくな。『彼』はこう言いたいのだ、と静香は自分なりに解釈していた。静香の視線がまた『彼』から落ちてしまう。


28 : EL変態 2020/11/16 19:51:07 ID:mYEICyX6sY

「志保は癇癪を起こすし、静香も心が辛いんじゃ、お互いにとって良くないと思うんだ」

 押し黙るばかりの静香は顔まで背ける。そして、沈黙という彼女なりの精一杯の抵抗。不意にグラスの氷がまた崩れては、ほんの僅かな清涼な音が会議室に木霊する。
 沈黙続く中、痺れを切らした『彼』が彼女の名を呼ぼうとすると、静香は遮るように言葉を重ねる。

「先程も言いました。私、諦めません。何か……何か出来ることがあるはずです」

 『彼』は組んだ両手を解き、背もたれに身を落ち着かせる。

「志保の記憶が戻るまでは、お前と志保は、ずっとこの調子が続くかもしれない」

 それがどうした、と言わんばかりに静香が『彼』を睨む。自分なりに覚悟はしている。大人のあなたからすれば子供じみて安っぽくても。


29 : おやぶん 2020/11/16 19:53:42 ID:mYEICyX6sY

 彼女の意思を汲むことは山々。年頃で繊細な心の少女を巻き込むには荷が重すぎるというのが『彼』の本音だった。友の為の悲涙を、そう何度と落としてはいけない。

「このまま、お前が辛い思いをし続けても、志保は喜ばないと思うぞ」
「……そんな事……記憶が戻ったら本人に聞きます」
「静香……」

 静香は押し黙る口を無理矢理、こじ開けては眉間の皺をそのままに、言葉を放るだけ放ると、また顔を背けてしまった。しばしの沈黙。

 静香への説得は失敗した。沈黙の意を理解すると、『彼』の背後の出口を見やり、彼女は静かに立ち上がる。卓上に震動がまた伝わり、グラスの表面に結露した雫たちがコースタに円形の暗みを形成する。いつしか、グラスの氷はなくなっていた。

「話は終わりですか? 私、もう行きますよ。この後はリハーサルですので」


30 : Pーさん 2020/11/16 19:55:19 ID:mYEICyX6sY

「ああ、しっかりな」
「失礼します」

 一礼の後、静香は『彼』を尻目に歩みだし、『彼』を横切っては、会議室を去った。

 そんな静香を横目で見送った『彼』は、一人残された会議室の中で、手も付けられず残されたグラスをただただ見つめるばかりだった。何故だか、紅茶の淀みが、ひどく暗く感じられた。


32 : お兄ちゃん 2020/11/16 20:36:43 ID:mYEICyX6sY

・・・・・・・・・・・・

「百合子お姉ちゃん! 次はこの絵本、読んで!」
「うん。いいよ、志保」
「その次はこれとー。あ、これも! それも!」
「ま、待って、志保。順番に読んであげるから」

 『彼』が事務室に戻ると、ソファに座る百合子の隣にひっしとくっついては離れない志保が、区立図書館で借りた絵本を押し付けていた。次々と渡される絵本の束にたじろぐ百合子だったが、『彼』の姿を目にすると顔の綻びとともに、会釈で迎えた。志保は持っていた残りの絵本を、百合子が抱える絵本に強引に積み上げると一目散に『彼』の元に走っては腕の中に飛び込んだ。

「お父さん! おかえりなさい!」
「ああ、志保。ただいま」

 胸板に顔を擦り付ける志保の頭を『彼』はつられるように撫でた。そうして、一層強く抱きつく彼女は照れ照れと頬を染めては、にこやかだった。その後ろで、きゃっ、と短かく可愛らしい悲鳴が発せられた。


33 : 3流プロデューサー 2020/11/16 20:38:14 ID:mYEICyX6sY

 積み上げられた絵本の重さに不意をつかれた百合子は、前のめりに倒れ込んで絵本を散らかした。床の絵本を拾い上げては、あははと笑い声を乾かせると、志保とは違う色の赤みが頬に浮き出ていた。

「プロ……じゃなくて、──さん。お、お疲れ様です」
「百合子、お疲れ様。ありがとうな、志保に絵本を読んでくれて」

 肩書きを言いかけて普段、呼ぶことのない『彼』の名を口にした百合子はまた頬を赤らめる。アイドルに通ずることで志保が癇癪を起こすことを危惧した『彼』は極力、関連する言葉を志保の前で口にしないよう他のアイドル達にも念を押していた。

「いいえ。私も楽しいですし、志保も喜んでくれますから」
「お父さん! 百合子お姉ちゃん、絵本読むのすごく上手なんだよ!


34 : do変態 2020/11/16 20:40:45 ID:mYEICyX6sY

 ソファ付けのローテーブルに集めた絵本を置いた所を見計らって、志保は百合子の腕の中に飛び込んできた。百合子は普段、そんなスキンシップを好んでしない彼女の幼童な姿に、変にどぎまぎしてしまう。純真のお手本とでも言えるような朗らかな志保の笑顔。そんな、はしゃぐ志保の髪を撫でに来る『彼』が、自分の傍に迫るものだからまた余計な動悸が巡りまわってしまう。

「そうかそうか。百合子お姉ちゃんに、ちゃんとお礼言ったか?」
「これから言う所だよー。百合子お姉ちゃん、ありがとう!」
「う、ううん。私で良ければ。……あの、こんな事でいいんですか、──さん」
「ああ、充分だよ。さあ、志保。お父さんは百合子お姉ちゃんと仕事に行かなきゃいけないから、ここで待っていなさい」

 丁度、出先より帰社した音無小鳥に志保を預けようとしたが、せめて、百合子だけでも置いていけ、と駄々をこねる志保。小鳥がお土産に買ってきた菓子をちらつかせると今度はそっちに夢中になったので、その隙に『彼』は百合子を連れ出し、歩と共に仕事現場へ足早と向かった。


35 : 番長さん 2020/11/16 20:42:20 ID:mYEICyX6sY

・・・・・・・・・・・・

「小学生になったり、中学生になったりする志保ですか……」
「記憶障害ってそんなコロコロ記憶が変わるものなんだねー。あたしもどうなってんのって思ったよ」

 帰り際の車内で、事のあらましを説明すると後部座席で百合子に合わせて、隣の歩も揃って首を捻る。歩は腕組みをして頭を抱え込んでも五秒ともたずに、お手上げだった。

 一方、百合子は顎元に手をやり、じっと窓先を見やる。過ぎ行くビルの垣間から覗く夕日を見る目が細まる。歩に、何してんの、と後頭部に問いかけられ、百合子も車内に視線を戻した。

「何だか、あれに似てますね。えーっと……」
「あれってなんだ、百合子?」
「えーっと本の話なんです……ここまで出かかっているんですけど……」

 信号待ちでルームミラー越しに『彼』が見た百合子は、自身の喉元を抑えて、ぎゅっと瞼を閉じては陰鬱そうだった。粘ってみせても結局、百合子の喉元でつかえているものは出てくることはなかった。


36 : Pちゃん 2020/11/17 13:20:46 ID:a8dL9oM3mM

・・・・・・・・・・・・

「シズ。ちょっといいか?」

 夕刻。
 765プロライブシアターの劇場ホールでは甲高く、お疲れ様の掛け声が、照らされた舞台上から広範していた。その舞台で箱崎星梨花、伴田ロコ、天空橋朋花、ジュリアに加え、志保の代役として飛び入り参加した静香が円陣を組んでいた。そこでの最後の挨拶を終え、一目散に出ていこうとした静香の肩をジュリアが掴んでいた。

「なんですか、ジュリアさん?」

 振り返る静香に、ジュリアは立てた親指を背後に控えるメンバー達に向けた。

「この後、みんなでお茶しないかって思ってたんだけどシズも来ないか? セリカの門限があるから軽くなんだけどさ」

 時間は取らせないから、と付け加えるジュリアだが、思わず視線を泳がした静香は一歩下がれば、大仰に頭を下げた。


37 : プロデューサー 2020/11/17 13:23:12 ID:a8dL9oM3mM

「ご、ごめんなさいっ。折角なんですけど、今日休んだレッスンの内容を復習しておきたいんですっ」
「ああ……そうか……。悪いな、引き止めて」
「そんな事ありませんっ。でも、本当にごめんなさいっ。失礼します」

 もう一度、最敬礼で頭を下げる静香は早々にホールから立ち去ってしまった。ジュリアは肩を竦めれば、ふられたよ、と残るメンバー達に自らへの嘲笑と共に振り返る。

「シホの代役で結構、スケジュール詰めてるって聞いたけど、大丈夫かな、あいつ」

 ジュリアは静香が消えていった出口に目を細めた。


38 : プロヴァンスの風 2020/11/17 13:24:39 ID:a8dL9oM3mM

「公演が終わるまではプロデューサーさんにお任せした方がよろしいかと思います~。ジュリアさんの心配はご尤もですが~」

 トレーニングウェア姿で、どこからか取り出した扇で口元を隠すは天空橋朋花。

「セリカっ。ネガティブシンキングはバッドですっ。ロコたちはロコたちのミッションをコンプリートさせましょうっ」

 その横では、俯いては目元が暗い星梨花の肩をロコが、軽快に抱き寄せた。

「は、はいっ。静香さん、あんまり無理なさらないといいのですけど」

 ジュリアと同じく、ホールのスタッフ出入口を見据える星梨花はジュリアと目が合い、弱気に笑う。

「あたしらも着替えて出ようか。明日は歩も加わって全体リハだし、シズも来ないんじゃな」

 自分たちしかいないホールの照明を消し、ジュリアと歩を先頭に残る少女たちも静まった大空間を後にした。


39 : 高木の所の飼い犬君 2020/11/17 13:27:17 ID:a8dL9oM3mM

・・・・・・・・・・・・

 時を同じくしてレッスンルームでは、日々の合間を縫ってダンスレッスンに勤しんでいた少女たちが音響機材を収納棚に戻し、疲れたねーと声を掛け合っていた。

 最後のモップ掛けの最中。春日未来、伊吹翼がお喋りに興じている所を、公演の練習上がりで入ってきた静香に、二人を見習いなさい、とさっさと取り組むエミリー・スチュアートと木下ひなたを指さしては咎められた。

 静香の睨みの下、モップ掛けを終われば、更衣室で汗で張り付いたトレーニングウェアを脱衣籠に放り、隣接のシャワー室でエミリーと未来、翼が、きゃっきゃっとシャワーを掛け合いながら、はしゃいでいた。


40 : ダーリン 2020/11/17 13:28:20 ID:a8dL9oM3mM

 腰高の仕切り越しに、ひなたがその光景に、くすくすと笑えば、反対隣で黙々とシャワーに打たれ、湯気に覆われる静香を不思議そうに見ていた。凛としていて、だが表情の変わらないその目を。

「静香さん。そんな顔して、なしたんだい~?」
「え、な、なに、ひなた?」

 戻って来た更衣室でブローを済ませ、それぞれの制服に着替えていれば、隣のひなたの呼び掛けは静香にはとっては突拍子もなかった。

「ちょっこしねぇ、静香さんが考え込んでるような気がしたんだぁ。悩み事かい?」
「え、そんな風だった、私?」

 着替えの手を止める静香を、セーラー服の襟口から顔を出したひなたが、またくすくすと笑う。


41 : EL変態 2020/11/17 13:30:36 ID:a8dL9oM3mM

「シャワー浴びてる時なんか、お地蔵さんみたいに顔が固まってたよぉ。こったら顔してねぇ」
「べ、別にそんな大した事じゃないの」

 ひなたに仏頂面の顔真似をされ、静香は顔を赤らめて着替え途中のブラウスに慌てて袖を通した。ひなたの背中から、バタンとロッカーを閉じた未来、翼、エミリーがひょこっと顔を出した。三人の視線は静香に集まっている。

「静香ちゃん。どうしたの、どうしたの?」

 くりくりと大きな瞳を転がし、ひなたと並ぶ未来。

「そんなに怖い顔して、悩み事~?」

 跳ねっ毛が揺れては、頬に指を添えて小首を傾ける翼。

「静香さん。宜しければ、お悩み、お聞きしますっ」

 やや緊張気味に両手を握り合わせて、ふんすと意気込むエミリー。


42 : プロデューサー様 2020/11/17 13:32:50 ID:a8dL9oM3mM

「な、なに、みんなして。そんなに私、悩んでる?」

 四者四様に詰め寄られ静香は、たじろぎながら視線を泳がす。

「志保ちゃんの事なんでしょー? 静香ちゃん、すごーく頑張ってるもんね♪」

 いつの間に回り込まれたのか。後ろから静香の両肩に手を置く翼は、彼女の神妙さを白けさせる笑顔で、その萎んだ頬をつついた。静香はされるがままで、目線を合わせない。

「あ、当たり前じゃない。同じアイドルの一大事なんだから」
「もう静香ちゃんってば、頑張りすぎ~。志保ちゃんには、プロデューサーさんが一緒にいるんだし、お任せしちゃえばいいじゃない~」

 一瞬、静香の眉間に皺が寄る。頬をつつく指を避け、静香は正面に翼を捉えた。翼は、笑顔のままだった。


43 : 下僕 2020/11/17 13:37:19 ID:XIaAT58Joo

「あのね、翼。私は、大事なことを簡単に人任せになんてしたくないの。自分でも出来ることをやっていきたいの」
「でも~。静香ちゃんって、今の志保ちゃんから拒否られてるんでしょ~?」
「う……。そ、それとこれとは関係ないわよっ」

 語調強まる静香に一歩迫られても翼は、けろりとした笑顔から、まるで素っ惚けたように小首を傾げて、パチクリと長いまつ毛を揺らすだけだった。

 未来もひなたも、ありゃーと傍観する中、エミリーは一人、静香の凄みに当てられ、わたわたと慌てていた。


44 : そなた 2020/11/17 13:38:23 ID:XIaAT58Joo

 言葉の詰まりを無理矢理、吐き捨てるように静香は視線を横に逸らせば、投げやりに口が動いていた。

「大体、何もやってない翼に、どうこう言われたくないわよ」

 言い過ぎた。ハッとして背けた視線を、恐る恐る翼に戻せば、彼女はまた笑顔になっていた。

「そうだね~。わたしに出来そうな事って、あんまりなさそうだしね~。だ~か~ら~♪ プロデューサーさんにお任せっ♪」

 どうして、そう間延びしていられるのか。静香の理性がまた一本切れそうになっていた。いや、切れた。

「だからっ! そんな簡単に人任せにしないって、私はっ」
「簡単じゃないよ」


45 : ハニー 2020/11/17 13:39:23 ID:XIaAT58Joo

 一瞬、揚々としていた翼の語調が静まる。その一言に波打たれ、呑まれたように静香が拍子抜けされた。でも、また笑顔に戻った翼を前にして現実に戻された。翼は、ぴょんと半歩程、後ろに飛べば。

「わたしにとっても、志保ちゃんは大事な、おともだち♪ でも、わたしが出来ることなんて、そんなにないから~。一番頼りになる人にお願いしたの♪」
「つ、つまり、それが仕掛け人さまなのですか?」
「うんっ♪ エミリー、あったりー♪」

 静香の背中で、うずうずと我慢できずにいたエミリーに、翼は軽やかなステップで近づいては彼女に抱きつき、にこやかな顔を隣り合わせとした。

「き、きゃっ、つ、翼さんっ」


46 : 3流プロデューサー 2020/11/17 20:10:06 ID:XIaAT58Joo

 ひなたを巻き込んで、きゃっきゃっとじゃれ合う三人を他所に、静香は眉間のしわ寄せは変わらず、視界が床のタイル一色になり、動かなくなった。

 俯き、微かに肩を揺らす静香を未来は、そっと見つめていた。気軽に肩を叩きに行こうとした手を引っ込めて。そんな気配に気づいた静香は切り替えたように顔色を平常とし、未来に詰め寄った。

「ねえ、未来。今日のレッスンも動画、録ってくれた?」

 静香がロッカーから携帯端末を取り出せば、催促されたように未来もポケットから自身の端末を取り出しては、おずおずと静香に差し出した。


47 : ぷろでゅーさー 2020/11/17 20:11:05 ID:XIaAT58Joo

「う、うん。全部録ったよ。……やっぱり、お家で見るの?」
「勿論っ! ありがとう、未来っ。本当に助かるわ」

 未来と自分の携帯端末同士の直接通信で動画ファイルを受け取った静香は意気揚々としていた。未来は、元気なはずの静香の目元の薄暗みが気になって仕方なかった。


48 : Pサン 2020/11/17 20:12:46 ID:XIaAT58Joo

・・・・・・・・・・・・

「志保……これ……。これでね……お家が出来るの……」
「わーっ、すごーい。ねえねえ、杏奈お姉ちゃん。動物さんは? 動物さんはっ!?」

 出先より『彼』の帰りを待つ志保は、事務室のソファで望月杏奈に引っ付いてゲーム端末機の画面に食い入っていた。杏奈は、か細い声ながらも甘えてくる志保に、柔らかな笑みを向けつつ画面を指さした。

「ほら……ここ……。いっぱい……いるよ……」
「可愛いー可愛いー♪」


49 : 監督 2020/11/17 20:14:45 ID:XIaAT58Joo

 画面でディフォルメされた小さな動物達が、わらわらと歩いている様は志保にとって愛らしく、湧き出る高揚に脚をバタバタと上下させた。その内に、備え付けのローテーブルに脚をぶつけて痛がっていると机上の宿題に、かじりつく矢吹可奈がすぐに駆け寄って患部を摩ってくれた。

「大丈夫、志保ちゃん?」
「うん。可奈お姉ちゃん、ありがとうっ」

 周囲のみんなが、とても良く、優しくしてくれる。遊んでとお願いすれば、杏奈のように誰もが笑顔で相手をしてくれる。嫌な事があって泣いても、可奈のように誰もがすぐに駆け寄って慰めてくれる。

 小学生を自称する今の志保は、満たされていた。後は。

「お父さん、まだかな~」

 ふと天井を見上げた志保は、恋しいばかりに『彼』の存在を想う。プロデューサーではなく、父親として。


50 : Pサン 2020/11/17 20:15:57 ID:XIaAT58Joo


 杏奈と可奈は困ったように顔を見合わせる。

「し、志保ちゃんはお父さん、大好きなの?」
「うんっ。志保はお父さんとずっと一緒にいたいのっ」

 可奈の話題作りは、志保の満面の笑みで閉じられた。誰が告げられるのか。あなたの父親は『彼』ではない、と。杏奈はゲーム端末機をテーブルに置くと志保を抱きしめ、その頭をそっと撫でた。志保は、パチクリと目を丸くして杏奈を見上げた。

「杏奈お姉ちゃん?」
「志保……。よしよし……」

 否定できない杏奈に出来るのはこれくらい。そう思いつつ、自分よりも体格の大きい志保を小動物を扱うかのように、緩やかに抱き続けた。


51 : ハニー 2020/11/17 20:21:41 ID:XIaAT58Joo

 手持ち無沙汰になりかけの可奈は思いついたように通学鞄の中身を探りに行けば、可愛らしく包装された飴玉を志保に差し出してきた。

「し、志保ちゃんっ。アメ食べない? 美味しいよっ」
「食べるっ。む、可奈お姉ちゃん、食べさせてっ。あ~ん」

 杏奈の両腕の中で、無理に動こうとせずに志保は大口を開けた。見づらい喉仏を晒すのかという程に。いつも小口で話す志保のイメージからすれば、素っ頓狂とも見えるその姿に可奈は唖然としてしまう。

「かにゃおひぇ~ひゃん?」
「はひゃっ! ご、ごめんねっ! はい、あーん」

 志保の大口からの呼び掛けに、今度はトンカチで殴られたようにハッとして飴玉を志保の口へ、そっと入れた。激しいギャップと、くすぐられる愛らしさに吹き出しそうなのを堪えて。

「んー♪ おいひー♪」


52 : プロデューサーさま 2020/11/17 20:23:33 ID:XIaAT58Joo

 コロコロと頬の中を転がれば、そこから広がる甘味に志保は、また足をバタバタと忙しなく動かす。足の動きが止まったかと思えば、コロコロはバリボリとした破砕音に変わった。

「可奈お姉ちゃんっ! もう一個、ちょーだいっ! あーん」
「え、ええっ? 噛んじゃったの?」
「だって、美味しいんだもんっ。早く早くっ。あーん」

 一分足らずで飴玉を消した志保の大口姿に可奈は苦笑いだった。志保から漂う飴の香りに鼻腔くすぐられた杏奈は、小口を可奈に開いてみせる。

「可奈……杏奈も……一つ……欲しいな……あーん」
「杏奈ちゃんまで。もうしょうがないな~」

 抱き合う二人に強請られ、呆れたものの、鞄を探る可奈は満更でもなかった。ついついお気に入りの飴玉を二人の口にポンと放った。


53 : プロデューサー殿 2020/11/18 06:42:35 ID:STp6PJDU8.


かわいい


55 : 3流プロデューサー 2020/11/19 12:42:11 ID:6l26qnpqh6

「おいしい?」

 膝を追ってソファの目線を合わせれば、二人は揃って頬を膨らませて頷くものだから、しょうがないなぁとまた可奈の笑顔が綻びてしまった。

 三人であいあいと賑わっていたら、廊下からの駆ける足音には気づけなかった。

「お疲れ様でーすっ!」
「ひぅっ」

 ノックもなしに扉を開け放っては快活な声が、事務室に木霊した。何事かと志保が、びくりと怯えては杏奈の袖を引っ張った。杏奈は、よしよしと志保の頭を撫でると声の主に、大人し目の睨みを効かせた。

「未来……声……大きい……。志保が……怖がって……る……」
「ご、ごめーん。志保、ほら、私。未来だよ」

 手を振り、志保の興味を引きつつ、そっと近寄る。しゃがみ込んで見上げれば、志保がちらりと目線を向けた。その隙を逃さず、未来はニカッと笑う。


56 : 5流プロデューサー 2020/11/19 12:43:32 ID:6l26qnpqh6

 おもむろにだが、遅れてエミリーとひなたも入ってきた。

「未来……お姉ちゃん?」
「そうそう! 志保、何やってたのー?」
「杏奈お姉ちゃんとー可奈お姉ちゃんとー……遊んでた!」
「いいなー。って、杏奈、志保にくっつきすぎー。次は私が面倒みるよー」

 立ち上がるや未来は、まだ志保を抱き留める杏奈の腕を強引に引っ張った。が、それはびくともせずに杏奈は涼し気な顔色が続いていた。

「ん……間に合ってる……。今日は……杏奈と可奈が……『お迎え』に行ったから……杏奈が志保の遊び相手……するの……」

 未来に一瞥するや杏奈はぷいと顔を逸らせば、ぽかんと瞬きする志保に、にこりと微笑みかける。半ば無視された未来は膨れ面になってしまう。

「そんな決まりないよーっ。私にも代わってよーっ!」
「やだ……杏奈が……やる……」


57 : 下僕 2020/11/19 12:46:17 ID:6l26qnpqh6

 未来はまた杏奈の腕を引っ張り、その杏奈は腕に力みかけて、またビクとも動かなかった。二人の押し問答の最中、後ろで控えていたエミリーが、おずおずと未来の肩をつついた。

「あ、あの、未来さん。志保さんが苦しそうなのですけど……」

 ひなたは杏奈の隣に回ると、まだまだ志保を離す気のないか細い腕をさすった。

「杏奈ちゃん。志保ちゃん、顔が真っ赤っかだよぉ」
「え?」

 間の抜けた未来、杏奈が志保に目線を下げると、いつの間にか志保は、むーむーと呻きながら、ぷるぷると震えていた。慌てて、杏奈が腕を解くと志保は、頬を膨らませて喧嘩する二人を睨みつけた。


58 : do変態 2020/11/19 12:47:23 ID:6l26qnpqh6

「杏奈お姉ちゃん、痛いっ」
「ごめん……志保……。お姉ちゃんが……悪かったよ……。……未来が引っ張るから……」
「ええーっ。杏奈が志保を独り占めするからじゃないー」

 ぶーぶー文句を言い合う二人を、志保は立ち上がるとぷいと背を向けた。そうして首を捻り、不機嫌な一瞥を二人にくれてやれば。

「……喧嘩するお姉ちゃん達……志保、嫌い……」
「ええっ!?」

 ボソッと漏れた志保の呟きに、杏奈は頭のくせ毛と共に、跳ね上がるが如く立ち上がった。未来は、腕と足をピーンと伸ばして目を丸くしていた。腕が伸びすぎて肩掛けの通学鞄が、ずり落ちてはドスンと床に打ち付いた。


59 : プロデューサーさま 2020/11/19 12:49:09 ID:6l26qnpqh6

「杏奈と未来はすっごく仲良しだよっ! ね、ね、未来!」
「うんうんっ。ほら、志保、見てっ。私達、こんなに仲良し!」

 志保に、つれなくされたショックか。心のボルテージが高まった杏奈と、いつも以上に明るい笑顔の未来は、即座に互いの両手を重ねた。志保の目線がちらりと向いたら、二人は合わさった指をハートマークに型取り、えへへと笑う。

「うんっ。じゃあ、志保も好きっ」
「やーん、志保、かわいいー!」
「杏奈、いいお姉ちゃんになるからねっ!」

 振り返った志保は満足気に頷く。そんな屈託のない笑顔に、未来と杏奈は骨抜きも同然に、二人して志保に抱きついた。

「未来ちゃんも杏奈ちゃんも調子いいんだから~」

 一部始終を見せられてた可奈は、後ろで微笑むエミリーとひなたに、やれやれと呆れて笑ってみせた。両手に持てるだけの飴玉を持って。


60 : ボス 2020/11/19 12:51:13 ID:6l26qnpqh6

・・・・・・・・・・・・

「静香ちゃーん。やめておきなよー。また志保ちゃんに、ツンツンされちゃうよ~?」
「だ、大丈夫よ、翼」

 賑わう事務室の扉を前にして、廊下で二の足を踏む静香は翼に呆れられていた。ここ数日での、志保との衝突は静香への後遺となり、それは志保へと進む足枷となっていた。

 そんなまごまごしている静香を見兼ねて、助け舟を出すが、まるで乗ろうとしないので翼は、もうーとまた呆れていた。

「そんなにガチガチになってさ~……あ、プロデューサーさ~ん♪」
「お、翼。静香も一緒か」

 少し先の曲がり角より仕事鞄を手に現れた『彼』を前に、ヒラヒラと手を振る翼とは対照に、チラチラと目線を泳がし始めた静香。


61 : 2020/11/19 12:52:44 ID:6l26qnpqh6

「お疲れ様で~す♪ お仕事、終わったんですか~?」
「お疲れ様、翼。今帰ってきた所だよ。何やってるんだ? 中に入らないのか?」
「今、中に志保ちゃんがいて~、静香ちゃんが~、うだうだなんです~」
「……そうか」

 数秒思案し、『彼』は頷いた。
 一方の静香は、背を向けるばかりで『彼』を見ようとしない。扉の前で立ち往生する彼女はレバーハンドルを握ろうとする様子もない。しかし、垂れ下がる指先の微かな震えを『彼』は見た。次いで欠伸をしている翼に向けば、彼女はふるふると首を振るばかりだった。

「さっきからこんな感じなんですよ~、静香ちゃん~」
「ちょ、ちょっと翼っ! 余計なこと言わないでっ!」
「静香ちゃん、さっきからこわ~い」


62 : レジェンド変態 2020/11/19 12:55:14 ID:6l26qnpqh6

 ようやく振り返ったと思えば、一番に怒声を浴びせられた翼はステップを踏んで『彼』の背中に隠れた。きゅっと締められた眉間の皺は不機嫌さを絵に描いている。

 そうして、『彼』は自分の背中から顔を覗かせる翼から静香に視線を移す。その彼女の眉間は、翼以上に強い皺寄りに思われた。

「なあ、静香。無理してないか?」
「そんな事……ありません……」

 『彼』と目が合うと条件反射のように背を向ける静香。
 『彼』は一歩近づけば、静香の後ろ肩にそっと手を置いた。

「昨日の今日だ。せめて、今日は志保とは離れて」
「ほっといてくださいっ!」

 また怒声と共に振り返れば『彼』の手を跳ね除けた静香の手が、わなないていた。扉の向こうには伝わらなかったのか。ささやかに響く賑わう声は変わっていない。『彼』を見る静香の目は敵意でも孕んだ睨みつけだった。


63 : ごしゅPさま 2020/11/19 12:57:02 ID:6l26qnpqh6

「静香……」

 小さく跳ねられただけの手が変に疼く。

 『彼』に対する静香の反骨とも言える態度は今に始まった事ではない。仕事の斡旋以外では、何気ない『彼』の施しを袖にすることも少なくなかった。

 ただ、今は、その静香の態度が明らかに拍車が、かかっている。記憶のない志保との衝突は、静香の精神を蝕んいでいる。と、『彼』はそう解釈していた。

 黙る二人を交互に見ていた翼は、おもむろに通学鞄を探れば、即席カップうどんを取り出した。

「静香ちゃん、ちょー機嫌わるーい。うどん、食べる? お肉入ってるよ?」


64 : そなた 2020/11/19 12:59:11 ID:6l26qnpqh6

「あ、あのねえ、翼。変なところでおうどんを出さないでよ」

 どこか張り詰めた空気に不似合いでいて、間延びした翼の言葉は静香の表情を緩めた。次いで、嘆息を漏らす静香がレバーハンドルに手をかける姿は普段の静香に戻っていた。

「え~。美味しそうなのに~」

 翼は口を尖らせ、まだ未開封の容器を鞄に押し込んで、『彼』への、行きましょ~の軽やかな口振りと足取りと共に静香に続いていった。相槌一つに頷く『彼』もその背中を追った。


65 : 変態大人 2020/11/20 19:55:46 ID:Av0rkTik6M

・・・・・・・・・・・・

「あ……あの人……」

 静香が事務室に入るや即座に、志保の視線が陽気な眼差しから冷暗な目線に変わり、その姿を捉えていた。飴玉を強請っていた可奈の腕を掴んで、さっと彼女の背中に身を隠した。

「ま、待って、志保ちゃんっ。わ、私は違うのっ」
「え?」

 可奈の背中から志保が怪訝に静香を睨む。ぎくしゃくした笑顔で、手を振る静香。

「私は『最上静香』じゃないわ。『ノガミアスカ』って言うの」

 その場の一同が、疑問符を顔に浮かべるも構わず、静香の笑顔はぎこちないままで志保に一歩、踏み込む。


66 : ぷろでゅーしゃー 2020/11/20 19:56:58 ID:Av0rkTik6M

「し、しず……」

 事態に付いてこれない可奈が思わず自分の本名を口走るものだから、静香は思わず可奈を睨んでしまう。唇に重ねた一本指のサインで静香が可奈を黙らせる。

 そんな二人を交互に見ては、おろおろと戸惑うエミリー。普段の明るい調子を潜めては、神妙な顔つきのひなたと未来。静香のぎこちない笑顔と志保の警戒心に板挟みされては、志保を宥める可奈と杏奈。

「アスカ……お姉ちゃん……?」

 値踏みの視線に晒される事、数分。偽名を口にしたのを皮切りに、可奈の服を持つ志保の手が緩まった。縮こまっている体を伸ばし、志保が可奈の背中から出てきた。

 すたすたと近寄ってくる志保は改めて、静香を頭のてっぺんから足のつま先までをじろじろと見ている。その視線は幼げながら、どこか訝し気だった。

「そうそうっ。私は『最上静香』じゃないのっ」


67 : do変態 2020/11/20 19:58:10 ID:Av0rkTik6M

 それでも静香は、ぎこちながらも笑顔を絶やさなかった。しかし、いつもはやや細められた眼が、ぱっちりと見開いている今の志保は静香にとっては違和感でしかない。そんな懐疑的であっても、あどけなさの残る視線は、静香の笑顔を崩しかけていた。

「ふーん、そうなんだね」
「え、ええ、それでね」

 静香が何か言おうと、手を差し出すも。

「あ、お父さんっ! おかえりなさいっ」

 然したる興味も持たれず、志保の視線はすぐさま静香の後ろの『彼』に移れば、その胸元に、はしゃぐ彼女が飛び込んだ。

 『彼』は差し出そうとした手が固まった静香の背中に戸惑いつつも志保を抱きとめる。

「あ、ああ、志保。ただいま」
「百合子お姉ちゃん、帰ってきた?」
「ああ。今、控え室で帰る準備をしているよ」
「わあ、いこいこ、お父さんっ」


68 : プロデューサーさま 2020/11/20 20:00:38 ID:Av0rkTik6M

 また絵本を読んでもらうと意気揚々の志保は百合子の元へ『彼』も引っ張って足早に出て行ってしまった。『彼』も敢えて抵抗せず、まだその場から動かない静香をちらと見やり事務室を後にしてしまった。

 バタンと耳障りな音が止めば、残された少女たちに沈黙が漂い始めた。未来も、可奈も、翼も、杏奈も、エミリーも、ひなたも皆の視線が静香へと集まっている。静香は空を彷徨う手を下げれば、ハッとしてきょろきょろとしだした。

「や、やだ。みんなして、どうしたのっ。そんなにじっと見られたら落ち着かないわ」
「静香ちゃん。な、なんで嘘の名前なんか言ったの?」

 歩み寄るは未来。

「ああ、そのこと。私自身のことで志保がパニックになるってプロデューサーに言われて……私も薄々そうじゃないかって思ってて……だから、名前を変えてみたらどうかなって思って……」


69 : プロデューサー様 2020/11/20 20:02:11 ID:Av0rkTik6M

「そ、それで偽名を、名乗られたのですか?」
「ええ。あんまり相手にされなかったけどちょっとはマシになった、かな……」

 未来と同じくして心配を隠せないエミリーにも静香は一瞥すれば、思わず浮かべた笑顔には苦みが出てしまっていた。
 あははと笑ってみせても、静香の肩は首とともに降りていくばかり。そんな肩にひなたの手が添えられた。

「静香さん。そんな嘘、言うことないべさ。ほとぼりが冷めるまで待ってもいいんでないかい?」
「いいの。そんな時がいつかなんて分からないし、私は私で出来ることをやりたいのよ」


70 : プロデューサーちゃん 2020/11/20 20:03:49 ID:Av0rkTik6M

 話せば話す程に静香の語気が弱まっていく。ふと、静香が袖口に感触を感じると、ひなたの横から出てきた杏奈が自分の袖をくいくいと引っ張っていた。上目遣いに静香を見上げる杏奈の跳ね毛はいつの間にか垂れ下がっていた。

「杏奈も……そう思う……。今の静香……無理……してる……。志保に……拒絶されて……辛そう……」

 杏奈の言葉にエミリーとひなたも頷く。当時、その場に居合わせていなかったひなた、エミリー、杏奈、翼も志保と静香の衝突については聞き及んでいる。

 女学生のネットワークでは良い知らせも、さることながら悪い知らせも、一早く仲間の内に出回っていた。それ故、思い思いに皆の心配が静香に寄せられていた。

「そうだよ、静香ちゃんっ。今は私たちが志保ちゃんの相手をするからっ」
「ちょ、ちょっと杏奈も可奈もやめてよ。それにほら、さっきは何ともなかったでしょう?」


71 : 仕掛け人さま 2020/11/20 20:05:09 ID:Av0rkTik6M

 正面に迫る可奈に面食らいつつも、静香は変わらず笑ってみせた。可奈も、後ろで見ている未来にも、その笑顔が痛々しく見えて、やり場のないもどかしさが胸中で蠢くばかりだった。

 一向に折れず、空笑いを悟られまいとする静香を前に、室内が沈黙で覆われる。

 皆がどうしたものかと困り果てている中、翼は一人、『彼』のオフィスチェアーに腰かけて頬杖をついていた。その片頬がぶすっと膨らんでいる。

「もぉー。みんな、くらぁーい。つまんなぁーい」


72 : der変態 2020/11/20 20:07:02 ID:Av0rkTik6M

 皆がハッとして顔を向ければ、翼はその伸びた足をパタパタと上下に振っていた。そうした彼女の面は不機嫌を絵に描いたよう。

 皆の注目が集まると、翼はオフィスチェアーから降りれば仁王立ちで静香を見据えた。眉を吊り上げながら。

「ねえ、静香ちゃん」

 そんなしかめ面で翼は、ずんずんと近づくや、及び腰の静香の腕を強引に取った。

「な、なによ、翼」

 何事かと迫られ、静香は思わず唾を呑む。


73 : バカP 2020/11/20 20:08:22 ID:Av0rkTik6M

「わたし、のど乾いちゃった」
「は、はあ?」

 迫られたのも束の間、しかめ面は崩れて呆けたように天井を見上げる翼に静香の思考が追い付いて来ない。静香が呆気に取られているのも構わず、明後日の方に目を向けた翼は掴んだ腕を振り子のように好き勝手に振れば。

「わたしの好きなカフェで~、ちょうどね~新作出てるから~、それ飲みにいこ~♪」

 いけしゃあしゃあと語りては、にぱっと笑ってみせる。

「ちょ、ちょっとっ。なんで私が」
「静香ちゃんは絶対来るのっ」

 静香が反発して腕を引こうとすると、翼は途端に不機嫌顔になっては、それ以上の力でぐいっと静香ごと自分に引き寄せる。静香がバランスを崩したのをいいことに、翼は手元の二つの通学鞄をむんずと掴めば、一つを静香に押し付け、そのまま手を引いて扉に向かう。

 静香は翼のされるがままに、残された少女たちが、ぽかんと二人の背中を見送っていると、翼の不思議顔がくるりと振り向いた。


74 : プロちゃん 2020/11/20 20:09:50 ID:Av0rkTik6M

「みんな、何してるの? みんなも行くんだよ。ほら、早く早く~。暗くなっちゃうよ~」

 またハッとして杏奈以外の少女たちは慌てて、自分たちの荷物をどこかどこかと周囲をきょろきょろとしては駆け寄る。

「う、うんっ。いこいこっ。エミリーちゃん、はいカバン」

 可奈は卓上の教科書や課題集、ペンケースをごちゃごちゃのままで強引に通学鞄に押し込んだ。

「あ、ありがとうございますっ。あああ、ま、待っててください、翼さんっ」

 鞄を受け取ったエミリーは忘れ物の確認に手間取っていると、翼の軽く地団駄を踏む姿に慌ててしまっていた。

「杏奈……あんまり……うるさそうな……場所は……ちょっと……」

 一人こっそりソファに戻れば、携帯ゲーム機を拾い上げる杏奈だが、その腕を横から未来が掴んでいた。未来に向ける杏奈の顔が引きつる。


75 : 我が友 2020/11/20 20:11:01 ID:Av0rkTik6M

「杏奈もおいでよっ。翼のおススメだったら間違いないからっ」
「みんなと一緒だったら、あたしも行きたいべさぁ。杏奈ちゃんも行くべさぁ」

 右から未来、左からひなたに腕を掴まれ、首と共に跳ね毛が、ぺたんと頭に張り付く杏奈。観念したようにゲーム機をローテーブルのクレードルに戻しこめば、ひなたから笑顔で差し出された通学鞄を受け取り、溌溂な未来に引きずられるように皆を追って事務室を後にした。

「は~い。いこーいこー」
「お~う♪」
「つ、翼っ。未来もっ。は、放してよっ」


76 : Pチャン 2020/11/20 20:14:04 ID:Av0rkTik6M

 廊下に出ても静香の腕が放されることもなく、それどころが未来までも翼に並んでは静香の片腕を掴んでは引っ張る始末だった。さながら、馬に引かれる車である静香の背中を眺めつつ、可奈、ひなた、エミリーの二人はのんびりと後に続いていた。

 どことなく安心したように胸を撫でおろしつつ。二人の端を歩く杏奈は、携帯端末の画面で、目当ての店のメニューを見ては、どれがいいとエミリーたちに端末画面を向けていた。

「杏奈さん。静香さんにも、お見せしてはいかがですか?」
「今の静香……噛みつきそう……。だから……可奈パス……」
「ええっ。わ、私も、今の静香ちゃん、怖いからやだよぅ……」

 誤魔化すように携帯端末を、ひなたに渡す杏奈。エミリーは横で、げんなりしている可奈に、あははと笑い声を掠らせた。ひなたはメニューの画面を指で流し、ハイカラな飲み物がいっぱいだねぇ、と呟けば。

「なんも、なんも~。翼さんと未来さんがいてくれるから安心べさぁ。エミリーちゃんと可奈ちゃんもどうだい~?」

 すぐ前で、ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人組を見ずして、くすくすと笑っていた。


77 : 兄(C) 2020/11/20 20:16:01 ID:Av0rkTik6M

「ダメ~。静香ちゃん、逃げようとするから放してあ~げな~い」
「そうだ、そうだ~♪ れんこーれんこー♪」
「なんなのよっ、二人してっ、もうっ」

 建物外に出ても終始、文句を垂れ続ける静香の腕が解放されたのは店の手前まで来た所だった。店内に入れば、メニューに迷っていた静香は翼に言われるままに西洋魔術の呪文のような注文を伝えていた。

 支払いになって、お連れ様と合わせて云々と店員から言われてギョっとすれば、他の皆はもう商品を受け取って席についていた。

 財布を空にしながら静香がトレイを両手に席に向かえば、ニヤニヤする翼の後ろで、他の皆は申し訳なさそうな空笑いとともに各々の代金を差し出していた。


78 : Pしゃん 2020/11/20 20:17:21 ID:Av0rkTik6M

「静香ちゃんの、レジの驚きっぷり、おっかし~」

 と、翼に爆笑されて、全部この金髪跳ね毛女の仕業だと理解すれば、またぎゃあぎゃあと文句を垂れる静香。散々言い捨てた後、トッピングだらけのフラッペの甘味を口にすれば、何故こんなことになっているのか考えるのもバカらしくなった。

 おいしい?と抜け抜けと尋ねる翼を横目に、静香は不貞腐れては、みっともなくズズズとストローを鳴らしていた。


79 : EL変態 2020/11/22 18:16:30 ID:07pWjPZhqs

・・・・・・・・・・・・

 『北沢志保』は夢を見ていた。そこでは幼く振る舞う自分がいて、多くの少女たちに囲まれて可愛がられている。色々な遊び、おしゃべり、お菓子を楽しんでいる所に、更に少女がもう一人、近づいてきた。

 青のカーディガン姿の、黒く長い髪の少女。誰かと思っていると、青を纏う少女の姿が一瞬、様変わりした。それは手に何か棒のような物を持ち、どこか眩い地面の上で、光煌めく衣服を纏っている、そんな姿。

 だが、それも一瞬のこと。その少女ごと光という光は、竜巻に巻き上げられたように、どことも分からない彼方の果てに飛んで行ったしまった。残ったのは闇だけだった。

 『北沢志保』は目を覚ました。暗闇の空間を漂いつつ、ぼんやりと瞼を開いた。 が、開けた視界も闇ばかりで夢との境界線がまるで分からない。

《だめ……。その夢は……だめ……》

 闇を漂う自分の前に、一つの人影がどこからともなく現れた。近寄る人影が笑ったような気がした。何故か分からない。『北沢志保』はまだ重たい瞼が落ちてしまわぬよう、散々とした意識を束ね、起き上がろうとするも体が言うことを聞かない。


80 : 高木の所の飼い犬君 2020/11/22 18:19:01 ID:07pWjPZhqs

(……誰?)

 なけなしに口を動かせば、間近にまで迫った人影の顔に小さく驚く。それはよく見知った顔。鏡を見ているのかと錯覚する。

《私は北沢志保……13歳のあなた……》
(……私……どうして……)

 人影は自分だった。もう一人の《志保》が淡い笑みで『北沢志保』の周りを漂う。ゆったりした動きのはずなのに《志保》を目で追うことすら『北沢志保』には叶わなかった。また瞼が重くなっては、視界がぐにゃりと歪みそうになる。その様子を知ってか知らずしてか、《志保》がくすりと微笑んだ。

《大丈夫……。安心して……。あなたは眠っているだけでいいの……》
(なぜ……私は……起きれないの……)

 『北沢志保』はその身が痙攣しながらも抗うが、脳裏で荒れ狂う眠りの波は収まらない。ふと、背中から《志保》の両腕が回され抱きしめられると、その震えさえ許されなくなった。すると増長する睡魔に呑まれて指一本、曲げることもままならない。『北沢志保』の意思に反する瞼が、どんどんと降りてくる。


81 : 彦デューサー 2020/11/22 18:21:08 ID:07pWjPZhqs

《いいの……。もう……北沢志保は……あんな世界で生きることは……ないの……》

 僅かな《志保》の声が囁くかと思えば、目線すら向けられない『北沢志保』の耳元に顔を寄せていた。

(……なにを……)
《あんな世界で生きていたら……北沢志保の願いは……永遠に叶わない……》
 抱き留める《志保》の腕がより強くなる。その静かな語気とともに。
(……私の……願いが……叶わない……?)
《大丈夫……。これからの世界で……北沢志保の願いは……叶うの……。あなたは……眠っているだけでいいの……》

 最後まで聞き届けたのか分からぬまま『北沢志保』の瞼は閉じられていた。腕を放した《志保》は口元を笑みで歪める。それは眠りに落ち、闇をまた漂い始めた『北沢志保』をせせら笑うようだった。《志保》は闇の上流へと昇り始めた。やがて光の点が見えてきた。昇り続け、光に向けて手を伸ばすと。


82 : 師匠 2020/11/22 18:22:13 ID:07pWjPZhqs

《いってらっしゃい、志保ちゃん。もうすぐだから……ね》

 同じ声質で幼く、だが明瞭な声がすぐ横から発せられた。そこには《小学生の志保》がいた。
 《志保》は無言で頷き、光に触れると吸い込まれるように姿を消してしまった。
 見届けていた《小学生の志保》もまた、すーっと闇を漂い始めた。しかし、虚空を見るその目は、幼い姿にしては酷く冷めた眼差しだった。


83 : Pーさん 2020/11/22 18:24:50 ID:07pWjPZhqs

・・・・・・・・・・・・

「……ん」

 早朝。

 ベッドから身を起こす『彼』は腕に重しを感じ、すぐ横を見れば、パジャマ姿の志保が自分の腕に抱き着いていた。そうだった、と昨晩を思い出した。幼い口振りの志保は『彼』の家に帰宅するや否や、今日からお父さんと一緒に寝る、と言い出した。

 昨日、北沢家での置いてきぼりを根に持っているらしく『彼』が何を言っても、志保は一緒に寝るの一点張りだった。仕方なく、床につけば志保は満面の笑顔で『彼』の腕に即座に抱き着いては寝てしまった。お陰で『彼』は今も上半身を起こせずに、まだ寝息の立つ志保を眺めるだけだった。

 ふと、志保の瞼にカーテンの隙間から漏れる朝日がかかりそうだった。片腕を伸ばしてカーテンの隙間を閉めると、『彼』もまた床に沈んだ。横目でちらりと傍らの小棚の置時計を見れば、幸いにもまだ時間には余裕があった。


84 : 仕掛け人さま 2020/11/22 18:25:42 ID:07pWjPZhqs

 志保の寝息を横耳で聞きつつ、天井を眺めていると『彼』は、ぼんやりと物思いに耽る。

(……不思議な夢を見たな。志保の声が聞こえた気がした……。何だろう……)

 自分の夢のはずなのに、それはひどく他人事のようで、蚊帳の外から眺めていたような気がした。 その夢には二人の志保がいた。志保が志保を抱き留めており、そこで『彼』は聞いた。

(私の願いが叶わないって……志保、言っていたな。……ただの夢か……?)

 後30分で志保を起こそうと思う『彼』は、ちらりと志保を見やる。相変わらず小さな寝息を繰り返す志保、かと思えば、ゆっくりと瞼が開かれた。その目は真っすぐに『彼』を見据えた。しかし、前髪がかかって少々見づらそうだった。『彼』はそんな彼女の髪を、さっと避けてやれば。 

「おはよう、志保」

 と、薄く微笑んだ。


85 : ぷろでゅーしゃー 2020/11/22 18:26:31 ID:07pWjPZhqs

 志保は、あ、と小さな呟きとともに頬を上気させれば、もそもそと『彼』の腕を放して起き上がった。その動きはいやに仰々しい。そうして、お父さんの寝癖、と小さく笑う。

「おはよう、お父さん」

 どこか照れたようで落ち着き払った志保の声に、同じく起き上がった『彼』は思わず、すがめた。
 
 志保の記憶障害5日目の朝。彼女の年齢は、再び13歳となっていた。


86 : プロデューサーくん 2020/11/22 18:32:16 ID:07pWjPZhqs

・・・・・・・・・・・・

 この日、午前から765プロライブシアターには多くの人員が出入りしていた。普段は所属のアイドル達が日々の修練や、来客を招いての打合せ、あるいは設備業者の定期点検など、極々限られた人間しか見られない。

 だが、2日後に定期公演を控えた劇場ホールでは、音響、照明、演出、撮影と専門の外部スタッフ達が、がやがやと機材の確認、設備の微調整に試運転などを、雑談混じりに行っていた。この後でどこか飲みに行かないか、などと顔馴染みのスタッフ同士、賑わいさえあった。この定期公演も何回目のことか。順調に進む準備も終盤、昼過ぎになった頃。

「──さん。あ、こっちにいましたか」
「星梨花か。どうしたんだ?」

 控え目なノックが響けば扉の隙間から、トレーニングウェア姿の箱崎星梨花が、おずおずと事務室へと身を滑り込ませた。事務室では『彼』のデスクで中学問題集と教科書をしきりに見返す志保と、その隣で助言を加える『彼』がいた。


87 : Pさん 2020/11/22 18:34:24 ID:07pWjPZhqs

 閉めた扉を背にしたままの星梨花は『彼』を見据える上目で何かを訴えているよう。首を傾げた『彼』が歩み寄れば星梨花は口元に手を添えて爪先立ちへ。内緒話か、と『彼』はその小さな口に耳を寄せた。

「ホールのスタッフさん達がプロデューサーさんに確認に来て欲しいって言ってます……」

 公演設営の最終確認は765プロダクション社員である『彼』でないと承認を受けられないと、劇場ホールで外注スタッフ達が首を長くしている所だった。『彼』は星梨花に向き直り頷くと、志保へと視線を泳がした。

「ありがとう、星梨花。すまないがしばらく志保と一緒にいてくれないか?」
「はい、分かりました」
「お父さん、どこか行くの?」

 頷く星梨花のツインテールが髪結びのリボンと共に大きく揺れた。対して志保は居ても立っても居られずにツカツカと寄れば、その不安に揺れる顔を『彼』へと向けた。『彼』は大丈夫、と志保の肩に手を置く。


88 : Pーさん 2020/11/22 18:36:54 ID:07pWjPZhqs

「少し離れるだけだ。志保、ここで待っていてくれ。星梨花、良ければ志保の勉強を見てやってくれないか? 今やってる所でちょっとつまずいているんだ」
「はいっ。志保さん、一緒にやりましょう!」
「……うん」

 すぐ戻ると念を押す『彼』を、物寂しく見届けた志保は、星梨花に背中を押されてまたデスクについた。星梨花も空きのデスクから椅子を持ってきては志保の隣を陣取る。意気揚々と問題集を覗けば、私と同じですね、と志保に微笑む。志保はチラチラと目線をやるも、その顔は訝し気に星梨花を見つめていた。

「あの、あなたは……?」
「あっ、すみません。自己紹介がまだでしたね。私は箱崎星梨花です。13歳の中学生ですよ」
「私、北沢志保。私も13歳なの」


89 : プロデューサーくん 2020/11/22 18:39:04 ID:07pWjPZhqs

 屈託ない笑顔の星梨花と、同い年が仲間意識を生んだか、志保に柔らかな笑みが戻った。二人して問題集を見れば、志保が苦戦しているは数学の応用問題。星梨花が教科書の1ページ、2ページとめくると、とある公式を指さした。

「この問題は、これとこの公式を当てはめると解けますよ」
「あ……ほんとだ。えっと、星梨花ちゃん? もう少し詳しく聞いてもいい?」
「え?」

 普段、志保から呼び捨てされている星梨花は思わず、きょとんとしてしまう。話している雰囲気も、目上であるよりも同級生がしっくりくる。ちょっとした新鮮味だった。小さな意外性に星梨花が目をパチクリと瞬いてると、志保はすっと顔を伏せてしまう。

「ご、ごめんなさい……。馴れ馴れしかったよね……」
「あっ。いいえっ、そんなことありませんっ! 志保さんからそう呼んでくれるなんて思わなくて……。とても嬉しいですっ」


90 : おやぶん 2020/11/22 18:42:09 ID:07pWjPZhqs

 やや興奮気味な星梨花に、くすりと笑う志保。なんと言うか志保の笑顔が多い。星梨花は、心をくすぐられる裏で、距離の近い志保の一挙手一投足に驚くばかり。

「そう、良かった……。私の事も、もっと気軽に呼んでくれていいのよ。同級生で、さん付けってちょっと距離、感じちゃうから」

 と、笑顔を添えて懇親を誘う志保の眼差しに、ドキマギしては狼狽えを上手く隠せなくなってしまう。いけない、と星梨花はぶるぶると首を振れば、おずおずと志保を上目遣いに。

「え、えっと……し、志保……ちゃん?」

 目上に無礼かと戸惑うが、志保はまた笑顔で頷く。それがまた星梨花には鮮やかに見えて、やたらと大きく瞬きをした。

「うん、星梨花ちゃん。勉強、教えてくれてありがとう」

 そこで星梨花の中で何かが吹っ切れた。


91 : 変態インザカントリー 2020/11/22 19:00:40 ID:m3bHCvCNws

どうした星梨花w


92 : Pちゃん 2020/11/23 10:40:12 ID:4r4rxi9IvA

・・・・・・・・・・・・

「志保ー? ここにいるのかー?」

 ノックもなしに開いた扉から無骨で生一本な声と共に、永吉昴が事務室にやって来た。肩口を撫でるような毛先を揺らし、辺りに視線を配ると、主たちのいないデスクの片隅で、志保との談笑に夢中になっていた星梨花と目線が合った。

「あ、昴さん」
「ようー。星梨花も一緒かー。まだ志保に『会えて』なかったら、今日の『迎え』ついでに顔出しに来たんだ」

 軽快に上げた手をひらひらと振る昴に目を向けられた志保は、条件反射のように隣に座る星梨花に身を丸く寄せた。口を噤んだまま、トレーニングウェアの裾を掴まれた星梨花は大丈夫だよ、と志保に微笑んで昴を見やる。そんな志保の視線を受けられずに、キョトンとしていた昴が手を打った。


93 : 師匠 2020/11/23 10:42:51 ID:4r4rxi9IvA

「オレ、永吉昴だよ。志保と同じ中学生……歳はオレのがちょっと上だけどな。志保は勉強してたの?」
「う、ううん……。少し休憩してたの……」

 明朗な昴の声で、志保の手が星梨花の裾を離す。幾ばくの緊張を帯びながらも志保は怖じる横目を昴に向けた。視線が合うと、へへ、と昴が笑う。

「随分と楽しそうだったねぇ。何を話してたんだい~?」
「あ、ひなたちゃん」

 昴の背中からひょこっと現れたひなたの姿を見た志保は、途端に背筋が伸びると共に朗らかな笑顔に染まった。すると、ちぇっ、と昴のジェラシーに刺されるひなただが。

「大丈夫だよぉ。志保ちゃんも、すぐに慣れっからねぇ」

 と、たおやかな口調を崩さずに昴に微笑む。


94 : プロちゃん 2020/11/23 10:43:39 ID:4r4rxi9IvA

「志保ちゃんとジュニオールの写真を見てたんですよっ。お二人も見ませんか?」

 自身の携帯端末を片手にきゃっきゃっと、はしゃぐ星梨花の左右から昴とひなたが寄ってくれば志保を囲う形で、スカーフを纏った星梨花の愛犬、ジュニオールの鑑賞会が始まった。

「……これ、いいな」

 そんな中、志保の呟きに星梨花が聞き耳を立てた。様々な写真画像が端末画面を流れる中で、志保が注目するは星梨花が満面の笑みと共に、愛犬を抱擁している一枚。眉を僅かに潜め、静かな羨望を向ける志保に、パッと星梨花の笑みが弾ける。

「志保ちゃん! 今度、私の家に来ませんか!? ジュニオールと一緒に遊びましょう!」
「え……。い、いいの?」

 催促してしまった、と志保が戸惑う視線を辺りに泳がす。星梨花は気にせず、笑顔をそのままに志保の両手を取って大きく頷いた。

「はいっ。是非、志保ちゃんに遊びに来て欲しいですっ」
「あ、ありがとう、星梨花ちゃん……」


95 : せんせぇ 2020/11/23 10:48:06 ID:4r4rxi9IvA

 語気の強まりが留まらない星梨花に気圧されつつ、はにかむ志保。その横で、いいなーと昴がぼやく。

「星梨花、すげーご機嫌じゃん」
「だって、志保ちゃんととても仲良くなれて嬉しいんですっ。あ、志保ちゃん、予定はいつがいいかなっ」

 コンコン……ガチャ……

 携帯端末画面のスケジュールカレンダーを志保に、ぐいぐい押し付ける星梨花だったが、唐突に扉のノックが響いた。

「エクスキューズミー。セリカは、いますかー?」
「あ、ロコさん。どうしましたか?」

 星梨花と同じくトレーニングウェア姿の伴田ロコが扉の隙間から顔を覗かせていた。


96 : プロデューサーちゃん 2020/11/23 10:48:42 ID:4r4rxi9IvA

「トークの最中にソーリーです。今日のラストリハがスタートアップできましたのでセリカにもオンステージ、プリーズです」
「あ、もうそんな時間なんですね……。志保ちゃん、ごめんなさい。私、行かなきゃいけないから……」

 しょんぼりと俯く星梨花だが、静かに首を振る志保は、気にしないでと微笑を向けた。ロコと共に出ていく星梨花は予定決めようね、と名残惜しそうに扉の隙間が埋まるまで、手振で見送る志保を見つめ続けていた。


97 : 我が下僕 2020/11/25 08:16:57 ID:Csq6tTL/8o

「へえ~。今はプロデュ……じゃなくて、お父さんと一緒に住んでるんだ、志保」
「うん。私は早く、お母さん達とも一緒に住みたいって言っているんだけど、お父さんがまだダメだって……」

 腰掛けたオフィスチェアー。正面に向けた腰高の背もたれに頬杖をつく昴が床を蹴っては、その身ごと椅子を回転させて志保を垣間見ていた。数分の会話で打ち解けた志保の顔が不満気に俯く。

「そっかぁ。でも、こんなにお父さんと一緒にいられるんだから、ちょっこし羨ましかねぇ」
「……ひなたちゃんは違うの?」

 昴の反対隣で志保の解答に赤丸を走らせたひなたが問題集をパタンと閉じた。ただ、志保の語調が弱まると、蛇足だったと少々慌てた。


98 : プロデューサークン 2020/11/25 08:19:30 ID:Csq6tTL/8o

「あたしは上京してきて一人暮らしなんだぁ。したから、家族はみんな、実家にいるだけなんよぉ」
「北海道だよな~。遠いよな~」
「そだねぇ。学校やアイ……習い事もあるから、気軽に帰れないしねぇ」

 回転の止まった昴に、うんうんと頷くひなた。すっげー、と感心している昴が、背中の静けさに振り返れば、志保の無機質な視線が、苦笑い気味のひなたを見つめていた

「……ひなたちゃんは、家族と離れていて、平気なの?」
「え。それは平気じゃないよぉ。会えるなら、すぐ会いたいべさ」

 ひなたは苦笑いついでに、頬を撫でるように掻いた。

 志保の目が細まり、眉間にうっすらと皺が寄ると、その視線に感情が乗せられた。志保の膝上に置かれた手は、本人も知らずの内に握り拳となっていた


99 : 彦デューサー 2020/11/25 08:21:06 ID:Csq6tTL/8o

「じゃあ、何でそんなに平然としていられるの?」

 機嫌でも損ねたか。深みを増した志保の声色に昴がキョトンと目を丸くする。ひなたは、そだねぇ、と呟くように漏らせば天井を仰ぎ、改めて志保に淡い笑顔を向けつつ、己が左胸をつんつんと指さした。

「ここに思い出をしまってるからかなぁ」
「え?」
「ここ? 心ってこと?」

 意表を突かれたように呆気に取られる志保。昴も、どういうこと、と不思議そうに首を傾げてまた椅子を一回転させた。ひなたは、どことなく頬を上気させてえへへ、と笑えば。


100 : 箱デューサー 2020/11/25 08:22:18 ID:Csq6tTL/8o


「大事な人との思い出を、ここにね……心にしまっておけば、寂しくなりそうな時に寂しくならないようになるんだよぉ。心のお守りなんだよぉ」

 そっと自分の左胸を覆うように手を添えた。

「……思い出を……心にしまう……」

 ふっと視線を落とすと呟く志保。その眉間の皺も消えれば、拳だった手は形が崩れていた。すると、頭の片隅に誰かの言葉が過ぎった。

『俺にとって本当に大切なのは物じゃない。物に詰まった贈り主の思いと、その時の思い出だよ。でも、それは心にしまってあるから。物が壊れたくらいじゃ、なくならない。本当に大切な物はちゃんと残ってる』


101 : 下僕 2020/11/25 08:23:32 ID:Csq6tTL/8o

 脳裏に響く声に意識を引き寄せられ、黙りこくる志保を他所に、ひなたを眺める昴はへぇ、とまた感嘆と共に首を傾けた。

「心のお守りかぁ。オレ、そんな事、考えつかないよ。一人で上京してるのは伊達じゃないなぁ」
「ありがとねぇ、昴さん。でもねぇ、あたしもプロデューサーに教えてもらっただけなんだよぉ」
「へぇ。……って、ひなた。それ、呼び方」
「あ、そうだったねぇ。志保ちゃん、ごめんねぇ……あれ、志保ちゃん、どうしたべさ?」

 どうしたことか。腰掛けていた志保は立ち上がり、机上に両手をついて俯いていた。同じく立ち上がった昴が志保の顔を覗き込めば、その瞼が瞑られる寸前まで下がっていた。


102 : Pサマ 2020/11/25 08:25:02 ID:Csq6tTL/8o

「志保? どうしたんだ? 気分悪いのか?」
「ご、ごめんなさい……少し……眠たく……なってきて……」
「なんだ。眠かったのか」

 不安気に志保の肩を支えた昴だったが、取り越し苦労と気づけば、無理するなよ、と添えて、ふらつく志保の体を抱き留めた。ひなたは事務室の一角に置かれたソファに、そそくさと移動すれば座面の端を陣取って、膝をポンポンと叩いた。

「昴さん。ここのソファに志保ちゃんを寝かせてくれないかい? あたし、膝枕するからねぇ」
「オッケー。志保、ほら、こっちこっち」
「で、でも……」


103 : プロデューサーはん 2020/11/25 08:25:55 ID:Csq6tTL/8o

 昴の支えから離れようと首を振る志保だが、その動きでさえおぼつかない様子だった。昴はため息一つに、瞼をこする志保の腕を引っ張れば、手招きするひなたの元に歩かせた。

「おいでおいでぇ。このソファ、寝心地悪くないから横たわっても平気だよぉ」
「あ、ありがとう……」


104 : ぷろでゅーさー 2020/11/25 08:31:12 ID:Csq6tTL/8o

・・・・・・・・・・・・

「すぐに眠っちゃったな、志保。そんなに眠かったんだな」

 やや体を縮こませて、ソファに横たわる志保は、ひなたの膝枕で静かに寝息を立てていた。そんな無防備な彼女の頬を昴は、つんつんとそっとつついた。ううん、と寝言と共に結んだ唇が絞られる様が可愛らしく、癖になった昴は頬突きを止られなかった。

「妹みたいで、なまらめんこいねぇ。何だか実家の弟を思い出すよぉ」

 ひなたは寝返りを打った志保の髪を撫でつつ、頬の緩みを抑えていた。眠る志保にそっぽを向かれた昴は、あーあ、と退屈そうに立ち上がっては自身の携帯端末を取り出した。

「そうだなー。弟って言えば志保の弟、りっくんだっけ。あの子も可愛かったよな。下の兄弟ってのもいいなぁ」

 つい数時間前の光景を思い出しながら、昴は端末で撮影した写真を眺めていた。『迎え』の際、記念にと志保の弟と二人でサッカーボールを蹴りあった写真は割とお気に入りだった。


105 : ダーリン 2020/11/25 08:33:14 ID:Csq6tTL/8o

 コンコンコン……ガチャ……

「失礼致します。あ、昴さんにひなたさん、こんにちは。こちらに志保さんがいらっしゃると聞いて」
「あ、エミリー、しー。今、志保、寝てるんだよ」

 ノックの後の来客は、窓の陽光を受けた金色が眩しく、ツインテールの緩やかな二つの毛束共々、仰々しく頭を垂れるエミリーだった。

 エミリーが顔を上げれば、昴が口元に人差し指を立てていた。小首を傾げて、目線を落とした先で、無言の手振りをするひなたの膝元の志保の存在に、ハッとしては音を立てずに戸閉した。

「よく眠っていらっしゃいますね」

 足音も忍ばせて志保の寝顔を覗きに来たエミリーだったが、着の身着のままでいる志保に、敷布を探してくる、とひなた、昴の声が掛かる前に足早に事務室を後にした。


106 : そなた 2020/11/25 08:35:01 ID:Csq6tTL/8o

・・・・・・・・・・・・

「ありがとう、ひなた、昴、エミリー。志保は疲れていた様子、あったか?」

 『彼』は、ひなたの膝元の志保へと、そっと薄地の毛布をかけると、三人の少女に向き直った。

 公演のリハーサルに終了の目処が立ち、中座した『彼』は廊下でエミリーと鉢合わせした。事情を聞いた『彼』は仮眠室から手頃な毛布を引っ張り出してきた。

「ううん、そんな事なさそうだったんだけどねぇ」
「だなー。話してたら何か突然、眠たくなったみたいで、あの通りだよ。なあ、エミリー」
「私が来た時には、既にお休みでして……。でも、まるで疲労を伴っていたような熟睡っぷりです」

 一様に語る少女たちは皆、首を傾げていた。


107 : EL変態 2020/11/25 16:20:16 ID:.0sQ12wB2Q

 ふと、『彼』の脳裏で昨朝の志保が既視感として見えた。連れてきた自宅に着くなり、急な眠りに落ちた志保。

 少女たちが志保を微笑ましく囲う後ろで、沈黙を守り続ける『彼』は廊下から近づく気配に無意識に目を向けていた。その足音はやや慌ただしく、主は威勢よく扉を開け放った。

 ガチャッ

「お疲れ様で~す♪ あ、プロデューサーさんっ。今日のレッスン終わりましたっ」
「ああ、可奈。お疲れ様。莉緒と杏奈は帰ったのか?」
「はい。あ、莉緒さんと杏奈ちゃんがプロデューサーさんによろしくって言ってました」

 そうか、と頷く『彼』の背後から口元に指のバツ印を添えたエミリーが姿を現した。


108 : プロちゃん 2020/11/25 16:21:29 ID:.0sQ12wB2Q

「可奈さん。今、志保さんが眠っています」
「えっ。あ、ご、ごめんねっ……」

 声を抑えつつ、そろりそろりと志保に近づいては起き上がらない姿に可奈は、安堵の息をついた。

「ほら。志保ちゃん、ぐっすり寝てるべさ」
「わあ、志保ちゃん、可愛いー……♪」

 膝枕のひなたが髪を撫でていると志保は寝言とともにまた寝返りを打ち、気張りの欠片も感させない、あどけない寝顔を晒した。そんな彼女に可奈は、つい甘い溜息が漏れてしまう。

「まるで妹みたいな感じだよな。つい気になっちゃうな」
「ふふふ、同感です……♪ 愛らしい寝顔ですね……♪」

 寝返りで崩れる毛布の上半を昴が、下半をエミリーが、そろりそろりと手直しした。そうして立ち上がる二人が、よく似た緩み顔を見合わせれば余計に笑ってしまいそうだった。志保の寝息は変わらず規則正しく皆の耳に届いていた。


109 : Pチャン 2020/11/25 16:23:43 ID:.0sQ12wB2Q

「普段も、こんくらい甘えてくれたら、いいんだけどねぇ」

 ひなたの言葉に少女たちが頷く。『彼』は、当たり前のような光景が物珍しく映った主観にまた思案していた。

 普段、『彼』はアイドル達のレッスン活動にもよく立ち会い、休憩時間に差し入れと共に、彼女たちとの雑談もよくあった。その中で志保は、その輪に自ら入ろとせずに一人、指導内容をメモに書き留めていたり、復習していたりと何かと余念がなかった。家庭の事情もあり、レッスン、仕事と最低限を済ませば直ちに帰宅、等もざらな事。『彼』との会話も挨拶のみ、もざらな事。

 それ故、友達に囲まれ、ゆったりとした今の志保は皮肉にも、年頃の少女らしい光景に納まっていた、と『彼』は思った。

(確かに普段の志保は誰かを頼ろうとか、甘えようとする意識をあまり感じさせない。消極的という事じゃないけど、もう少し友達の温もりを知ってもいいんじゃないかとは思う。……そうだ)


110 : 仕掛け人さま 2020/11/25 16:25:27 ID:.0sQ12wB2Q

「可奈、エミリー、昴。もう暗くなるから帰り支度をしておいで」

 日没も近づく窓の明暗の次に、腕時計を見る『彼』は、時間を忘れそうな少女たちを現実に戻した。三人は、そろそろと隅っこに置き固めた鞄を手にしては、取り出した携帯端末の通知を確認し出す。何かの返信を端末に打ち込んだり、もうこんな時間なんだ、や一緒に帰ろう、と、ひそひそと賑わう。

 そんな姿を横目に、『彼』はひなたの目線に跪いた。ひなたは、ん、と志保を撫でつつ何気なく小首を傾ける。

「ひなたはすまないが、志保が起きるまで待っててくれないか?」
「構わないよぉ」
「それと、ひなたにもう一つ頼みがある。聞いてくれないか?」
「なんだべぇ?」

 普段、そんなに頼みごとをされない『彼』から、いくつもお願い事をされたひなたは少し上機嫌っぷりに頷けば。


111 : 変態インザカントリー 2020/11/25 16:26:40 ID:.0sQ12wB2Q

「今夜は俺の家に来て欲しいんだ」
「……へ?」

 何故か真剣な眼差しの『彼』の目から、視線を外せなくなってしまった。目を丸くしては、撫でていた手が止まってしまった。ついでに膝の痺れも忘れそうだった。

「……え?」

 そんな二人の後ろで、痺れが走ったように背筋をピンと伸ばしたエミリーが恐る恐る『彼』の背中に振り返った。その頬をわずかに染めて。

 急に、しんとした空気共に凝り固まったエミリーとひなたを、可奈と昴が見ては、互いの顔を不思議そうに見合わせてまた二人に視線を向けた。

 返事の来ない状況で『彼』は、はて、と眉をしかめる。

 外では、夕焼け空を飛び交うカラスが何かの嘲笑にも似た鳴き声を響かせていた。


112 : 貴殿 2020/11/26 07:32:09 ID:lm.tpricZM

このプロデューサー……とうとう中学生を自分から……!


115 : Pちゃま 2020/11/29 08:25:14 ID:TmDdaxXcO2

・・・・・・・・・・・・

「ありがとうございましたっ。お疲れ様でしたっ」

 公演リハーサルの全行程が終了し、甲高い挨拶を最後に静香は一人、劇場ホールを急く足で後にした。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 リハーサル直後のせいか、ドレスアップルームへ一目散に駆ける静香の息は既に荒らぐばかりだった。

 吹き出る汗を拭った静香はノックもなしにドアを潜れば、脱いだステージ衣装を丁寧に専用のハンガーラックに戻した。入れ替わりで取った制服に急いで袖を通して、志保がいるであろう事務室へと忙しなく、また駆け出した。

 時間も夜へと進んでいる。帰る前に、一度は志保と顔を合わせておきたい。何の為に、偽名まで使った事か。


116 : 変態インザカントリー 2020/11/29 08:26:19 ID:TmDdaxXcO2

「あ、志保っ」

 見つけた。丁度、それは事務室から出てくる所だった。『彼』に連れられて、ひなたと談話を育む志保が振り向いた。近づいてくる静香の汗浮かぶ顔に『彼』は違和感を覚えた。

 呼吸を整えて静香は、志保に笑顔を向けるも、肩を揺らしたままの姿に、ひなたも表情を曇らせていた。対して、志保は目の色が無に返った。

「ねえ、志保。い、今、時間とれない? 少し話でも」
「ごめんなさい、ノガミ『さん』。もう私、帰るから。行きましょう、ひなた『ちゃん』、お父さん」

 静香の言葉が終わる前に、冷めた声で志保はまた歩き出した。それは笑顔で固まりつつあった静香の横を通り過ぎて。一瞬、静香は息が詰まる錯覚を覚えた。


117 : そなた 2020/11/29 08:27:18 ID:TmDdaxXcO2

「さようなら」
「……う、うんっ、またね。志保」

 それでも気丈に振り返った静香の視界には、遠ざかっていく志保の背中しか映せなかった。笑顔薄れる静香は目を伏せて俯く。その目元が『彼』には、やけに暗く見えた。

 出方に迷っていたひなたの肩に『彼』の手が置かれ、その耳に志保を頼む、と囁いた。慌て気味に頷くひなたは志保を追いかけていった。日没も間近、電灯の白光が目立ち始める廊下で、『彼』は静寂を纏う静香をじっと見据えた。


118 : der変態 2020/11/29 08:29:07 ID:TmDdaxXcO2

「静香、大丈夫か?」
「え、あ、プロデューサー。な、なんですか……」

 今、気づいたのか。『彼』は内心、呆れ気味で向けられた静香の目元をまたじっと見れば、彼女の異変を察知した。僅かに瞼が不自然にぴくぴくと揺れている。それが感情のゆらめきによるものではない。

「言葉の通りだよ。体が本調子ではないんだろう?」
「別に……。何でもありません……」

 そっぽを向く静香の背を見る『彼』は、その肩も不自然に落ちていることに表情を険しくさせた。

「静香。お前、欠席したレッスン風景の動画を、他の子に撮ってもらってるって聞いたぞ」
「……それが……なんですか……」
「……静香。ちゃんと寝ているのか?」

 静香の背中は何も語らない。


119 : 仕掛け人さま 2020/11/29 08:31:04 ID:TmDdaxXcO2

 本公演に名を連ねない静香は、バックダンサー出演だった志保の代役を志願していた。だが、負荷が大きすぎる、と『彼』にスケジュールの過密さを理由に拒否された静香は食い下がった。

 結果、『彼』が折れる形で代役は静香に決まった。しかし、飛び入りであろうと、バックダンサーという後援でも、公演全体の流れは頭に叩き込む必要があり、決して楽なスケジューリングではなかった。

「そんなに無理をするな。公演と仕事で只でさえ、ハードスケジュールになっているんだぞ」

 志保が記憶を失くしてから数日間、予定していたダンスレッスンやボイスレッスンの時間を公演の練習に充て、空いた時間は殆どが細かな仕事で埋まっていた。

 だが、静香は遅れを取らないように、レッスンメンバーに撮影を頼んだ動画でレッスン内容を見返し、自宅で両親の目を盗んではレッスンに加えて公演のイメージトレーニングを夜更けまで続けていた。

 そんな彼女の垂れる手はゆっくりと拳と成りて固まる。


120 : ご主人様 2020/11/29 08:37:57 ID:TmDdaxXcO2

「それなのに普段のレッスンにまで注力していたら、体がもたないだろう?」

 そうして半分にも満たない睡眠時間の影響は、程なくして静香の体調に表れていた。学校の授業では、視界が霞みゆく事も多々。失せつつある食欲に発破をかけて減量した食事を無心で掻き込んだ。自身の顔色を伺う両親への作り笑いは無意識に増えていた。今では疲弊、色濃い体にまで発破をかける始末だった。

 止まない『彼』の言葉が、静香の口元をギリリと軋ませる。

「志保とも無理に接するのはやめるんだ。みんな、お前のことを心配しているんだぞ」

 先程の志保のすげ無い態度も、静香の困憊を加速させる一因とも取れる。反応を示さない静香の肩を『彼』が取ると、彼女の拳が震え始めた。


121 : 監督 2020/11/29 08:41:19 ID:TmDdaxXcO2

「せめて、今日と明日はすぐ家に帰って充分に睡眠を取るんだ。……静香」

 その時だった。呼びかけに、ぴくんと静香の首が微動したかと思えば、パチンと乾いた音と共に、『彼』の手が弾かれた。

「放っておいてって言ってるじゃないですかっ!」

 またか、と振り返った静香の目を『彼』はひどく冷静に見つめた。静香は親の仇の如く、血走った目で『彼』を睨んでいた。それは先日、受けた平手打ちよりも痛烈だった。

「静香……」

 だが、そんな事より、それを放っただけで吐息が急き切るばかりの静香が気がかりだった。


122 : 2020/11/29 09:22:27 ID:TmDdaxXcO2

「プロデューサーさーんっ」
「おお、星梨花。どうしたんだ、そんなに慌てて」

 廊下の奥の曲がり角から姿を現した星梨花が、まだ衣装姿のままで、やけに息を荒くしていた。ただ、その彼女の目は燦々とした輝きを帯びてはパッチリと見開いていた。

「あのっ! 志保ちゃんは、まだいますかっ」
「ああ、志保は一足先に俺の車に向かったよ。丁度帰る所だったんだ」
「そ、そうなんですか……がっかり……あれ?」

 逸る肩を落とす星梨花だったが静香の刺々しい雰囲気に、また目を丸くした。星梨花が口篭る間の僅かな静寂が、いやにぴりぴりとして居た堪れない心地ではあった。静香は、星梨花には目もくれずにただ『彼』を厳かに見据えていた。


123 : Pさぁん 2020/11/29 09:24:18 ID:TmDdaxXcO2

「し、静香さん……? プロデューサーさんも……何かあったんですか?」
「ううん、何でもないのよ、星梨花。……失礼します」

 静香は星梨花には笑顔を、『彼』には最低限の一瞥をくれてやり踵を返しては廊下の角へと消えた。まだ大きく瞬きをする星梨花ではあったが、『彼』から漏れた嘆息に、その顔を見上げた。

「プロデューサーさん。静香さん……大丈夫ですか?」
「何か気になるのか、星梨花?」
「はい。静香さん、ここ最近、雰囲気が張り詰めているようなんです……。お化粧で分かりにくいんですけど、顔色もどこか悪いようなんです……」

 見上げる星梨花の視線が、表情味と共に沈む。『彼』は跪き、浮かばない彼女の顔を見上げつつ、しょげる頭をそっと撫でた。


124 : 兄(C) 2020/11/29 09:25:48 ID:TmDdaxXcO2

「そうか。教えてくれてありがとう、星梨花。静香のことも心配してくれてありがとうな」

 撫でられたまま、いえ、と気のない返事の星梨花。

「静香のことは俺がフォローするから星梨花までそんなに気を落とさないでくれ。……そういえば、志保に何か用事だっだか?」
「あっ! 私、志保ちゃんと一緒に遊ぼうって言ってたんです。それで日取りの相談をしようと思って」

 思い出したようにハッと頭を上げれば彼女の顔色が一瞬で上書きされる。

「そうだったのか。……そういえば明日は星梨花もオフだったな。どこか外出の予定はあるのか?」
「はいっ。明日はママとパパと、オペラの鑑賞に出かけるんですよっ」
「そうか。……じゃあ、ダメだな」
「え?」


125 : 番長さん 2020/11/29 09:27:33 ID:TmDdaxXcO2

「実は、俺の家で今日、志保と一緒に皆がお泊まり会をしようって話をしていてな。都合が合えば星梨花も、と思ったけど……タイミングが悪かったな。……あ、すまん。志保を待たせているからもう行くよ。星梨花も気をつけて帰るんだぞ」
「え、え、え?」

 『彼』は棒立ちの星梨花に、片手挨拶を最後に軽やかに駆け出した。取り残された星梨花は、また瞬きをしているだけで遠ざかる背中を見守る裏で思考が巡っていた。

(志保ちゃんとみんなって……昴さん、ひなたさんや……そういえば、エミリーちゃんや可奈さんも来てたって聞いて……みんなでお泊まり会……? わ、私は……?)
「……え……えぇぇーっ! そんなぁーっ!」

 単純な結論、除け者にされた事に消えた背中を恨めし気に睨む事も出来ずに星梨花は一人、誰もいない廊下でしょぼくれては、瞳が潤んでいた。


126 : 兄(C) 2020/11/30 11:52:22 ID:w5aHRWrafY

・・・・・・・・・・・・

 その日の夜。『彼』の自宅では普段にはない賑わいを見せていた。泊まり支度を整えてきた昴、ひなた、エミリー、可奈の四人の少女達は、そのリビングで志保を中心に談笑を楽しんでいた。そうした和気藹々と重なる声音は微笑ましく、台所に立つ『彼』の手際は普段にない冴え様だった。

(ひなたは一人暮らしだったし、志保と一緒に泊まって欲しいって思っただけなんだが、可奈とエミリーと昴も来たいって言い出すなんてな)
「しかし、まあ……」

 ちらりと少女達たちが戯れるソファを見る。

(一気に賑やかになったな。三人にも来て貰って良かったかもしれないな。志保の顔も明るい)

 仕方ないと思いつつも『彼』の顔から笑みが漏れる。


127 : 我が下僕 2020/11/30 11:55:00 ID:w5aHRWrafY

「みんな、ご飯だぞー。手を洗って、うがいをしておいで」

 歓談のまま少女たちが歩き出す様は逍遥の如くに、洗面所から戻れば、てきぱきと夕食の準備に加わった。『彼』の傍らで料理を盛り付けるエミリーと志保。ソファ付けのローテーブルに次々と配膳していく可奈とひなた。もう一品足したい、と手早く汁物を作る昴。

 そうして普段のダイニングテーブルではない横長のローテーブルで設えた食卓は皆で囲まれ、明かし暮らす家中に似つかわしくない暖かみを醸し出していた。


128 : お兄ちゃん 2020/11/30 12:08:13 ID:w5aHRWrafY

「なあなあ、ご飯おかわりしていいか?」
「ああ、昴。俺がよそってくるから昴はそのままでいいぞ」
「はぅぅぅぅ……♪ 仕掛け人さまの手料理、誠に美味しゅうございましゅぅ……♪」

 サクリと、しかし、衣の飛散もなく天ぷらを頬張るエミリーはうっとりしていた。

「あ、ああ、ありがとう」
(……なんて、みんなの好みが分からないから素材頼りの料理にしたとは言えないな……)

 盛り付けした茶碗を昴に手渡す『彼』は、裏では苦笑いだった。


129 : おにいちゃん 2020/11/30 12:10:11 ID:w5aHRWrafY

「はい、志保ちゃんの分だよ」

 大皿に盛られた多種の天ぷらを皆が思い思いに取る中、可奈は志保に取り分けた皿を渡せば。

「ありがとう、可奈さん」
「う、うん」

 やけに仰々しい志保に違和感を押し込めたようで若干、返しの笑顔が少し歪んでいた。

「美味しい……。お父さんの料理、とても美味しいんだね」

 志保は一口、食せば『彼』に薄く微笑んだ。その『志保似』の笑顔を横目で見る可奈の箸が止まった。惚けたように目線が、取り皿に落ちる。


130 : そなた 2020/11/30 12:17:35 ID:w5aHRWrafY

 カチャカチャと周りの食器が鳴る一方で静けさ漂う可奈に『彼』の目線が落ち着く。

「どうした、可奈? 食べないのか?」
「はへっ!? た、食べますよーっ!」

 気づけば他の皆も箸を止めて、可奈は不思議がる視線に晒されていた。あはは、と誤魔化し笑いで、天ぷらを口に突っ込み、茶碗の白米を掻っ込む。

 勢い余ったのか。程なく喉詰まりを起こし胸を叩く可奈は、ひなたに茶を差し出され、昴に苦笑い気味に心配されて、赤っ恥も食らった。


131 : せんせぇ 2020/12/01 19:29:16 ID:cpNKZIT3N6

・・・・・・・・・・・・

「志保さんの髪はとても素敵ですね。生粋の黒が、まさに大和撫子そのもの。憧れます」
「そうかな。私はエミリーちゃんの髪のが、きらきらしてて綺麗だと思うな」

 まあ、と志保の艶がかる髪に櫛を通すエミリーが笑う。

 立つ湯気を、露わとなった全身に纏うように、火照る少女たちの肌が薄朱に染まる浴室。所狭しと埋まるように浴槽の可奈、ひなた、昴の三人は、風呂椅子の志保と、その背後で髪をたくし上げたエミリーを眺めていた。

 御髪を洗います、とエミリーの勢いに負かされた志保は頭のむず痒さに、しかし、触れられる心地良さにされるがままだった。


132 : プロデューサーはん 2020/12/01 19:30:36 ID:cpNKZIT3N6

「これだけ素敵な髪なのですから、しっかりお手入れしなくてはいけませんねっ」
「そんな……。そこまでやらなくても……」

 エミリーは自前の洗髪剤一式を持ち込み、それを皆に振る舞っていた。甘やかな香りを可奈から絶賛され、様変わりしたような肌触りを楽しむように、ひなたは、照れる昴の頬をくすぐるように撫でた。

「志保さん、流しますよ」
「うん」

 最後の洗髪剤を流し落とし、自前のヘアクリップで志保の髪をまとめ上げれば、エミリーは曇る鏡越しに志保の顔を覗き込む。


133 : Pサン 2020/12/01 19:31:57 ID:cpNKZIT3N6

「はい、できました。そういえば、志保さんはこのような髪剪みはお持ちでないのですか?」
「うん。お母さんのを借りてたから。今はないの」
「そうですか。あ、では!」

 エミリーは志保の両肩に手を置くと、今度は真横から志保の顔を覗き込む。

「この髪剪みは志保さんに差し上げますから、そのまま使って下さいっ」
「え? い、いいよ。エミリーちゃんの物なのに……」
「いいえっ。一日とは言え、こうして寝食を共にするのも浅からぬ縁とお見受けしますっ。お近付きの印に贈らせて下さいっ」

 志保が困ったように、だが照れるように目を合わせられずにいると、是非に、とまたエミリーは意気込む顔を寄せてきた。


134 : 師匠 2020/12/01 19:33:05 ID:cpNKZIT3N6

「……ありがとう。みんな、優しいね」
「そんな。同じ夢を志す、お仲間ではありませんか」
「同じ夢?」

 志保の眉がぴくんと振れると、エミリーが口篭る。

「い、いえ……。時期に分かります……きっと……」

 力無くだが、明るく振る舞い、笑うエミリー。その作り笑いを見る可奈もぎこち無かった。


135 : プロデューサー殿 2020/12/01 19:34:33 ID:cpNKZIT3N6

・・・・・・・・・・・・

「はい。明日、よろしくお願いします。では、お休みなさい、北沢さん」

 少女の団欒も静まる深夜。ダイニングテーブルにノートパソコンやら書類やらを広げ、『彼』は携帯端末を置いて一息ついた。入れ替わりで手にしたリモコンで消音していたテレビの音声を僅かに上げれば、ニュース番組を横目に手元のマグカップを口に運んだ。

 濃過ぎた、と中身のコーヒーに舌を露にしていると。

「さ、さむっ」

 扉の音が響くより先に、無意識からの甲高い声がつんざいた。己を抱くように縮こまるパジャマ姿の可奈が、扉元に立っていた。


136 : プロヴァンスの風 2020/12/01 19:36:54 ID:cpNKZIT3N6

 裸足でいる彼女に『彼』はスリッパを持って歩み寄る。

「可奈。どうしたんだ、眠れないのか?」
「えっと、あのー。プロデューサーさんとちょっとお話できたらって……」

 お入り、と震える笑顔の可奈を招き入れ、椅子を引いて勧める。止めていたエアコンを運転し、来客用のストールとブランケットを可奈にかければ、手早く用意した湯気立つマグカップを差し出した。

 ふーふーと一口添えて美味しい、とふやける笑みの可奈を横目に、『彼』はテーブルのパソコンと書類を隅に押し寄せた。向かいに座る『彼』は頬杖で可奈の手元が止まるのをじっと見つめている。

 囁くようなニュース音声が夜の静けさを強調しているようで、可奈はカーテンの隙間闇とテーブル隅の仕事道具に目を配った。

「もしかして、お仕事してました……?」


137 : Pサマ 2020/12/01 19:41:46 ID:cpNKZIT3N6

「ああ。でも、休憩しようと思っていたから丁度良かったよ。それで、こんな夜にどうしたんだ」

 両手で添えたマグカップを置くと、可奈はやや上目にマグカップを携える『彼』を見る。

「えっと……志保ちゃんの記憶……早く戻るといいなぁって思って……」
「……そうだな。しかし、随分と改まっているな。それだけか?」

 マグカップに添える指先が、視線と共にそわそわと動く様の可奈に『彼』は目を細める。

「い、いえっ。そんな大した事じゃないなんですけど、やっぱり違うなぁって思って」
「違う?」


138 : プロデューサーちゃん 2020/12/01 19:42:58 ID:cpNKZIT3N6

「あ、志保ちゃんの表情って言えばいいのかな……。志保ちゃんなんですけど、志保ちゃんじゃないような気がして……」
「うん」
「最初は記憶がなくても……志保ちゃんは、志保ちゃんだって……思ってたんです。……でも、やっぱり……やっぱり……違うなって思ってきちゃって……」

 可奈の視線が落ちていく。マグカップの水面に自身の顔が映り込み、気を取り直して顔を上れば、小さく相槌を打つ『彼』を見据える。

「そう考えると……志保ちゃんなんですけど、私の知っている志保ちゃんがいなくなっちゃったって……思えて……きちゃって……」

 指先が力み過ぎたか。可奈が握るマグカップが微動を帯びる。そうした彼女の眉間は、きゅっと絞られていた。


139 : 3流プロデューサー 2020/12/01 19:45:10 ID:cpNKZIT3N6

「わ、私、ああいう友達だけの志保ちゃんじゃなくてっ。私の音程をダメ出ししたり、一生懸命レッスンしている志保ちゃんにやっぱり戻ってきてほしいんですっ」

 威勢と共に姿勢が前に出る可奈に、その瞳に潤みが湧き出るようで『彼』はマグカップを離して、両手を組んだ。

「プロデューサーさんっ。志保ちゃんの記憶、戻りますよねっ。ずっとこのままだなんて、そんなことないですよねっ」

 どんどんと目の色の変わる可奈に『彼』は一瞬、だしろぎそうになるも。

「ああ、そんなことはないよ。戻るよ。必ず戻す」

 間髪入れない『彼』の応えは、可奈の強ばる肩を脱力させる。その顔からまた笑みが零れ、はいっ、と答える可奈の声はまた甲高く、苦笑い混じりに『彼』は温くなった可奈のマグカップを煎れ直した。


140 : 仕掛け人さま 2020/12/01 19:47:01 ID:cpNKZIT3N6

「プロデューサーさんっ。他にも私に出来ることがあったら言ってくださいっ」
「だったら可奈には後の事をお願いしたいな」
「後の事? 何をすればいいんですか?」
「志保の記憶が戻った時、志保をフォローしてやって欲しいんだ。多分、みんなに迷惑かけたって思うんじゃないかな、志保」
「あ、それもそうですねー」
「その時、そんな事ないよってフォローしてやって欲しいんだ。それは俺よりも可奈たちのが適任だと思うから。それに可奈なら、とびきりのフレーズで志保を励ましてくれるだろうしな」
 任せて下さいっ、と小さなガッツポーズを示す可奈の表情は晴れた笑顔に戻っていた。


141 : プロちゃん 2020/12/01 19:48:56 ID:cpNKZIT3N6

「えへへっ♪ プロデューサーさんに、お話しできて良かったですっ♪ お休みなさいっ」

 別れ際、マグカップを飲み干したせいか、頬を染める可奈を『彼』もまた笑顔で見送った。そして、また訪れた静寂が『彼』から笑顔を剥がしたのはすぐの事だった。目線も机上に落ちる。

(この一件、決して猶予は許されない。それはもう仕事だけの問題でもない。志保を取り巻く、みんなのメンタルにも関わってきている……もう静香だけに留まらない……)

 知らずの内に腕を組む。

(可奈のように、年頃の子達が志保の喪失感に敏感になるのも時間の問題だ……。みんなの仲間意識の強さが、今回ばかりは裏目に出てしまった……)

 隅に追いやったパソコンやら書類を手元に戻せば、目立たないタイピングが始まった。

(下手を打つことも許されない。やはり、もっと志保の情報が欲しい。明日の北沢さんへの訪問でも、しらみ潰しに手掛かりを探ろう)


142 : 兄(C) 2020/12/01 20:01:12 ID:cpNKZIT3N6

投下してて思い出しましたが今回、志保のミリシタ本編メモリアルコミュのネタバレに触れる所があります。
今更で申し訳ありません。


146 : ぷろでゅーしゃー 2020/12/08 13:23:51 ID:I2EB35NtH6

・・・・・・・・・・・・

「亜美、真美! つまみ食いするなーっ!」
「うあうあーっ! 昴くんにバレたーっ!」

 キッチンのワークトップ。粗熱取りで、ずらりと並べられた焼き菓子に伸びる二つの腕の主を、エプロン姿の昴がギロリと睨む。掴み損ねた双海亜美、双海真美は似たような誤魔化し笑顔でリビングへ逃げていった。

「ありがとう、そら。休みなのに、お守りを引き受けてくれて。俺が出掛けている間、頼むよ」
「オッケー。お菓子作るって聞いてたから、春香ちゃん達にも声かけたけど、連れてきすぎちゃったかな」

 そんなLDKの隅で、『彼』と早坂そらはキッチンで菓子作りに勤しむ少女たちを眺めた。


147 : Pくん 2020/12/08 13:24:34 ID:I2EB35NtH6

 時は志保の記憶障害より6日目の正午を迎える頃。

 『彼』の自宅では昨日よりも来客が増え、すっかりと大所帯も同様にキッチンとリビングから溢れるような黄色いざわめきが、シック調の間取りに彩りを飾っていた。

「あ、可憐ちゃん。そこの型抜き、取ってくれない?」
「えっと、あ、こ、これだね。ど、どうぞ、春香ちゃん。あ、やよいちゃん、こ、これ、冷蔵庫に、い、入れてくれない?」
「はーい。このトレイごとですねー!」
「春香ー。オーブン、さっきと同じ温度で余熱してくれないかー? 生地焼いちゃうよー」
「はいはーい♪」
「うっうー。どれも美味しそうですねー♪」

 昴の提案で始まった、お茶会の為の菓子作りは、天海春香、篠宮可憐、高槻やよいを加えて、一人住まいでは手に余るキッチンで、そつ無く行われていた。


148 : プロデューサーちゃん 2020/12/08 13:30:36 ID:I2EB35NtH6

「多い分には構わないよ。まあ、やんちゃなおまけがついて来たようだけど」
「ごめんね。来る途中で亜美ちゃんと真美ちゃんに捕まっちゃってさ」

 『彼』とそらが今度はキッチン以上に黄色い声が飛び交うリビングに目を向ける。ひなたとエミリーに加えて、双海姉妹と水瀬伊織が新たな来客として志保の周りを一段と、がやがやとさせていた。

 曰く、この伊織ちゃんを呼ばないのはどういうことよっ、とやよいから送信された菓子作りの風景写真を見るや、10分で駆けつけた伊織が開口一番に『彼』に詰め寄った。

 曰く、はるるん達だけずるいーっ、と七尾百合子、望月杏奈の四人で新作ゲームソフト目当てにショッピングモールに繰り出していた亜美と真美は、買い物袋を下げたそら達一行と鉢合わせ、有無を言わせず押し入った。


149 : 番長さん 2020/12/08 17:10:56 ID:I2EB35NtH6

「しほりん、しほりん。実はね、真美たちずっと気になってたんだよね。どしたら、そんなにでっかくなれるの?」
「せくちーをこころぶっさす亜美たちにもコケツを教えておくれやー。今なら教えてくれそうだしっ」
「そ、そんなこと知らないよ……。気づいたら、こうで……」

 左右から両手の空掴みで迫る双子姉妹の視線に、志保は身を縮こませて困り果てていた。

「やめなさいよ、あんたたち。聞いても、どうせなれっこないわよ」

 志保が持つ黒猫のぬいぐるみと、自身のうさぎのぬいぐるみとで人形劇の真似事に横槍を入れられた伊織が掃き捨てる。ちぇーと不貞腐れる双子は、キッチンを見ては、けっけっけっと笑っている所をエミリーとひなたに宥められていた。

 そんな光景にやれやれと嘆息しつつ、『彼』はそらに向き直る。

「じゃあ、そら、みんなを頼むよ。多分、夕方には帰ってくるから」


150 : プロデューサーさん 2020/12/08 17:12:38 ID:I2EB35NtH6


「ん、分かった。その間にもしかしたら解散してるかもね」

 休みだと言うのに皺のないスーツにネクタイを締めた『彼』から、どことなく物々しい雰囲気を感じたそらは、その肩に手をかければ。

「気張らないでね」

 と、『彼』の仕事鞄と、置き添えられていた紙袋を、その胸板に押し付けた。気を取り直し、『彼』が行ってくると踵を返すと、背後からパタパタと軽やかな駆け足が近づいてきた。

「あ、あの、──さんっ。も、もう、お出掛けしちゃうんですか?」
「ああ、可憐。約束の時間が近いからな」
「あ、あの、でしたら、こ、これ……い、如何ですか」

 髪を纏め上げたエプロン姿の可憐がパタパタと寄ってくれば、『彼』に小皿を差し出した。そこに盛られたのは。

「お、クッキーか。くれるのか?」
「は、はいっ。き、綺麗に焼けたので……お出掛けの前にど、どうぞっ」


151 : 変態インザカントリー 2020/12/08 17:13:50 ID:I2EB35NtH6

 可憐は頬を紅潮させて、何かしらの覚悟か、ぎゅっと目を瞑りてクッキーの小皿を突き出した。頂くよ、と『彼』の指の感触が皿越しに伝わると彼女は、はっとして目を開けて『彼』の感想に固唾を飲み込んだ。が。

「んっ! あつっ!」
「えっ! えっ!?」

 サクリの食感のすぐ後に、舌を焦がすかの熱に耐えきれなかった『彼』の小さな叫びは可憐をビクリと震えさせた。その横で、不思議そうなそらも可憐のクッキーを摘めば、ぽいと口に放る。

「まだ中が熱いみたいだね。でも、すっごく美味しいよ、可憐ちゃん! ね、──さん?」


152 : ハニー 2020/12/08 17:25:21 ID:I2EB35NtH6

 熱気に咳き込む『彼』の肩を叩きつつ、そらは、おろおろしている可憐にウインク一つ飛ばした。むせ返りも収まった『彼』は大丈夫だ、と可憐に笑いかける。

「そうだな。ゆっくり食べれば良かった。でも、上手に焼けてるな。美味しいし、大したものだな」
「ご、こめんなさい~……。あ、あの、お口……だ、大丈夫、ですか?」

 可憐は恐る恐ると手を伸ばせば、『彼』の口元をそっと撫でる。上目遣いの彼女は心配顔ながらも、その頬は赤いままに。

「大丈夫だよ、可憐。少し大袈裟だぞ」
「だ、だって、──くんの事がし、心配だったから……」
「お、おい、可憐……」

 可憐の熱視線に当てられたように『彼』の頬にも僅かな赤味が加わる。その『彼』の慌てぶりに可憐は小さく微笑む。撫でる手をどけようとする『彼』に小さく首を振りもした。


153 : ご主人様 2020/12/08 17:26:59 ID:I2EB35NtH6

「え、えへへ……。あ、あの、今日のこと、こ、琴葉ちゃんには、な、内緒にして下さい……ね……?」
「え? ああ、例の接触禁止のことか」
「うん……。こ、これ以上、──くんと離れてるのは……い、嫌だから……てへへ」

 つい数週間前に田中琴葉に約束させられた『彼』との接触禁止。約束を破れば、漏れなく禁止期間の延長をおまけされる。可憐は忍び目に、でも悪戯っぽく微笑むと、ちょっと待っててと添えて、キッチンに引っ込んだ。

「あ、あの、残り……包んだから、も、持っていって……下さい……」

 取って付けたような敬語の語尾を弱め、可憐はクッキーを包んだ透ける袋を『彼』にまた差し出した。


154 : Pさん 2020/12/08 17:28:39 ID:I2EB35NtH6

「ああ、ありがとう、可憐」

 気を取り直したように何気なく受け取る『彼』だが、そらはその袋に軽い睨みを利かせていた。締め口を、わざわざリボンで結び、所々にハート形のシールが貼られた透明無地の袋を。

「じゃあ、行ってくるよ。そらも可憐もよろしくな」
「はい。行ってらっしゃい、──くん♡」

 いつの間にか集まっていた周囲の訝し気な視線はおろか、すぐ傍のそらの睨みにも気づいてない『彼』は悠然と自宅を後にした。ただ一人、にこやかに『彼』を見送る可憐に、大半の視線が集まっていた。


158 : Pさぁん 2020/12/12 00:13:15 ID:NAC3bVWqCw

「ね、ねえ、可憐。あんた、あいつと、どういう関係なの?」
「え? えっと、ぶ、部下と上司さん、かな……。てへへ……」
「で、でも、何か仲良さそうに呼んでたよね……」
「それは、ほ、ほら。今は名前で呼ばなきゃいけないから……ふ、普通の事だと思うな、春香ちゃん」

 ぬいぐるみを抱いた伊織に睨まれても、キッチンを放り出してきた春香の動揺に晒されても、可憐は照れながらも、にこやかだった。

「うっうー! 昴さんっ。プリンが蒸しあがりましたっ!」
「おおっ、やよい、いい感じに出来上がってるじゃん!」

 キッチンから響く二人の声がやけに遠くから聞こえるような気がした。


160 : ごしゅPさま 2020/12/12 01:33:00 ID:FPAV8wbyyo

 その訝しげな視線の中には志保のそれも混じっていた。伊織と盛り上がっていた絵本談義を中断された主に近づいては、一歩迫る。

「か、可憐さんっ。わ、私も、お父さんにお菓子、作るっ」
「う、うんっ。じゃあ、一緒に作ろう。クッキーの型抜き、や、やってみる?」

 志保がキッチンに向かっていくと亜美、真美も面白そう、と後ろについて行った。志保がエプロンをつけだすと、リビングの少女達も何か何かと、こぞってキッチンを覗き込もうととしていた。

 パシャ……パシャ……

(──さん、面倒な置き土産してくれる所だったなー。可憐ちゃん、完全に恋する乙女なんだけど……。これはこれで美味しい場面だからいっか)

 ピンポーン……

 そんな光景を自前のカメラに収めていたそらだったが、唐突に鳴ったインターホンに応対すれば目が点になっていた。


161 : ごしゅPさま 2020/12/12 01:33:57 ID:FPAV8wbyyo

・・・・・・・・・・・・

「そうですか……。プロデューサーさんは留守ですか……」

 しょんぼりと声のトーンを落とすは、招かれざる来客、詩花だった。詩花の登場に皆が皆、一様に驚いたが、場に溶け込むのもすぐの事だった。応対したそらも家に上げるか迷ったものの、詩花から。

「プロデューサーさんとは懇意にさせて頂いていますから大丈夫ですよ」

 と、押し通らんばかりの言葉に、半ば呆然として通してしまっていた。961プロダクションの新星という世の期待を背負い、時の人とも謳われかねない存在の来訪に頭を悩ませつつもシャッターを切らずにはいられないそらだった。

(可憐ちゃんといい、詩花ちゃんといい、どうなってんだろ。でもま、今の私は保護者だし……見守るだけ、見守るだけ……)

 何食わぬ顔でキッチンにカメラを向けるそらだったが、ソファ辺りから、やいのやいのと飛び交う話し声に振り返った。


162 : Pはん 2020/12/12 01:37:33 ID:FPAV8wbyyo

「詩花さんって突然、──さんのお家にく、来るんですね。お休みじゃなかったら、ど、どうしてたんですか?」

 ソファの詩花に、ハーブティーを振る舞う可憐は、すっかりキッチンから離れてやや前のめりになっていた。

「大丈夫です。プロ……じゃなくて、お兄さまのスケジュールなら全部知っていますから♪」

 一口飲み、音も立てずにソーサーにカップを置く詩花は満面の笑みだった。可憐はトレイを持つ手が滑りそうになり目を丸くする。

「えっ!? お、おに……? で、でも、突然来るなんて、し、失礼だと、お、思いますっ」

 引き攣る笑顔で詩歌の隣に腰掛け、トレイを置く可憐は混乱したままの頭で痙攣を起こしたような手を自分のカップに伸ばす。詩歌は変わらずニコニコとまた一口紅茶をすする。


163 : 彦デューサー 2020/12/12 02:14:02 ID:FPAV8wbyyo

「でも、来たいって言っても、お兄さまは必ず断るのでもう聞くのやめたんです。合鍵も貰いましたから、来ようと思えばいつでも来れますし♪」
「ぶ、ふぇ、えぇっ!? あ、合鍵っ!? ど、どうして、し、詩花さんが……」

 個人的でいて唐突なパワーワードに可憐は目を見開いては、煽った紅茶を吹き出しそうになった。思わず周りをキョロキョロと見渡すが、皆、キッチンで菓子作りに夢中になっているのでホッとした。

「ふふ♪ お兄さまの生活を見守るのも私の役目ですから♪」

 尚も詩花は笑顔で、可憐におかわりを頂けますかと問いかける。ティーポットを持つ可憐の笑顔と語調に影が入っていく。

「……──くんなら私が見ていますから大丈夫ですよ。今日もお元気そうで、私の作ったクッキーを美味しいって言ってくれました。ちゃんとお見送りもしましたから」


164 : Pサン 2020/12/12 02:15:35 ID:FPAV8wbyyo

「あ、あら。そうなのですか」

 ピクリとカップを持つ詩花の手が止まる。

「詩花さんだって、お、お仕事で忙しそうですし、お、お休みの時くらい、ゆ、ゆ、ゆっくりしたほうが、い、い、いいんじゃないんですか?」
「はい♪ こうしてお兄さまのご自宅でゆっくりしていますから♪」

 またカップを運ぶ詩花が雅やかな様で可憐は、どことなく胸中がむず痒い心持ちではあった。まだ震える手で手元の茶菓子を詩歌に勧める。

「い、いけないと思います。う、売り出し中のアイドルさんが、よ、他所の事務所の、し、しかも男性の家に出入りしてるなんて」


165 : プロデューサーさま 2020/12/12 22:18:47 ID:FPAV8wbyyo

「それは可憐ちゃんも同じことじゃないですか」
「わ、私と──くんは、と、と、と、と、特別なか、か、か、関係ですから、い、い、いいんですっ」

 言いながら茹で蛸も逃げ出す程の赤面に染まる可憐を、くすくすと微笑えむ詩花が口元を手で隠す。

「でも、可憐ちゃんとお兄さまは仮初のご関係なんですよね? 実は私、アイサマで、お兄さまと出会ってから、こうしてお家に通っているんですよ♪」
「えぇっ!? あ、あの時から……ですか……」

 過去開催されたアイドルサマーフェスティバル。961プロダクション側の出演者として詩花が訪れていた。可憐も765プロダクション側で出演しており、アイサマは詩花との出会いの場にもなっていた。


166 : Pくん 2020/12/12 22:19:39 ID:FPAV8wbyyo

「はい♪ 不遜ながら可憐ちゃんよりお兄さまのことはよく知っているつもりですよ♪」

 上機嫌を崩さない詩花に、可憐はスカートの端をきゅっと握り、上目で精一杯の睨みを効かせる。

「む……。でも、仲の良さはわ、私の方がう、上ですっ。お、お付き合いだって、わ、私のほうがな、長いですっ」

 ぴくんと詩花の眉が動けば、その笑顔が若干引き攣る。

「ま、まあ、可憐ちゃん。それは、き、聞き捨てできませんね……。こ、こう見えても私とお兄さまは、一言では語れない間柄なんですよっ」

 いつの間にか出来上がった詩花と可憐の空間に、遠目からシャッターを切り続ける、そらの表情は何とも白々としていた。

(やっぱ、後で──さん、問い詰めよ)
「ちょっと可憐、何してるのよ。詩花も来たなら手伝いなさいよ」

 詩花と可憐が静かに微笑み合っている所で、不機嫌顔の伊織が仁王立ちで二人に立ちはだかる。ハッとして二人は伊織に尻を叩かれてキッチンに加わった。


167 : 変態大人 2020/12/12 22:22:54 ID:FPAV8wbyyo

・・・・・・・・・・・・

「ここで志保が何かをしていた、ですか……」
「はい。多分、何かを探していたんだと思いますけど」

 訪れた北沢家の和室。

 『彼』は、志保の母親に連れられた、その周囲をぐるりと見回した。下には色褪せた畳、上には紐が垂れた吊下げ灯。横には所々に小さな穴が目立つ襖。そんな風景が陽射しを受けて囁かに反射していた。

「事故の前の晩、そこの収納棚の前で、じっと立ってて、声をかけたんですけど、何でもないって言って部屋に戻ってしまって……」

 母は伏し目がちに、その収納棚に視線を向ける。一瞬、見えた横顔の端々に浮かぶやつれに『彼』は唇を僅かに絞る。

「でも声をかける前に、あの子、こう言ってたんです。『お父さんさえ、いてくれれば』って……」


168 : プロデューサーちゃん 2020/12/12 22:24:43 ID:FPAV8wbyyo

「……普段から志保は、そういうお父さんを思うような事を……口にするのですか?」
「いえ……そんなことは……。ただ、表に出していないだけじゃないかと……」

 母の言葉には、ただただ申し訳なさが濃くなるばかりだった。それを横目に『彼』は、冷徹に思案した。改めてぐるりと見渡すが、やはりめぼしい物は見つけられない。棚以外は。

「すみません。そこの棚を見せてもらえませんか?」
「ええ、どうぞ。殆ど物置状態で、お恥ずかしいですけど」

 母は観音開きの収納棚を開けると、おずおずと『彼』の後ろに下がった。『彼』は一礼の元、収納棚に視線を走らす。下は備蓄品から始まり、普段使わない道具類を分別した収納箱が所狭しと収まっていた。その中で端に寄った大判で分厚い本を数冊、見つけた。


169 : プロデューサー 2020/12/12 22:26:26 ID:FPAV8wbyyo

「これは……アルバムですか?」
「はい、そうです」
「……失礼ですが、中を拝見します」

 母の了解を待たず、手に取りペラペラとめくれば、北沢家の団欒が至る所に散りばめられているものの、父親と思しき、男性はそこにはなかった。

 アルバムを見続ける中、志保が高学年に差し掛かった頃からの写真が減っているように思えた。小学校の卒業式など行事の記念写真はありはするも、日常的な写真は明らかに少ない。最後の写真は志保の制服姿のもの。背景に舞い散る桜と建物が見えるその様子は、中学校の入学式やもしれない。

 敢えて、母に父親の写真は聞かず、アルバムを戻そうとした隙間の奥で暗闇に紛れた包みが目に入った。それは少々くたびれた巾着だった。それが妙に気にかかる。


170 : Pサマ 2020/12/12 22:27:55 ID:FPAV8wbyyo

「すみません。こちらの巾着は何でしょうか?」
「あ、それは……その……我が家の……家計が入っています」
「あっ! す、すみませんっ」

 不躾のあまり動揺した『彼』は、大袈裟な手振りで巾着を戻そうとした所で手を滑らせてしまった。床に放り出された巾着は、口を開けて中身を、さらけ出していた。

「ご、ごめんなさい。すぐに……ん?」

 巾着より姿を現した銀行通帳の名義に『彼』の動きが止まった。『北沢志保』の名義の通帳。『彼』は無作法者のレッテルも忘れて、それを手に取った。


171 : 箱デューサー 2020/12/12 22:30:22 ID:FPAV8wbyyo

「すみません。志保の銀行口座はお母さんが管理されているんですか?」
「いえ、それは、あの子のお給料の貯金用として私が作ったあの子名義の口座なんです」
「そういえば、以前、お話されていましたね。志保は、自分の給料をお母さんに全部渡しているって。それをこの口座に貯金されているんですか?」
「はい。お給料のお金は、家計と一緒に大切に保管しています。……それが何か?」
「そうですか……。すみません、中身を拝見します」

 『彼』は状況が掴めない母を背に、通帳の1ページを開いた。なんて事はない。給料日の翌日が決まった振込日になっているようだった。

(正確な給料の金額は分からないが、ほぼ全額渡しているようだな。……しかし、この通帳、何か気になる……ん?)

 さっと目を通し2ページ目を開こうとした所でページに引っ掛かりの感触を覚えた。どうやらページ同士が接着されているようだった。そろそろと開けた2ページ目は中間部分で記帳が終わっていた。

(記帳はここで終わりか。しかし、真ん中に何か濡れた跡があるな。水でも飛んだのかな?)


172 : EL変態 2020/12/13 19:56:04 ID:Bp0KfkJLG2

「あ、あの……プロデューサーさん?」

 通帳に沈黙の睨みを効かせる『彼』は母の困惑気味の声にハッとした。他所様の家財を撫で回している無礼を改めて実感してまた慌てた。

「すみませんっ。この巾着は元の場所に戻しておきますねっ」
「あ、いえ、私に下さい。本当はここにしまっておくものではないので」

 え、と振り返る『彼』は違和感に頭を引っ張られた。そんな引っ掛かりを残したまま巾着を母に手渡した。

「そうなんですか。普段は違う場所に保管しているのですか?」
「はい。事故の前日が、あの子のお給料日だったんですけど、忘れずに貯金しに行こうと思って、そこに置いておいただけなんです。でも、事故が起きてから、それ所じゃなかったので置きっぱなしにしていました」
「そう、なのですか……」

 違和感の正体が分からないまま、『彼』はまた辺りを見渡すものの、めぼしい情報も掴めなかった。志保の事故近日での行動歴を尋ねる位がもう関の山だった。最後に菓子折りを手渡して北沢家を後にした『彼』の顔色は疑問の一色で塗り固められていた。 


173 : プロデューサー殿 2020/12/13 19:56:45 ID:Bp0KfkJLG2

・・・・・・・・・・・・

「お父さんさえ、いてくれれば……か」

 夕暮れ迫る帰り道。

 愛車のハンドルを握る『彼』は何気なく呟いた。心持ちは思考の渦を辿っていたが、車間距離を充分に保ちつつ、レーンから逸れる事もなく、運転は順調だった。

 カーオーディオを停止したままで、車内に響くは、アスファルトの破片が、どこかのウインドウガラスに弾けた、こつんとした衝突くらい。

(志保が心の奥底で、父親を求めるのも頷けるし、今までだってそういった意識があったとも思う……しかし)

 志保の歩んできた道は、極一般的な子供のそれには当てはまらないのかもしれない。されど14歳の少女に変わりはない。そんな少女が、いるはずの父親を欲することには不思議はないのかもしれない。


174 : せんせぇ 2020/12/13 19:59:54 ID:Bp0KfkJLG2

(記憶が逆行しているのに、記憶にないはずの俺をお父さんと呼ぶのはどうにも不可解だ……。まさか、俺と志保のお父さんが似ているという訳でもあるまいし……。百歩譲って、それをよしにしてもだ……)

 右折した所で、西日の逆光に目を細め、『彼』は無意識にサンバイザーの角度を目元に合わせた。

(何故、今それが起きた……? 俺が家族インタビューの仕事を持ってきたから? 単純に頭を打ったから? それとも……)

 今まで起きた出来事を並べても『彼』の中では所詮は切っ掛けに過ぎないのではと推論に至る。もっと核心に迫る何かがあったのではないか。


175 : 夏の変態大三角形 2020/12/13 20:09:34 ID:Bp0KfkJLG2

 脇道に入った所で、横断歩道での人影が視界に入り、一時停止から歩行者の横断を待った。無意識の周囲確認後、発進させた。

(もし、志保の中で既にショッキングな事があったとしたら……。それこそが本当の引き金……。俺が仕事の話を持ちかけて志保が事故に遭うまで二日間……その間に何かが起きた可能性も捨てきれない……)

『お父さんさえ、いてくれれば……』

 事故前日、志保の呟きを反芻する。そこに込められた真意を無作為に探っていると、愛車は自宅マンションの地下駐車場への入場ゲートをくぐり抜けていた。

(志保が父親を求める、その心は……)

 答えを出せないまま、気づけば愛車はいつもの駐車スペースでエンジンと共に停まっていた。何気なく吐いた嘆息は、しんとなった車内で嫌に響いた。

 車外に出た時、バンとやたら大きな音がしたと思ったら、戸閉の力加減を誤ったことに気づいた。『彼』は省みつつ、遠隔操作での施錠音を最後に自宅へと向かった。


176 : 2020/12/13 20:30:04 ID:Bp0KfkJLG2

・・・・・・・・・・・・

「お兄さま、おかえりなさい」
「あれ、詩花。来てたのか」

 玄関口でスリッパに履き替えていると、パタパタと駆ける音に顔が上げれば、笑顔の詩花がいた。荷物をお持ちします、との詩花の申し出を断る前に半ば強引に鞄を奪われた『彼』は、やれやれと、彼女の後に続いて、リビングに向かった。

「はい。みんなと一緒に色々遊んでいました。志保ちゃんは疲れちゃったみたいで今は寝ていますよ」

 詩花はリビングとは反対方向の寝室に目線をやり、口元に指を立ててみせる。
 それに釣られて『彼』も声のトーンを落とした。


177 : Pさぁん 2020/12/14 19:44:01 ID:rPVfNNJolU

「そうか。他のみんなは帰ったのか?」
「はい。今、そらさんが皆を送っています。それと百合子ちゃんが、お兄さまを待っていますよ」
「百合子も来てたのか? なんだろう」

 聞けば、『彼』が外出した後、間もなくやってきたという。何でも『渡したい物』があってお話があるそうです、と詩花に説明されながらリビングに入ると奥のソファでちょこんと座る百合子がいた。傍らのテレビ画面では、アニメ調のロボットの全身像が光り輝くエフェクトを放って固まっていた。

「プロデューサーさん。荷物を置いてきますね」
「あ、ああ。ありがとう、詩花」

 そんな画面に気取られてると背後の詩花にジャケットを脱がされ奪われた。さっと振り向けば、詩花は既に荷物を手に寝室へと足を向けていた。『彼』は頭を掻きつつ、やたらと、ぎこちない面持ちの百合子に向き直った。


178 : 仕掛け人さま 2020/12/14 19:45:18 ID:rPVfNNJolU

「お、お邪魔してますっ、プロデューサーさんっ」

 直交型に置かれたソファ。百合子の対角上に、『彼』が腰を下ろすと、彼女は膝上スカートから伸びる足を、太腿からぴっちり閉じては、やたらと背筋を伸ばしていた。

「ああ、いらっしゃい。俺を待っていてくれたんだってな。相談事か?」

 『彼』はネクタイを緩め、第一ボタンを外すと同時に、百合子から小さな悲鳴を聞いた。え、と顔を上げれば、百合子は両手で顔を覆っていた。指の隙間から覗く視線は、しっかりと『彼』から動かない。

「こほん。プロデューサーさん、仮にもお客様の前なのに、襟元がだらしないですよ」

 咳払いが大袈裟な詩花は、『彼』の前にコーヒーカップを置けば、その開いた首元、鎖骨部分を不機嫌そうに睨みつけた。そうかな、と不思議そうに『彼』はネクタイを締め直すと、ほんの少し頬の赤い百合子に向き直る。


179 : プロちゃん 2020/12/14 19:45:57 ID:rPVfNNJolU

「い、いえっ。あ、あのっ、話していた本のことなんですけどっ」
「本? ああ。一昨日、仕事の帰りに車で話してたあれか」

 途端に百合子が、ずいっと顔を寄せてきて、カップに口をつけようとした『彼』は、その手を止めた。やけに百合子の瞳が輝き出していた。ほんの少しだけ『彼』の腰が引けた。


180 : ボス 2020/12/14 19:48:29 ID:rPVfNNJolU

「はいっ。私も気になって気になって、家の本棚をひっくり返す勢いで探したんですっ。それで、ちゃんと見つかりましたっ。一応、内容も確認したんですけど間違ってなくて、それでやっぱり面白くて、そのまま一気読みしちゃって、やっぱり、これは名作だなぁって惚れ直しちゃいましたっ! それでプロデューサーさんにも是非読んで欲しくて、今日はちょっと強引かなって思いましたけど、プロデューサーさんのお家に入れるチャンス……じゃなくて、亜美ちゃんと真美ちゃんに誘われて、今日は一日、みんなと遊んでたんですっ。みんなで作ったクッキーやケーキがとっても美味しくて、ゲームなんかもしたりして、もう時間を忘れるとはまさにこのことですっ。こんな事なら杏奈ちゃんも呼べば良かったなぁって思ったんですけど、杏奈ちゃんは今日限定のレイドボスに挑む使命があったので断腸の思いではありますけど、泣く泣く断念しましたっ。私も夜からですけど、微力ながら杏奈ちゃんに助太刀しますっ。あ、勿論プロデューサーさんもお誘いしようかと思ってたんですけど、今は志保の事があるし、忙しそうなので今回だけは、これもまた断腸の思いで諦めましたっ。


181 : ぷろでゅーさー 2020/12/14 19:48:51 ID:rPVfNNJolU

それで、みんなが帰っちゃう時は急に寂しくなっちゃって、寂しさのあまり今夜は枕を濡らして寝るのかなぁって妄想してましたけど、でもどうしてもプロデューサーさんに本を渡さなきゃって大切な使命が私にはありましたからっ。少しでも志保の助けに役立てるならと思いまして、こうして待たせて貰ったんですっ。でも、プロデューサーさんを待っている間は詩花さんオススメのアニメを見せて貰ってたんですけど、これが良くてですねっ。ロボット物……いえいえ、正確にはロボットのプラモデルがバトルするってお話なんですけど、手に汗を握るバトルシーンは勿論っ、プラモデルに込めるキャラ達の想いのぶつかり合いも切ないシーンとかありまして、これがまた、ジーンと来てしまったんですっ。それで、ワンクール分を一気見していました所にプロデューサーさんが帰ってきて、今まさにの白熱シーンで時を止めていたのですっ」


182 : ボス 2020/12/14 19:50:02 ID:rPVfNNJolU

「そ、そうか。百合子は今日一日を満喫できてたんだな」

 言葉の波に呑まれ、いつの間にか空になっていたカップをソーサーに戻した『彼』は苦笑い混じりだった。気づけば、百合子は自分の真隣にまで迫っている。余程興奮しているのか。百合子の鼻息が頬をくすぐる。

「はいっ、そうなんですっ」
「それは何よりだ……。ああ、それで詩花もついていてくれて」
「はいっ、そうなんですっ」

 いつの間に反対隣に席を詰めていた詩花もまた瞳を輝かせていた。一歩退こうにも、ほぼ密着する百合子に阻まれ、『彼』は、よく分からない板挟み状態で迫る詩花の顔をまた苦笑いで迎えるしかなかった。


183 : der変態 2020/12/14 19:50:41 ID:rPVfNNJolU

「百合子ちゃんって初めて見た時から絶対趣味が合うかなって私、思ってたんですっ。しかも、今日こうしてじっくり話せる機会が出来るなんて運命を感じましたっ。念の為にと思って布教用のボックスを持ってきておいて正解でしたっ。このアニメは色々シリーズがあるんですけど、私は、今映しているこのシリーズがやっぱり一番お勧めなんですっ。でも、本当は別のロボット物を勧めたかったんですけど、それは結構、男の子よりで遠慮したんですっ。あ、勿論、見所はたくさんあるんですよっ。例えば、テレビ版では熱血的でヒロインと結ばれた定番の正義感の主人公が、劇場版では情け容赦ないダークヒーローになっちゃう所とかっ。その理由も聞けば、ぐっと来ちゃって……これも布教用にボックスを持ってるんですっ。プロデューサーさんも良かったらどうですかっ! あ、百合子ちゃんも是非どうですかっ。今見た貰ったものより、シリアス寄りになっちゃうかもしれませんけど、きっと気に入って貰えると思うんですっ」


184 : レジェンド変態 2020/12/15 18:47:28 ID:.Iu1M89ovE

 二人とも中々の早口で途中、聞き取れない部分もあり『彼』は、彼女たちが何に花を咲かしているのかも分からないまま、井戸端の中心に座らされたままだった。二人の尽きない会話が飛び交う状況は、それだけで喉が乾いてくる。

「所で、百合子。本を持ってきてくれたんだよな」
「あ、はい、そうで……って、きゃぁぁぁぁぁぁっ! ど、どうしてプロデューサーさん、そんなにも私の隣に座っているんですかぁぁぁぁぁっ!」

 どこで途切れるかも知る由もない会話の中、少女たちの呼吸の合間を突いた『彼』を見上げた百合子が叫び声と共に、ソファを伝って後ずさる。端際のクッションで、真っ赤になった顔を覆った。

「どうして、プロデューサーさんはいつもいつも、そうなんですかっ。いい加減にしないと私も本気でアレしちゃいますからねっ。いいんですかっ。本気でアレですよ、私っ、本気ですよっ」


185 : プロデューサーはん 2020/12/15 18:48:24 ID:.Iu1M89ovE

 防音に優れる壁で良かったと思いつつ、『彼』は首を傾げて、何かを思いついたように、クッションの端からの睨みつけに対して腕を広げてみせた。

「百合子が、いつでも本気だって事は俺もよく分かってるぞ。いつでも、ぶつかってこいっ」
「うえぇぇぇっ! な、何言ってるんですかっ! プロデューサーさんのエッチ!」

 ボンッと何かが脳裏で弾けた百合子は、耳たぶや首元の端という端まで余すことなく赤面になれば、乱暴にクッションを『彼』に投げつけた。顔面でバウンドさせ手元でクッションをキャッチした『彼』がまた首を傾げた。

「わ、わ、わっ」

 投げつけた反動だろうか。百合子はバランスを崩してソファから逆さまに転げ落ちた。どしんの音と共に、お尻が頂上になった百合子のスカートは開け透けに、その純白な中身をさらけ出していた。


186 : あなた様 2020/12/15 18:49:58 ID:.Iu1M89ovE

「だ、大丈夫、百合子ちゃんっ」

 年頃の少女のあるまじき格好に、ソファの『彼』は視線を明後日にやり、詩花は慌てて駆け寄り、百合子を起こしあげた。

「あうぅぅぅ……短いのにしてきたのに……かっこわる……」

 百合子が赤面しながら服装を整えている姿に、カップに口をつけた『彼』は思わず吹き出しそうになった。

「……百合子。落ち込んでいる所、すまないけど……後ろ……」
「え、後ろ? ……え?」

 やや遠目の『彼』から一目で映った百合子の後ろ姿。不思議そうに百合子が振り返り、そういえば腰辺りに違和感を感じる、と目線を下ろせば。


187 : そなた 2020/12/15 18:51:01 ID:.Iu1M89ovE

「ぎゃぁぁぁああああぁぁあああぁぁぁっ!」

 下着の中にスカート端が食いこんで、またしてもそのお尻が露わになっていた。百合子は、またしても顔の端という端まで真っ赤になり、奇声のような叫び声と共に駆け出した。

「もういやぁぁぁぁっ! 本、貸しますから読んで下さいっ!」

 ばたん、とリビングの扉が閉めて嵐は去っていった。残された詩花もポカンとして『彼』に振り返ろうとすると。

「感想聞きますからねっ! いいですねっ!」

 ガチャっと乱暴に開けられた扉から涙目の百合子が『彼』を睨みつけ、失礼しますっと、やけくそな挨拶を最後にまた去っていった。


188 : 仕掛け人さま 2020/12/21 12:26:27 ID:8jnN8rNeaA

「詩花。すまないけど、百合子を送って行ってくれないか? それと時間も遅くなってきたから、お前もそのまま帰れよ」
「ええっ。そんな、まだ全然お会いしたばかりじゃないですか」

 ぶーぶー文句を言う詩花の背中を押して玄関口に追いやると、今度はちゃんと時間を作ってもらいますからね、と『彼』を睨み、詩花は百合子を追いかけていった。

 やれやれとリビングに戻れば、ソファの脇に置かれた小さな紙袋の存在に気づいた。これか、と手にすれば中身のハードカバー本を一見。

「24人のビリー……?」


189 : 師匠 2020/12/21 12:27:25 ID:8jnN8rNeaA

 裏表紙に書かれているあらすじを眺めていると、また今度読んでみるか、と何気なく袋に戻そうとした所で、その手が止まった。思い付いたように改めて、本をまじまじと見据える。

「そうか……。百合子はそう感じ取ったのか……」

 何気なく呟き、『彼』は本を脇に抱き込むように持ち直した。

 その後、程なくして皆の見送りから戻った、そらはまたね、と軽快に去っていこうとした。何か礼でもと、『彼』が提案するも。

「んーん、今日はいいや。これから歌織さんや風花ちゃん達と集まる約束してるからさ」

 と、また軽快に断られた。みんなによろしく、と『彼』の言葉に頷き、爽やかな笑顔を残して、そらもまた去っていった。少女たちの喧騒が嘘のように消えたLDKに一人佇む『彼』は物寂しさにくすぐられ、ふっと哂う。

 キッチンカウンターに見慣れぬ便箋を見かければ、春香を初めとした皆からの書き置きだった。その内容に口元を綻ばせば、冷蔵庫のマグネットクリップに挟み込んだ。百合子の本を携え、『彼』は静かに寝室へと足を進めた。


190 : ボス 2020/12/21 12:29:20 ID:8jnN8rNeaA

・・・・・・・・・・・・

 『北沢志保』は夢を見ていた。

 そこでは、いつもの物静かな自分がいて、多くの少女たちに囲まれて団欒に興じていた。歳近い友人たちを囲った食卓に、暖かみを増した入浴で親愛の印にと贈り物を貰った。夜も更けて父たる『彼』から注意されるまではしゃいでいた自分たち。定員越えのベッドに皆で身を寄せ合った窮屈感が心地良い。

 『北沢志保』は夢を見続けていた。

 そこでは、数多くの友人と共に穏やかな休日を過ごしていた自分がいた。うさぎのぬいぐるみを持つ伊織と人形劇の真似事に興じたり、よく似た顔の亜美、真美にからかわれたり、やや男勝りな印象とは裏腹に繊細な手作業を悠々と熟す昴の手解きで菓子作りにも挑戦していた。皆が皆、ただの友人として自分の周りを取り囲っていて心地良い気持ちだった。


191 : プロデューサーはん 2020/12/21 12:31:24 ID:8jnN8rNeaA

 『北沢志保』は夢見良い眠りについたままでいた。どことも分からず、ただただ黒が渦巻くだけの時間を感じない永劫の空間の中で。

 そんな 『北沢志保』を遠くから見据える小さな少女。暗黒の空間を漂う《小学生の志保》の口元が微笑んでいた。

《そうだよ。志保ちゃんは楽しい夢を見ていていいの……。もうすぐ、全部が変わるからね……》

 誰に言うでもない《小学生の志保》がくるりと振り向くと、すぐそばにもう一人の《志保》が膝を抱えたままで眠り、闇を漂っていた。その寝顔の安らかさが《小学生の志保》をくすりと笑わせる。だが、それも束の間、その顔色が無に帰る。そうして、横目を向けた空間に一人の少女の像が映し出された。黒の髪が長く、青の衣服が目立つ少女、最上静香の立像が、そこにあった。


192 : プロデューサーちゃん 2020/12/21 12:32:40 ID:8jnN8rNeaA

《あの子さえ……近寄らないでいれば……。もっと……追い詰めなきゃ……戻させるもんか……》

 《小学生の志保》が、静香の立像に向かって手を振れば、それは上下から押し潰されるようにして消えてしまった。くすくすと笑い、膝を抱える《志保》に寄れば、その頭をそっと撫でた。

《もうすぐ……もうすぐ……14歳になれるからね……。そうしたら、みんな、一緒にいられるから……お母さんもきっと……喜んでくれるから……》

 《小学生の志保》の微かな笑い声だけが、この暗黒を支配していた。『北沢志保』と《志保》は深く深く眠りについていた。


193 : 彦デューサー 2020/12/21 12:35:09 ID:8jnN8rNeaA

・・・・・・・・・・・・

「ん……」

 蠢くようにうつ伏せの顔をシーツから上げれば、周囲はすっかりと明るみが沈んだ後だった。布団を除けて、起き上がった志保は皆で過ごした昼間のお茶会が嘘だったのでは消沈しそうになった所で、寝室の片隅にぼんやりと薄明りに照らされる背中を見つけて、笑顔が戻った。

「お父さん、帰ってたんだね」
「お、志保。起きたか。ただいま」

 隅に寄せた小机の簡素な椅子に腰かけ、振り向く『彼』はナイトライトに照らされていた。志保は眠気で閉じてしまう目をまたこすり、よたつく足取りでベッドから降りて『彼』の元に寄れば、その肩に両手を添える。


194 : Pたん 2020/12/21 22:39:52 ID:GkIJ0pkvQk

「おかえりなさい。私が起きるの待っていてくれたの?」
「ああ。起きた志保が不安がるといけないからな」
「えへへ……。ありがとう、お父さん」

 上機嫌な志保は、足を折り、腰を下ろせば、『彼』の太ももに頬を摺り寄せた。薄暗い灯りが何故か暖かく感じる。どうした、と『彼』が志保の頭を撫でると彼女は語りだす。

「今日、とても楽しかったの。みんなで色々お喋りして、お菓子もたくさん作って、いっぱい遊んだの。みんな、とっても優しかった」
「そうか。みんな、いい友達だな」
「うん。ありがとう、お父さん。昨日と今日……素敵な時間を作ってくれて」

 甘える志保を『彼』は微笑ましく思ってしまった。『彼』にとっては昨日の『お泊り会』も今日の『お茶会』も志保の記憶を取り戻す足掛かりになればと思っていてのこと。目の前の志保は、志保であって志保ではない13歳の少女だ。だが、例え偽りでも、この自分に縋る少女を無下にすることはできなかった。『彼』は、そうか、と頭を撫でるのが精一杯だった。


195 : 仕掛け人さま 2020/12/21 22:50:38 ID:GkIJ0pkvQk

「また、こんな時間ができるといいな……。このままずっと……続けばいいな……」

 そんな時間はもうきっと来ない。これまで、幾度と記憶のない志保の願いを『彼』は心の中で否定し続けていた。だが、志保に刺激を与える事を躊躇する『彼』は二の足を踏むばかりだった。今だって、自分の足元に擦り寄る志保の頭を撫でることしかできない。

「志保……。お風呂に入って、もうお休み」

 ぽんぽんと頭を摩られた志保は、顔を上げると改めて微笑む。うん、と頷くけば踵を返して寝室を後にする。が、扉に手をかけた時、『彼』に振り向き、照れくさそうに。

「お父さん……今日も……一緒に寝てくれる?」

 捨てられた仔猫のように鳴く言葉を放るものだから、『彼』は頷く以外の選択肢が見つからなかった。頬を染め浴室に向かう志保の軽やかな足取りは扉を閉めた後でもよく聞こえた。


196 : Pサン 2020/12/21 22:54:20 ID:GkIJ0pkvQk

(甘い……)

 一人になった『彼』は俯く額を手で支えれば思わず嘆息しては、僅かに首を振った。そして、耽るように目を閉じ、開けた次には仄かに照る小机の本に目を向けた。

(いや、悲観してる場合じゃない。百合子が持って来てくれた可能性……これを調べてみるべきだ)

 ナイトライトで影を帯びる百合子の本。半分まで捲ったページに栞を挟み込めば、その横の携帯端末を手に取った。 


197 : 変態大人 2020/12/22 21:19:43 ID:11prQNDx.I

・・・・・・・・・・・・

「はぁ……」

 夜風の冷たさが、ほろ酔いを覚ましていく街中で、豊川風花は女子会のメンバーたちと別れて、帰路についていた。

 桜守歌織、馬場このみ、百瀬莉緒、北上麗花、早坂そら達を交え、 酌み交わした小さな店で皆に、志保の症状を尋ねられていた。成人であるものの妙齢の女性たちは風花を通じて、事の成り行きを見守っていた。

 志保の症状を『彼』より逐一報告を受けていた風花は飲みの場でも苦笑いが続いていた。当初、志保の記憶は小学生になり、そして中学生へと変わる。が、またその後に小学生、中学生と、ころころ変異する志保の記憶に風花は頭を痛めていた。昔の同僚にも何人か当たってみたものの、各々の頭を悩ますばかりだった。


198 : 貴殿 2020/12/22 21:20:46 ID:11prQNDx.I

(困ったなぁ。色々調べてみても全然収穫なし……。何か新しい切り口でも探した方がいいんじゃ……はぁ……)

 そんな彼女は、飲みのメンバーから激励を受けたが、酔いの後押しが消えた帰り道では、心のため息を吐かざるを得なかった。そんな折、バッグの中で振動する携帯端末を手に取れば、なんだろうと小首を傾げる。

「はい、豊川です。お疲れ様です、プロデューサーさん。……調べてほしいこと? はい、なんですか?」

 周囲を確認しつつ、道端に寄れば二、三のやり取りで風花が、え、と電話の先の『彼』を見るように耳の端末に横目を向けた。慌ててバッグから携帯手帳を取り出した

「……志保ちゃんが……多重人格の可能性……?」


202 : レジェンド変態 2021/01/03 21:54:47 ID:p8ZZ2X83jU


・・・・・・・・・・・・

 志保の記憶障害も7日目を迎えようとした今日、765プロライブシアターでは定期公演の当日を迎えた。午前より各設備の最終調整と共に、全体のリハーサルも滞りなく進行していた。

 日没に差し掛かる頃、劇場を開場すれば、モギリを担当する音無小鳥と、青羽美咲の代打を志願した桜守歌織はエントランスカウンターで、今か今かと待ち焦がれる観客達に笑顔を振りまいていた。併設するグッズ販売コーナーでも人集りが築かれ、馬場このみ取り仕切りの元、可奈と杏奈が販売員として精を出していた。

 やや暗み色の舞台袖では何人ものスタッフの、がやがやとした動向を伺いつつ『彼』は補佐役で加勢した二人のアイドルと公演進行確認を行っていた。


203 : P殿 2021/01/03 21:56:02 ID:p8ZZ2X83jU

「じゃあ、瑞希、紬。出演メンバーのバックアップは頼んだよ。今回のリーダーは歩だ。ありがとうな、こんな形なのに参加してくれて」
「構いません。私たちのユニット出演が未定だったとは言え、御破算になったのですから、別の形で貢献させて頂きます」

 動きやすいトレーニングウェア姿で静かに頷くは白石紬。その横ではくせ毛の目立つ真壁瑞希も、うんうんと頷いていた。

「お任せ下さい。では、私たちは出演者の方々と最終ミーティングをしてきます。行きましょう、白石さん」

 同じくトレーニングウェア姿の瑞希が紬に目配りした所で、周囲の騒めきを押し退けるか如く、その声が三人の耳を突き抜けた。


204 : せんせぇ 2021/01/03 21:57:26 ID:p8ZZ2X83jU

「プロデューサー!」

 衣装姿の静香は駆け足でやってくると、その肩を僅かに上下させつつ、三人の間に押し入った。紬、瑞希に軽い会釈の後には、すぐさま『彼』に詰め寄る。開演前のウォームアップ後とは言え、静香の横顔を滴る汗が『彼』には気がかりで仕方なかった。

 余計な心配を気取られないよう、平静の顔を静香に向けた。

「ああ、静香。どうした?」
「どうしたって、今日は志保を連れてないんですか?」

 静香は、もう一歩と踏み出さんばかりで、力んで見開いた瞳は、せっつくようでいて『彼』も思わず制止の手振りをする。

「今日は朝から莉緒に預けているんだよ。公演が志保の目に入れば、まずいと思ったから……あ、ちょっとすまない」

 唐突な背広の内ポケットからの振動で携帯端末を取り出せば、百瀬莉緒からの着信に、嫌な予感を感じた。三人に背を向ける事を憚り『彼』は通話を取った。


205 : 夏の変態大三角形 2021/01/03 21:59:34 ID:p8ZZ2X83jU

「もしもし、俺だ」
『公演中にごめんね、プロデューサーくん』

 遠慮がちな莉緒。それ以外にも申し訳なさが漂う彼女の声色に『彼』は目を細める。

「いや、構わないよ、莉緒。何かあったんじゃないか?」

 莉緒の名に三人が、特に静香の反応が目立った。その『彼』を見る視線の色が怪訝に染まりつつ、前のめりに、なりそうだった。

『うん。実はね、志保ちゃんが、お父さんに会いたいって泣き出しそうなのよ……。昼間は良かったんだけど、暗くなり始めて急に……。色々フォローしたつもりなんだけど、志保ちゃんがもう限界っぽくてね』

 耳を澄ませば、莉緒の声の向こうで啜り泣く、しゃくり声が伺える。気のせいか、お父さん、とも微かに聞こえる。志保は、夜になれば置いてきぼりにされる、と恐れている。数秒の思案の後。


206 : プロデューサー様 2021/01/03 22:00:49 ID:p8ZZ2X83jU

「……分かった。莉緒、すまないけど、志保をシアターに連れてきてくれないか? 開演する前に志保を事務室に連れて行きたいと思う」
『分かったわ。すぐに行くからっ』

 意気込む声がするや、受話器の向こうから、がさがさと騒音が混じり始める。お父さんに会えるよ、との莉緒の声で啜り泣きが止まった。

「途中までタクシーを使ってくれ。近くまで来たら歩いた方が早い。回り込んで裏口から入ってくれ。大丈夫、セキュリティは解除するから」

 細かな注意事項を手短に、待っているから、で通話を切った『彼』を瑞希と紬が視線で事の経緯を求める一方、静香は有無を言わせず踏み込む。いまだ周りは雑多な音を止ませず、人々は忙しなく、四人を避けて行き交うばかりだった。

「どうしたんですか? 志保に何かあったんですか?」
「俺に会いたいって泣き出しそうだって……。莉緒には、志保をここに連れてくるように頼んだよ。……紬、瑞希。出演の子達のバックアップは俺が受け持つから、志保についてやってくれないか?」


207 : 変態インザカントリー 2021/01/03 22:02:47 ID:p8ZZ2X83jU

 『彼』の迷走とも取れる提案に紬の眉が潜まる。

「プロデューサー、何を言っているのですか? 今、北沢さんはあなたに会いたいと言っているのでしょう? あなたが北沢さんについているべきではありませんか?」
「それはそうだけど、開演も目前で俺が抜ける訳にはいかないだろ」

 『彼』の苦し紛れの苦言に瑞希が首を振る。動揺に揺れることのない彼女の瞳が『彼』の後方の出入り口を見やる。

「行ってください、プロデューサー。私達とて、今まで、ただステージに立っていただけではありません。大丈夫です、ちゃんと進行できます」

 しかし、と押し黙る『彼』に紬が控え目な睨みを効かせる。

「それとも、あなたは共にやってきた私たちに信頼を置くことができない、とでも言いたいのですか?」
「そ、そうじゃない。勿論、信頼してるさ。だけど、スタッフさんのやり取りは公演中にもある。負担が大きすぎるぞ」


208 : 師匠 2021/01/03 22:05:36 ID:p8ZZ2X83jU

「それらも含めて私たちに任せるのが信頼、というものではありませんか? ……もしや、あなたは上っ面だけで信頼を口にするのですか?」

 淡々と、しかし、鷹揚に語る紬の静とした瞳に、周囲の雑多な騒めきを忘れた『彼』から次なる、まごまごしい言い訳が消える。隣の瑞希を見やると彼女は、ただ頷き、厳かな眼差しを向けるだけだった。再び、騒めきが『彼』の耳に戻ると、二人に頷き返した。

「紬、瑞希。俺の代わりに公演の指揮と調整を頼む。スタッフさん達の動向に気をつけてくれ。本番中でも微調整が発生することもある。出演メンバーへの指示の判断も、お前たちに任せたい。さっきも言ったが、今回のリーダーは歩だ。有事の際は現場の判断で動いてくれ。手短ですまないが、以上だ。頼んだぞ」

 迷いのない『彼』の言葉に、二人の背筋が改めて伸びる。トレーニングウェア姿でありながら紬、瑞希は、その佇まいを威儀を正すか如くで。

「承知致しました」
「お任せ下さい」

 と、やや深めの辞儀をもって応えた。


209 : プロちゃん 2021/01/03 22:32:35 ID:fYryT3Lu0Y

 瑞希は一部始終を見届けていた静香の手を取り、ミーティングに向かう所で手が固まったままの彼女の横顔を見た。その目は冷厳で染められ瑞稀ではなく、いまだに『彼』に向けられている。

 静香は待ち構えていたように、下がる紬と瑞希に代わり、一歩と『彼』に迫り来る。静まる二人とは対照的に、『彼』は静香から発し、帯びる熱気を感じ取った。同時に、その熱気が幕外の観客から伝わったものでもないと悟った。

「プロデューサー。志保がここに来るなら、少し志保と話をさせて下さいっ」

 案の定と言わんばかりに、『彼』は初手を打つ前から、吐きそうになる溜息を堪えるばかりだった。周りの騒めきが収まりつつある状況、スタッフ達の準備は整えられ、各人が持ち場につこうとしている。開演まで刻々と迫る舞台袖で『彼』と静香の間だけで異色の世界ができていた。


210 : 兄(C) 2021/01/03 22:34:40 ID:fYryT3Lu0Y

「もう開演まで、もう1時間もないんだぞ。すぐに最終ミーティングにスタンバイだ、静香」
「勝手なのは分かっていますっ。でも、お願いですっ。5分、いえ、1分でもいいんですっ。志保と話をさせて下さいっ」

 食い下がる静香は真に迫る物々しさだが、今回ばかりは『彼』も首を縦には振らなかった。

 開演は目前。今ここで静香の独断行動を許すのは、公演全体の出だしを挫かねない。皆が歩調を合わせなければ、公演の成功など夢を見るよりも甘いこと。よしんば、時間的余裕があったとして、また志保と衝突を起こせば、静香の精神が無事である保障はない。公演に名を連ねる静香が、この土壇場で出演できなくなれば、観客への報告は、せざるを得ない。それは観客の心配と、下手をすれば不信を招く恐れも考えられる。とてもではないが、静香の要望は承諾できない。

「ダメだ、静香。今は公演を優先させてくれ。志保は俺が見ておくから。紬、瑞希、頼んだぞ」


211 : プロヴァンスの風 2021/01/03 22:37:56 ID:fYryT3Lu0Y

 『彼』は静香から視線を外せば、紬と瑞希への目配りを最後に、三人に背を向けて駆け出した。その姿は、静香の心と頭は鉄をも溶かす熱に浮かしていく。

「ちょっとっ! プロデューサー! 話は終わっていませんっ!」

 怒鳴り声にも等しい静香の荒らげた声を持ってしても『彼』の足は止められなかった。バタン、と関係者口の扉が閉まる光景に静香の歯が軋む。拳が怒りで震え、その目はアイドルに、あるまじき憎悪にも似た淀んだ色に変わりつつあった。

「足が震えています。大丈夫ですか、最上さん」

 手を振り解かれた瑞希は紬と顔を見合わせれば、そっと静香の背中に寄りては肩に手を置く。その震える肩口を宥めるように。


212 : Pちゃま 2021/01/03 23:29:05 ID:fYryT3Lu0Y

 やがて、紬も、その背中に寄り添うかと踏み出した時、振り返った静香の拳は解かれ、肩と足の震えは収まっていた。その顔は打って変わっての笑顔だった。

「ごめんなさい、瑞希さん、紬さん。もう開演なのに、どうかしていました、私。今日はよろしくお願いします」

 謝罪と共に頭を下げれば、静香は心配そうに帰りを待つ出演メンバーの元へと駆けていった。最上さん、と消え入る声で囁き、沈みかける顔色の紬に、瑞希が前に躍り出た。

「行きましょう、白石さん。今、私たちはプロデューサーより公演の指揮を任されています。最上さんのことは気がかりですが、今は公演に集中しましょう」

 そう言って歩き出した瑞希が周辺のスタッフ達や控える出演メンバーに召集をかけた。紬も一瞬、目を閉じれば、凛とした表情に戻っていた。幕外から伝う熱気に反し、冷然なる意思を携え、彼女の後に続いた。そして、この舞台袖ごと、観客席からの歓声で包まれたのは間もなくのこと。この劇場ホールは、今夜も満員御礼だった。


213 :ぷろでゅーさー 2021/01/03 23:30:50 ID:fYryT3Lu0Y

・・・・・・・・・・・・

「莉緒、ありがとう。色々と無理を言って、すまなかったよ」
「ううん。私こそ、ごめんね。結局、きみを頼っちゃう事になっちゃって……」

 劇場ホールを震撼させる程の歓声でも、届きはしない本来は無人の事務室。

 『彼』は傍らで袖を掴む志保の肩を抱き寄せ、申し訳なさそうにしょげる百瀬莉緒に気にするな、と首を振る。莉緒は、『彼』に代わって公演指揮を執る瑞希と紬の手助けを、と気を取り直してウインク一つに事務室を後にした。そうして、『彼』は自分の袖を震わせている少女に視線を落とす。

「あ、あの……お父さん……ご、ごめんなさい……。お、お仕事の邪魔しちゃって……」
「そんな事ないぞ、志保。お父さんの方こそ、ごめんな。寂しかっただろう?」


214 : プロデューサー 2021/01/03 23:32:47 ID:fYryT3Lu0Y

 怯えで伏せる志保の目は、『彼』が頭をそっと撫でると、そろそろと上がってきた。目の前で微笑んでくれる『彼』の顔が視界に入れば、志保もまた微笑んだ。思わず、『父』に抱きつく。

「ありがとう、お父さん……えへへ……」

 ここに到着したばかりの志保は、涙目のまま莉緒に連れられ、『彼』の姿を見るや、ひっしと寄り添っては離れようとしなかった。公演の喧騒に触れないようにと、辿り着いた事務室でもその様子は変わらずに。

「志保。折角、来たけど何も無いから……そうだな、飲み物でも淹れようか。何が飲みたい? ココアがいいかな?」

 そんな打ち解けた志保を空席のオフィスチェアーに座らせ、音無小鳥愛用の膝掛けやらストールをかけてやる。だが、その肩に触れた時、志保の手が自分の手を掴み、やけに力んでいた。


215 : P殿 2021/01/04 15:20:35 ID:/2OYILGYnc

「わ、私も一緒に行く」

 不安を醸し出す視線に『彼』は、もう一つの手を志保の手の甲に重ねた。膝を折り、視線を合わせ、大丈夫だよ、とまた微笑みかける。

「すぐに戻ってくるから、な? 甘い物でも飲めば、気持ちも落ち着くよ」
「うん……」

 もう公演は、とうに始まっている。この事務室より外に出れば、その音を聞き付けられるかもしれない。志保への余計な種を撒くことは避けたかった。

 『彼』が出ていくと、そこは静寂という物言わぬ畏怖の空間で包まれた。掛け物の温かみがあるとは言え、膝に添える手は震え出し、目線が無意味に無人の事務室を見渡す。

 だが、ソファ付のローテーブルにて、テレビのリモコンが目に入ると、すっと立ち上がる。パサっと掛け物が落ちるのも構わず、志保はリモコンを手に取った。何でもいい。この静けさが嫌だった。


216 : P君 2021/01/04 15:23:20 ID:/2OYILGYnc

 しかし、映ったテレビから、まずまずの歓声が響いたと思えば、画面は何となく薄暗い様子だった。そうした画面の中心がパッと照らし出されたと思ったら、そこは何か壇上のようで、志保は体育館のそれを想起させた。

 だが、見覚えのある記憶が、そんなものを瞬時に吹き飛ばした。『彼』に連れられて見た劇場ホールの舞台が、テレビに映し出されていた。テレビに構えたままのリモコンを持つ手が、わななく。その目は金縛りにあったのか。瞳孔の開きが安定せず、テレビに釘付けだった。

 照らし出された舞台の上に立つのは煌びやかな衣服を纏う少女たち。少女たちに映像が寄る中、踊る静香の顔が映し出された時だった。

「志保、お待たせ。……え、この音……?」

 二つのカップを携えた『彼』が事務室に戻るや否や、聞こえるはずのない音に違和感を覚えれば、ソファ付近で棒立ちしている志保の様子に目を張った。


217 : der変態 2021/01/04 15:25:17 ID:/2OYILGYnc

 口を半開きにし、リモコンを構える志保の手の先に、その答えがあった。テレビのライブ映像から目を逸らさない志保は、死人と見紛う凍り付いた表情だった。その額の雫だけが動き、垂れ落ちていた。

「志保っ、見るなっ」

 ガシャンと、けたたましい破砕音にも構わず、『彼』は駆け出せば、テレビ本体の電源スイッチで無理矢理、映像を止め、脇の映像ケーブルも引き抜いた。それでも、まだ固まる志保の手からリモコンを抜くと、彼女の両肩を掴んだ。

(しまった……。テレビが外部入力のままになってたのか……確認用のライブ映像を見てしまったか……)
「志保、志保? おい、しっかりしろっ」
「……お、お父さん……? ……うっ、ごほっ、けほっ」

 『彼』の呼びかけに顔を上げる志保だったが、急に噎せ、『彼』の胸元で咳き込んだ。何事かと思いきや、彼女の額の雫が止んでいないことに『彼』は焦心に駆られた。


218 : プロデューサーちゃん 2021/01/04 15:30:31 ID:/2OYILGYnc

「大丈夫か、志保? 気分が悪いのか?」
「大丈夫……。お父さんがいてくれたら大丈夫だから……」

 震える声の吐息が『彼』の胸元をくすぐり、その華奢な手は『彼』のシャツを掴んでいる。時々、咳き込む志保を見ていると、彼女の言葉を鵜呑みできなかったものの。

「分かったよ、志保。そこのソファに座っていなさい。俺は代わりの飲み物をまた持ってくるよ」
「え?」

 振り返った『彼』が見る床には、甘い香り漂う茶色の水たまりと、染まる事のない白い破片が散らばっていた。その光景が頭の中で妙な一面を描いていった。前にも似たような気がして。


219 : そなた 2021/01/04 15:31:49 ID:/2OYILGYnc

 それは事故の前に起きた事。倒れる志保を支える『彼』が自身のマグカップを弾みで割ってしまった時の事。

『ごめんなさい、プロデューサーさん。大切なマグカップ、あんな事になってしまって……』

 自分でいて、そうではない声の反響に、心音がドクンと一瞬、高鳴ったような気がした。その場面の映像が何なのか分からなかった。いや、知りたくなかった。

 ソファを勧められ、残骸に『彼』が一歩を踏み出した時、志保は現実に戻されたと同時に目を見開いた。

「待ってっ、行かないでっ」


220 : 3流プロデューサー 2021/01/04 15:34:30 ID:/2OYILGYnc

 一瞬の呻き声がしたと思えば、『彼』は腰辺りに衝撃を感じ、身動きできなくなった。志保の両腕が、背中から回り込み、『彼』の体を決して離そうとしなかった。

 締め付けすぎでは、と一瞬、『彼』の脳裏を過るが、志保の崩れるような声の前では些末な事だった。

「飲み物なんかいらない……。お父さんが……お父さんさえ、いてくれれば……それでいいの……」
「し、志保……?」
「だから……お願い……。どこにも行かないで……」

 背中で、すすり泣き始めた志保を余所に、『彼』の目線は床の残骸に向けながらも、それらを見てはいなかった。『彼』は思考の中で、志保の癇癪を思い返していた。アイドルに関する事、静香に関する事。それらを目の当たりにすれば、強い否定の意思をもって拒絶を示した。しかし、今は何やら状況が違う。拒絶する強気な姿勢もなく、ただ、怯え、その身を消耗するかのように弱々しい縋りようだった。偶然なのか、あるいは。

(今までの志保の癇癪とは違う……。これは一体……?)


221 : プロデューサー 2021/01/05 19:14:46 ID:BTHRY0VsdE

・・・・・・・・・・・・

 静香はステージで舞っていた。

 曲のリズムに合わせた観客席からのコールが反響する、この劇場ホールは熱気と活気に溢れている。曲の進行と共に演者へのスポットライトが消え、電飾だけで灯されたステージは薄暗く、しかし、数多の色彩で彩られた、それは幻想を見る者に感じさせた。

 だが、幻想を提供するはずの静香は心の片隅から離れない思案に囚われていた。何故、自分がここに立ち、舞っているのか、を。

(本当なら……志保が、ここに立つはずなのに……)


222 : do変態 2021/01/05 19:15:51 ID:BTHRY0VsdE

 ダンスの振り付けへの意識はなく、体が勝手に動いていた。バックダンサーの立場である自分には歌唱もなく、場面に合わせて表情を変え、ターンで反転しては隣の星梨花と位置を入れ替わる。

(志保の記憶が戻っていれば……こんな事には……)

 その意識が、いつまでも静香の脳裏を支配していた。詮無い事と心得ておきながらも片時も離れなかった。それもこれも。

(あの人は、志保の記憶を戻すって……そう言ったのに……!)

 『彼』の立ち居振る舞い、一挙手一投足が猛烈に、もどかしく感じる。いつになれば、志保の記憶が戻るのか。いつになれば、こんな茶番劇を終わらせられるのか。こんな思考も詮無い事だと言い聞かせても言うことを聞く自分は、今の静香にはいなかった。

 やがて、いくつかの楽曲を披露し終え、舞台袖に戻る静香の意識は、朦朧としていた。


223 : EL変態 2021/01/05 19:18:11 ID:BTHRY0VsdE

・・・・・・・・・・・・

「おい、シズっ。大丈夫かっ」
「え……あ、じ、ジュリアさん……」

 舞台袖に引っ込んだはずの静香は、気づけば、同じ衣装を身に着けたジュリアに両肩を掴まれているのを疑問に思った。ここに戻って、それからどうしたのか。地に足をつく感覚は残っている。倒れたわけではなさそうだが、如何せん、頭が変に軽い。

 ジュリアは瞼が不自然に蠢いては、静香の顔色が青ざめるのが見て取れた。それが薄暗い舞台袖であってもだった。舞台袖に引っ込んですぐに次のMCへの打合せをしようとしたが静香は、どこへ行くとも分からない足取りでフラフラとしていた。呼び止めにも応じない静香を無理矢理に振り向かせても、カカシのように碌な反応もしない。何度目かの呼びかけで、この有様だった。


224 : Pしゃん 2021/01/05 19:20:41 ID:BTHRY0VsdE

「シズ。お前、もう休め。なあ、いいだろ、歩?」
「うん、そうしよう。静香は、もう十分にやってくれたよ」

 背後からの歩の一声で静香は自分が、幾人にも人に囲まれているのを知った。静香はギョっとして目を見開く。

「え、ま、待ってっ。待って下さいっ。私、まだっ。それに最後のMCだってっ。歩さんっ」
「ここまでやってくれたら充分だよ、静香。よく頑張ってくれたよ。もう次の曲はバトンタッチだから、MCごと引き継いでもらおう」

 この静香の状態。いくつかの予想をしていたジュリアと歩は然したる驚きもなく、極々冷静ではあった。仕事やレッスン、公演の練習で時間を詰め、志保や『彼』とのやり取りで根を詰めた静香の体は、公演のステージを降りると共に限界を迎えようとしていた。それこそ倒れる数歩手前。

 歩の後ろでは、おろおろと心配する星梨花を宥めるロコと朋花の姿が垣間見えた。思わず、く、と内心で舌打ちする。


225 : ぷろでゅーしゃー 2021/01/05 19:23:33 ID:BTHRY0VsdE

「なあ、瑞希。このMCごと、次の琴葉たちのTSVに渡したいんだけど、頼めないかな?」
「MCの変更くらいなら影響はないでしょう。早速、田中さん達やスタッフさん達に、お願いして来ます。これ以上、最上さんはステージに立ってはいけません。お休みになってください。白石さん、お願いできますか?」
「承りました。では、私は最上さんを医務室に、お連れします」

 とんとん拍子に自分の処遇が決められ、抗おうとする静香は、両肩を掴むジュリアの腕を解くことすら、ままならなかった。差程の力も、かかっていないその腕を。

 抵抗に力を費やしたせいか、静香は急に、視界に映る、この光景を遠くの彼方に感じた。うっ、と小さな呻きを最後に、光景は丸めた紙屑のように、ぐしゃぐしゃとなって闇の向こうに消え去ってしまった。

「最上さん? 最上さん?」

 ジュリアに代わり、体を支えてくれる紬の声は、もう静香には届かなかった。静香は荒い呼吸で、意識ごと紬の腕に沈んでしまった。


226 : Pたん 2021/01/05 23:26:10 ID:BTHRY0VsdE

・・・・・・・・・・・・

 最上静香は夢を見ていた。

・・・・・・・・・・・・

 ある時、私はプロデューサーから、あるユニット活動でのリーダーに指名された。メンバーは北上麗花さん、野々原茜さん、箱崎星梨花、北沢志保と私を含めた五人だった。

 ユニットの名前は《クレシェンド・ブルー》。でも、ユニットのリーダーなんて初めてやるし、勝手なんか全然分からなかった。

 ただ、リーダーとして、みんなを纏めて、公演でもしっかりとした結果を残さないと、という漠然とした意気込みだけはあった。

 麗花さんや茜さんのように、ユニットの盛り上げに重点を置いたり、星梨花のように家の門限からレッスン時間も、ごく限られた間しか取れないとか、志保のように公演で確かな結果を出すべく、レッスンをもっと増やすべきとか。

 たった四人の事情を纏めるのも、ままならない私は、みんなの意見を尊重したくて、東奔西走の思いだった。


227 : 2021/01/05 23:48:40 ID:BTHRY0VsdE

 結局、上手に纏め上げることができなくて、麗花さんや茜さんが提案した懇親会に私が賛同したことで、《クレシェンド・ブルー》のユニット活動を、『お遊び』と受け取ってしまった志保の離反を私は止められなかった。

 何とかプロデューサーが志保を引き留めてくれて、私なりに説得を持ち掛けたこともあって、志保とは一応の仲直り?をしたと思った。その後も限られた時間ではあったけど、レッスンを重ねて公演は無事に成功を収めることができた。

 大なり小なりの衝突のあった《クレシェンド・ブルー》のユニット活動後、私は志保を気にするようになっていたのかもしれない。ただ、気になったから。


228 : 番長さん 2021/01/05 23:50:03 ID:BTHRY0VsdE

 志保がセンターを務めた定期公演でも、ちゃんとした成功を成し遂げていた。決して完璧じゃないけれど、志保の歌とダンスはレベルが高かった。でも、まだ私の方が少しだけ上じゃないかなって思った。

 志保は翼のような天才肌でもないし、運動は、どちらかと言えば苦手だって聞いたこともある。だから、公演を始めとした志保の数々の実績は、本人が積み重ねたレッスンに裏打ちされたものだと私は考えていた。でも、私だってレッスンにかける時間は惜しんでいない。

 志保が仕事や公演で成功を収めれば、同じアイドルとして勿論、嬉しいと思う。けど、心のどこかで、むず痒い思いを感じていた。それが何なのか、私には分からなかった。

 私と同じ14歳のアイドルは未来や翼、可奈にひなたに結構いる。でも、志保ほどレッスンに熱心で、仕事や公演において、より高い結果に拘る子はいない。私も、どんな仕事においても、より良い結果を残したいと、いつも躍起になっている。私には時間がないから。


229 : プロデューサーちゃん 2021/01/05 23:51:21 ID:BTHRY0VsdE

 でも、志保には、そういった理由があるのかないのか。志保と、そういう話題に触れていない私には分からなかった。ただ漠然と、私と同じような側面を持っているのかなと志保を知れば知る程、無意識に、そう考えていたのかもしれない。

 だから、なのかな。志保が熟すことには、遅れを取りたくないと思うし、だからと言って蹴落としたい訳じゃない。常に志保には高みを目指して貰いたいけど、自分が置いてきぼりにされるのは真っ平だった。なんて、色々考えるけど、結局、何が言いたいのかって言われると表現できる言葉が浮かばなくて。

 でも、それでも、一つ言えそうな事はあった。

『志保に、負けたくない』


230 : プロデューサー 2021/01/05 23:53:04 ID:BTHRY0VsdE

・・・・・・・・・・・・

 気づけば、静香は白い天井を見る現実に目覚めていた。ぼやけた視界には蛍光灯の眩しさが痛かった。ふと横を見れば、脇のハンガーラックにかかっている自分の衣装が見えた。目線を天井に戻すと、少し固めの寝台がギシっと鳴いた。

「お目覚めになられましたか?」

 静寂を破らぬ控えめの声。ベッド脇の椅子に腰かけた白石紬が横たわる自分の顔を覗き込んできた。ここはどこか、という疑問は自分の失態を思い返せば、察しがついた。紬の顔から目線を逸らしたくなる。

「紬さん、ごめんなさい。私……みんなに迷惑かけてしまって……」
「いいえ。誰も、そのように考えていません。最上さんは北沢さんの代役を果たして頂きましたから。でも、相当に張り詰めていたのでしょうね」

 紬によれば、この医務室に移動する最中で倒れてしまったという。加勢した莉緒が手助けに入り、二人掛りで静香を運び込み、衣装から着替えさせ、ベッドに寝かしつけた経緯だった。


231 :箱デューサー 2021/01/05 23:54:46 ID:BTHRY0VsdE

「……私、どれくらい寝ていたんですか?」
「1時間程、お休みになられていました。お体の具合は如何ですか?」
「少し楽になりました。あの、公演は……?」
「もう終盤の頃でしょうか」

 掛け時計を眺めつつ紬は、大事に至らず安心しました、と胸を撫で下ろした。静香は、もそもそと起き上がると深呼吸の後に、何度か大きく瞬きをし、五指の開閉で己の感覚を確認した。決して全快ではないが、いささかの疲労は取れたと思われる。

「紬さん、もしかして、ずっと私に付いていてくれたのですか?」
「はい。万一に備えて控えておりました。場合によっては、御家族の方に、ご連絡せねばとも考えていましたので」
「ご心配をおかけして……すみません……。本当だったら、公演をまとめなきゃいけなかったのに……」

 言いつつ静香は両親に報せが届かなかった事に内心、安堵していた。


232 : ご主人様 2021/01/05 23:57:43 ID:BTHRY0VsdE

「いえ。百瀬さんが加わってくれましたので心配無用です」
「あの、私はもう大丈夫ですから。紬さんはホールに戻って下さい」

 思わず手が力み、掛け布団をぎゅっと握る。
 紬は、そんな静香の顔色に青ざめが抜けていたので、頷いた。

「わかりました。最上さんは、このままお休み下さいね」
「い、いえっ。最後の挨拶くらいは立たせて下さいっ。お願いしますっ」

 ですがお体が、と立ち上がる紬に、静香は首を振るばかりだった。

「後ろに立っているだけにしますからお願いしますっ」
「……分かりました。最上さんが、そこまで仰るなら、私もやぶさかではありません。では、今より30分後までに舞台袖にお越しください」

 どうかご自愛下さい、との一礼と脇の小棚に置いたスポーツドリンクのペットボトルを残して紬は医務室から去っていった。


233 : ダーリン 2021/01/05 23:59:31 ID:BTHRY0VsdE

 一人になった静香はもう一度深呼吸し、ペットボトルのキャップを力任せに開封すれば、一気に煽った。常温だった飲料は飲みやすく、気づいた時にはボトルから何も流れて来なかった。

 ふと、先程の夢を思い返した。そこには、記憶に思しき志保の顔があった。自分が突っかかっても、平然として差したる興味も持たない、あの小生意気な顔を。

(代役を買っておいて、こんな始末じゃ、志保に笑われるわ。最後くらい、ちゃんとしないと)

 変に体が、うずうずして堪らない静香はベッドから抜け出せば、ストレッチで体を解した後、衣装のハンガーに手を伸ばした。次いで、洗面台の鏡に映した表情から自身のコンディションを伺った後、静香は、よし、と頷いた。30分を待つこともなかった。


234 : 5流プロデューサー 2021/01/06 00:01:39 ID:vy3UUlTsr.

「あれ……プロデューサー?」

 躊躇わず廊下に出た所で、別の戸閉音を聞いた。正面の、少し離れた一室から出てきた『彼』。こちらには気づいてないのか。『彼』は静香に背を向け、駆けて行った。呼び止めて言いたい事は山程あったが、またいさかいを起こして周囲の心配を、これ以上買う訳にはいかない。だが。

(あそこって仮眠室じゃなかったかな……。志保を見てるって言ってた癖に、何をしているのかしら……。でも、もしかして……)

 てっきり居眠りを決め込んでいたのかと思った静香だが、ある可能性を見出し、ごくりと唾を飲んだ。予想通りならば、これはチャンスだ、とそそくさと寄れば、仮眠室のドアの前に立った。


235 : プロデューサーちゃん 2021/01/06 22:20:44 ID:1AOy..c1IQ

・・・・・・・・・・・・

「プロデューサー。どうして、こちらに? あれ程、北沢さんについているべきと申し上げたではありませんか」
「ああ、紬。すまない、今は話して大丈夫か?」

 終幕も近い舞台袖。田中琴葉、島原エレナ、所恵美の三人がステージで歓声を浴びつつ、最後の楽曲を披露している最中の事だった。音も立てずにやってきた『彼』の存在に、紬は目くじらを立てていた。

 演者への指示板を手にしている紬の視線に捕まり、『彼』は、否応なく彼女の元へと寄った。

「言い訳は聞きたくありません。やはり、あなたは私たちを信じて」
「ち、違うって。静香の事が気になってたんだよ。あいつ、今どこにいるんだ? 大丈夫か?」
「最上さんは……お休みになられています。最後のMCを残した所で、お倒れになりました。そちらについては申し訳ありませんでした」

 演者への視線を変えず、語調だけが下がる紬。


236 : ボス 2021/01/06 22:22:26 ID:1AOy..c1IQ

「そうだったのか。志保も、今は仮眠室で寝てるんだよ。ちょっと精神的な疲労があったみたいでな。静香は……もしかして、医務室にいるのか?」

 素早く周囲を見渡す『彼』を、紬がほんの一瞬、横目で怪訝な視線を送る。

「そうですが。……まさか、あなたは私たちが、ご気分の優れない方を、このような場所で休ませるとでも?」
「それで静香は? 寝ているのか?」

 急に張り詰めた声色と、近づく『彼』の吐息に、紬は意表を突かれる。一瞬、ビクリとして手持ちの指示板を落としそうになった。目だけを、ちらちらと向けると、自分の横顔を正面から見る『彼』の顔が近く、ステージへの集中力が途切れてしまいそうだった。変に高まる鼓動が落ち着かない。

「え? い、いえ、つい先程、お目覚めになられましたが……」
「……来た早々で悪いが、志保の所に戻る。引き続き頼むぞ」

 何を思いついたのか。紬が、首を向けようとした時には、隣の『彼』は忽然としていた。寄ってはすぐに離れて、取り残された紬は、ため息一つに。

「もう……なんなん……」

 自分へも含め、呆れては、ステージに神経を集中させた。


237 : 貴殿 2021/01/07 12:30:31 ID:i.TtDgUKTY

・・・・・・・・・・・・

 敢えてノックもせず、窓からの月明かりだけが頼りの仮眠室に、静香は忍び寄るように足を進めた。手狭い仮眠室は一歩、二歩と踏み出せば、周りを見渡せられる位置取りに立てた。

 そして、すぐ目線を落とせば、そこにはベッドで静かな寝息を繰り返す志保がいた。改めて、その寝顔をじっと見ると静香は、もどかしさに苛まれる。

(何をのんびり寝てるのよ……。今日は、あなたが立つはずの公演なのに……)

 本当に詮無い事だった。目の前の志保は、本来の記憶がないというのに。わずかの間でも志保と話ができればと踏み込んだが唐突に生まれた虚しさに、叩き起こしてまで事を進めるのは憚られた。

 そんな虚しさを溜息に変えつつ、踵を返そうとした時だった。振り返った拍子に、静香の足がベッドの躯体を蹴ってしまった。

「ん、ううん……お父……さん……?」


238 : 高木の所の飼い犬君 2021/01/07 12:34:03 ID:i.TtDgUKTY

 散漫とした注意力だった静香は、え、と呟く前に、寝惚けながらも身を起こした志保の姿にしまった、と思考が止まる。退くか否かの瀬戸際に足が竦む。

(今ならまだ暗いから抜け出せるかも……。で、でも、こんな間近くで……ううん、違うわ。志保と話をする為に、ここに来たんだからっ)
「し、志保」
「え、だ、誰?」

 まだ夜目に慣れずに周囲に目を向け、怯える志保を見つつ、静香は固唾を飲んでは数歩下がり、入口付近の電灯のスイッチを手探る。

(大丈夫……落ち着いて……。志保が何を言ってきても、私は普段通りに接すればいいだけよ……! それに今の私は志保にとって、『最上静香』じゃない『ノガミアスカ』っていう、ただの別人なんだから……!)

 何もしてないのに息が荒づく。なかなか手に届かない電灯のスイッチの存在に小さな苛立ちを覚える。暗示のように大丈夫、と内心繰り返す静香はやっとの思いで、カチッとスイッチを押せた。


239 : プロデューサーさま 2021/01/07 12:37:07 ID:i.TtDgUKTY

「きゃっ……。……あ、あなたっ!」

 突然の明光に目を覆ったのも束の間、志保は入口前で険しい顔立ちで佇む衣装姿の静香を捉えると逃げ出すようにベッドから立ち上がった。静香は、一言も発していない内から志保より露になった警戒心に、戸惑う。いけないと思いつつも、次なる先手も志保に取られる始末だった。

「あなた……やっぱり『最上静香』なのね……!」
「え、ど、どうしたの、志保……?」

 唐突に、志保が後ずさる。目の前の静香を、視界から消すように片目を手で覆って。その指の隙間から覗く視線は静香を貫かんばかりだった。
 静香は、その視線に、たじろぐが半歩引き下がった志保の足音で、はっと正気を取り戻した。

「ち、違うわ、志保。私は『ノガミアスカ』よ」


240 : EL変態 2021/01/07 12:41:17 ID:i.TtDgUKTY

 演技が見抜かれた。だから、志保はこんなに自分を睨んでいる。騙すつもりじゃない、と心のどこかで訴えながら、静香は志保に一歩、迫る。だが、志保は一歩と後ずさり、顔を覆った片手はそのままに、もう片方の手を滅茶苦茶に振り払った。まるで、害虫でも払うかのように。

「来ないでっ! もう騙されないっ! あなたは私の友達なんかじゃない! 近づかないで!」
「っ!」

 志保の悲痛とも言える拒絶の意思が、静香の心を容赦なく、えぐる。涙腺が緩み、足が震えた。だが、歯を食いしばり、唇をきつく結んで踏み止まった。こんな事で負けるもんか。いつの間にか乱れている呼吸にも気づかず静香はただ、志保を見据えた。もう偽名は通じない。


241 : プロデューサーちゃん 2021/01/07 12:44:18 ID:i.TtDgUKTY

「志保、落ち着いて。私は、あなたに何もしないわ」

 乱れる心音を抑えつけるように胸元を強く手で押さえ、震える声ながらも必死に優しさで言葉を紡ぎつつ、静香はまた一歩前へ。

「いやっ……いやっ……。こ、来ないで……! あっち行って……!」

 ただ拒絶を重ね、乱暴な手振りで呼吸は大きく乱れ、俯き、頭を抱え込み、震えて志保はまた一歩退く。

「お願い、志保。私の話を聞いて。そうしたら、きっと元のあなたに戻れるわ」

 逃げていく志保に焦りが隠せなくなり、悲痛に懇願する静香は堪らず、もう一歩前へ。


243 : Pちゃま 2021/01/07 12:51:29 ID:i.TtDgUKTY

「来ないでっ! 話しかけないでっ! どこかに行ってっ! いなくなってっ!」

 また一歩と退く志保だが、その背中が壁につけば、たがが外れたように大声を張り上げた。いまだ怯えるように周囲を見渡し、手元にあったペットボトルを見つければ、即座に手に取っては静香に投げつけた。

 志保の、その振りかぶりを目にした時、静香は、ハッとして視線を逸らすと同時にぎゅっと目を瞑った。

「あぐっ……!」

 無作為に投げられた、それは静香の左腕を打撃した。開封されていない重みの痛みに、思わず右手を添えた。眉間が震え、目が涙ぐむ静香は、必死に歯を食いしばった。

 だが、じんじんと腫れそうな腕の痛覚よりも、こんな仕打ちを志保より受けなければならない心の虚しさが静香にとっては、何よりも痛かった。


244 : ご主人様 2021/01/07 20:57:55 ID:JmMXvfrfhw

 今まで志保とは数々の言い合いや、口喧嘩などはあったけれども、こんな痛みを伴う争い事など、記憶の端々を辿っても一つとして見つからない。それ故の計り知れない痛みだった。

 自分の全てが嫌われている。それが仮初の志保からの言葉だとしても、静香には耐え難い苦痛だった。でも、もしかすると、これは本当の志保も薄々と自分に抱いている本音なのではないかと、余計な深読みさえ生まれては、逃げ出したくなる。

 それでも諦めるものかと、負けるものかと落ちる涙を必死に、せき止める。『あの人』が頼りにならない以上、私がやるしかないんだ、と執念の火をその目に宿して、今一度、志保を睨むように毅然とした目線で見据えた。

「大丈夫よ、志保……。私は……ただ、あなたを助けたいだけなの……」


245 : 変態インザカントリー 2021/01/07 20:59:55 ID:JmMXvfrfhw

 そろりそろりと左腕に添えた右手をゆっくり差し伸べる。また一歩と踏み出し、間近にまで迫り、頭を抱え震えたままの志保の頬に、その手で触れるその時。

 ドサッ

「……志保?」

 静香の手をすり抜けるように、志保はゆっくりと倒れ、床に伏せてしまった。手を差し出したまま、凍り付いていたも束の間、静香は自分の足元で体を、痙攣するように縮こませる志保に目を見開く。

 志保は目を開けることもせず、熱に浮かされたように呼吸が荒く、額から幾筋にも冷や汗が走っている。静香の背筋に悪寒も走る。

「ちょ、ちょっと志保! 志保!?」


246 : Pさん 2021/01/07 21:01:02 ID:JmMXvfrfhw

「や……めて……。ちか……づか……な……。うっ……ああああっ!」
「くっ……!」

 しゃがみ込み、倒れた志保を抱き起そうとするが、苦しみながらも、その手を払われる。我武者羅に振るった志保の手先が、自分の頬を引っ掻くも構わず、静香は強引に抱き寄せる。

(ど、どうして……こんな事に……。どうして、志保はこんなに苦しがって……)

 頭を抱え、一層呼吸を荒くする志保を、静香は何が起きたのかも分からず、焦燥に駆られては焦点がままならないで見つめていた。


247 : Pサマ 2021/01/07 21:02:01 ID:JmMXvfrfhw

 志保の苦しみ様は、今までに見ない症状だった。唐突に『彼』からの忠告が脳裏を掠めた。

『今の志保はアイドルの事以外にも静香、お前自身のことでも癇癪を起こすように感じるんだ』

 分かっていた。分かっていたつもりだった。それでも、自分が耐えていれば、それで大丈夫だ、と考えていた。いや、高を括っていた、と、この瞬間に自覚した。

 静香は肺を潰されるような閉塞感に襲われた。床で苦しみ続ける志保の姿が、得も知れない恐怖となって精神を凍り付かせる。思考の循環が止まり、志保の体を支えたまま心ごと体が凍り付く。ただ動いているのは揺れる瞳と、志保を支えながら震えている二の腕だった。


248 : 我が下僕 2021/01/07 21:03:19 ID:JmMXvfrfhw

「や、めて……おと……おとう……さん……」
(た、助けなきゃ……。わ、私がしっかりしないと……。でも、ど、どうすれば……こんなはずじゃ……)

 静香の焦りが、額から冷や汗となって滴り落ちた。雫が床で弾けると同時に、仮眠室の扉が勢いよく開かれた。

 そこにいたのは『彼』だった。平行に目を走らせた後、異様な雰囲気で視線を落とすと思わず叫んでいた。

「志保っ! 静香っ!」
「……ぷ、プロデューサー」

 床に、へたり込む静香の首が、のそのそと上がると何とも消え入りそうな声が絞り出された。静香の腕の中で嗚咽の如く呻く志保の姿は、今にも気を失うなのではないかと思い知らされる。


249 : 彦デューサー 2021/01/07 21:05:00 ID:JmMXvfrfhw

 『彼』は駆け寄り、志保の藻掻くような顔を覗き込むと、おおよその事情を理解した。次いで、静香に目配りすると彼女が震えた。

「プロデューサー! こ、これは違うんです! わ、私……こ、こんなつもりじゃ!」

 苦しめたかったわけではない。と言い切れない静香は顔を伏せてしまう。志保を支える腕が強張り、余計に震えてしまう。しかし、不意に肩に置かれた暖かみが静香を現実に戻した。

 ハッとして顔を上げると、『彼』が真っ直ぐに見ていた。それは心をいとも簡単に見透かすような深く澄んだ『彼』の目だった。それでいて何度と小さく頷く『彼』の穏やかさに、静香は恐怖から解放され、脱力できた。自分の肩に置かれた『彼』の手は思っていた以上に大きく、伝わってくる温もりが心強かった。


250 : ぷろでゅーしゃー 2021/01/07 21:07:11 ID:JmMXvfrfhw


「分かってる。分かってるよ、静香。志保をベッドに寝かせよう、ほら」
「……はい」

 『彼』は志保を抱き上げ、またベッドに寝かした。ポケットからのハンカチで、志保の汗を、そっと拭うと口元の吐息の熱さで、彼女の苦しさをありありと感じ取った。震える志保の手を握り、何度か呼び掛けると、うなされる彼女の呼吸が幾分か落ち着き、安堵の息をついた。

 後ろで佇む静香は、どこか心あらずと瞳に影を落としていた。右手は、まだ痛み伴う左腕に寄せられた。ただ、その手は必要以上に、患部を押さえつけ、その視線は『彼』の背中を見ること叶わず俯き、その口元は先程以上に、歯を食いしばっていた。


251 : Pはん 2021/01/07 21:11:46 ID:JmMXvfrfhw

・・・・・・・・・・・・

「静香。大丈夫か?」
「別に……。私より、志保の心配をしたら、どうですか」

 志保の安らかな寝息を見守り、仮眠室より出た廊下に佇む『彼』と静香。『彼』が話しかけても静香は背中で返事をするばかりだった。

「そうはいくか。俺は、お前のことも心配なんだよ」

 どうして、そう必要以上に優しいのか。甘ったるいような気遣いに苛々する。どうせ、本音じゃない癖に。思いっ切り叱ってくれたほうが、まだ良かった。静香の肩が微動する。

「……余計なことをしてくれた、って思っているんでしょう? はっきり言えばいいじゃないですか……!」


252 : 箱デューサー 2021/01/07 21:17:24 ID:JmMXvfrfhw

「静香……。俺は、ただ……」

 『彼』の弁明は、室内より微かに蠢く、お父さんの呼びかけで中断された。志保が、もう目覚めたよう。『彼』は、震える静香の背中に言葉だけを放る。

「静香。舞台袖で紬が待っている。行けるか?」
「……分かってます。早く……志保の所へ行って下さい……」

 小さく頷く『彼』は、しっかりな、と残して仮眠室へと入っていた。

 静香は、壁に張り付くように、もたれると、そのまま床に尻をつけた。そして、項垂れる。自らの無力さに、ただただ打ちひしがれて。しかし、志保と『彼』の会話が微かに漏れてくると、再び、仮眠室の扉に目を向けた。


253 : プロデューサーはん 2021/01/08 11:42:21 ID:JL0ivfqpU.

・・・・・・・・・・・・

「お……お父……さん……。どこ……?」
「志保? 大丈夫か? お父さん、ここにいるぞ」

 間引きして点灯した電灯の中、『彼』は、ベッドの上で朧気な志保の手を取った。志保が、その温もりを感じ取ると目を閉じながらも、微笑んだ。その目からは雫が、膨れるように滲み出そうだった。

「お父さん……。私、もうすぐ14歳になれるの……」
「え……?」

 唐突な発言だった。14歳になれる。別段、志保の誕生日が近づいていることもない。『彼』が瞬時に考えられたのは、そんな程度だった。

 いまだ、瞑ったままの志保の目線は天井に向けられたままだった。ただ、『彼』の手を握る力には、しかと力が込められていた。


254 : 魔法使いさん 2021/01/08 11:45:16 ID:JL0ivfqpU.

「そうしたら、お母さんと、りっくんと、お父さんの四人で暮らしていける……」
「し、志保……何を……?」
「お願い……お父さん……。ずっと……一緒にて……どこにも……行かないで……」

 『彼』は呆然とした。『彼』からの返答が来ない静寂に志保の手がまた震えだす。

「お父さん……お願い……」
「わ、分かった。俺はどこにも行かないよ、志保」

 思わず『彼』は勢い余ったように、もう片方の手を重ね、破れかぶれも同然だった。消沈しそうな志保の声を前に、『彼』は上手く思考を回せなかった。志保は、良かったと消え入る声を寝息に変えて、再び、眠りについた。

 『彼』は、ただ志保の手を握ることしかできずにいた。


255 : Pさん 2021/01/08 12:14:45 ID:JL0ivfqpU.

・・・・・・・・・・・・

(14歳になれるって……元に戻るってこと? ……だとしたら……だとしたら……!)

 扉に耳をつけ、廊下で聞き耳を立てていた静香は、すくりと立ち上がった。肩の荷が降りたかのように、その動きは軽やかだった。

 そして、劇場ホールへと駆け出した、その横顔は頬が緩んでるのかという位、嬉々としていた。こんな表情をしたのも、いつ振りかと本人が思うほどに。

(元に戻る……! もうすぐ、志保が元に戻る……!)

 そんな、どこから生まれたかも分からない希望に安堵すれば、静香は生気に溢れた表情味で迷いなく駆けていった。

 その後、この公演は、これと言った支障を来す事もなく、カーテンコールを迎えた。静香の体調不良は、トラブルにも満たない小さな出来事として、観客には差したる影響も与えなかった。

 劇場ホールは最後の歓声を受けて、無事に幕引きへと至った。


256 :プロデューサーさま 2021/01/09 15:47:13 ID:J0c3f.DKmM

・・・・・・・・・・・・

 『北沢志保』は夢を見ていた。

 暗く渦巻くような闇の海をただ漂流し、彼女は眠りについていた。おどろおどろしい闇なのに、どうしてか心地良い。動かすべき四肢の感覚も、回すべき思考の循環も溶けて忘れてしまいそうに。それは体という節々からの組織が一つの塊と化してしまうような融和感。

 『北沢志保』は夢を見ていた。

 その光景は馴染みある我が家の食卓だった。幼い弟が、まだ拙い箸持ちでご飯を頬張っている。その隣では記憶に思しき父親が、微笑んで弟の頭を撫でていた。そして、台所から次のおかずを運んできた母親。母は何よりの笑顔だった。

 どこの家庭でも当たり前の光景だけど、自分にとっては有り得ない光景だった。暗い影から見守る自分も、そんな叶うはずのない食卓に惹かれ、足を進めた時。

『大丈夫よ、志保……。私は……ただ、あなたを助けたいだけなの……』

 どこからか降りかかった少女の悲しげな声が、食卓の光景を『割った』。ガラス片のように、光景の破片が、何もない闇へと落ちて還っていった。


257 : der変態 2021/01/09 15:50:03 ID:J0c3f.DKmM

 『北沢志保』は目を覚ました。漂流する闇の中で。

(起きないと……)

 重苦しい瞼を、ほんの少し上げた。手足も思うように伸ばせず、その動きは蠢くよう。ぼんやりと広がる暗い視界に、《小学生の志保》が映り込んでいた。

《志保ちゃん、起きちゃだめだよ》

 《小学生の志保》は、にこりと微笑んでいる。自分と同じく、この闇を流れている。少女は『北沢志保』を見下ろしていた。

(どうして……? あの女の子が……私の名前を……呼んでた……。あの子は……誰なの……?)

 『北沢志保』の呼びかけに、闇の虚空に静香の姿が浮かび上がった。痛みを伴う左腕を押さえても尚、自分に歩み寄っては、今にも泣き出さんばかりの儚さを形作ったような、そんな姿の少女。

《だめだよ。あの子の事を考えちゃだめ。あの子は志保ちゃんを、お父さんのいない世界に連れていってしまうの。あんな子、忘れちゃうの》

 《小学生の志保》の言葉で、その光景は『割れた』。その言葉の温度が変に冷たい。


258 : ぷろでゅーしゃー 2021/01/09 15:55:02 ID:J0c3f.DKmM

(でも……あの子……泣いてた……。私の名前を呼んで……泣いてた……慰めなきゃ……)

 『北沢志保』は抗う。瞼をこじ開け、遥か上流に見える光の粒に手を伸ばした。

《だめだよ。それは志保ちゃんが、またお父さんのいない世界に戻っちゃうんだよ》

 《小学生の志保》の目が徐々に細められていく。その様は、より一層の冷淡さを強調するようだったが、その視線を『北沢志保』は見ていない。

(でも……放っておけない……。私……行かなきゃ……)

 『北沢志保』は体を起こし上げる。重石が、のしかかる全身への圧力を、その意思で跳ね除けて。そして、『北沢志保』の体が上流へと登っていく。小さな光点を目指して。

《……じゃあ、もういいよ……》

 《小学生の志保》が吐き捨てた。


259 : 魔法使いさん 2021/01/09 16:11:40 ID:J0c3f.DKmM

 少女が『北沢志保』に向かって手をかざす。

 『北沢志保』の全身が、突如、顕現した闇の絹で覆われ、縛られる。首元から足首にかけて、簀巻きも同然に拘束された。そして、小さな闇の絹が目元を覆い隠した。

(あ……あ……動け……ない……)
《もう志保ちゃんは『今までの志保ちゃん』をしなくてもいいよ》

 先までの無邪気さが失せ、分不相応な冷徹な《小学生の志保》。

(今までの私を……しなくても……いい……?)

 闇の拘束は『北沢志保』の少しの抵抗も許さなかった。もがけば、もがくほど全身に食い込むばかりに締め付ける。視界も封じられた『北沢志保』は、声を便りに《小学生の志保》を捉える。

《しょうがないよね。そうやって、お父さんのいない世界に戻ろうとするんだから》

 《小学生の志保》が、その小さな手を振ると、『北沢志保』の体は闇の底を目指して沈下し始めた。

 『北沢志保』は始めて恐怖した。どことも分からない未曾有の奈落に落とされる。『北沢志保』の意思が闇に抗えず、初めて恐怖した。


260 : 監督 2021/01/09 16:34:23 ID:J0c3f.DKmM

《そのまま眠っていれば良かったのに……でも、もうだめ。あなたは、またお父さんのいない世界に戻ろうとする。そんなの……ぜったいゆるさない……!》

 《小学生の志保》が、また手を振る。『北沢志保』は強烈な睡魔に襲われた。う、と呻くと瞼が鉛の如く降りてきて抑えられない。

(ね……ねむ……い……)

 だめ。眠ってはだめ。そんな無意識の警鐘が鳴りはするも為す術もない。縛られた体は闇底に、薄れる意識は泥沼に沈んでいく。

《これからは『ふつうの志保ちゃん』がふつうに暮らすの。お友達ともたくさん遊んで、お父さんやお母さんや、りっくんとみんなと一緒に、したいことをたくさんするの》

 《小学生の志保》の声が爛々とする。


261 : Pちゃま 2021/01/09 16:59:09 ID:J0c3f.DKmM

(お……お……かあ……さん……り……くん……)

 『北沢志保』は最愛の家族の姿を想うも、それはすぐに儚く消えてしまう。閉じられた瞼の闇によって。

《だからね、『今までの志保ちゃん』は眠ったままでいいんだよ。ずーっと、ずーっとゆっくり眠ってて》

 《小学生の志保》がまた手を振った。『北沢志保』の意識が真白に掠れていく。眠らされる。『北沢志保』は怯えた。このまま自分が消えるのではないかと怯えた。知らぬ内に閉じられた目頭に水滴が滲んだ。

(た……す……け……て……。だ……れ……か……)

 もう声にならない『北沢志保』の声は誰にも届かない。無情にも彼女の体は、闇に沈み続けていく。


262 : プロヴァンスの風 2021/01/09 17:01:00 ID:J0c3f.DKmM

《お休みなさい……『今までの志保ちゃん』》

 《小学生の志保》の最後の手振りが『北沢志保』の意識を飛ばす。

(たす……け……。……おか……あさ……。プロ……デュ……さ……。……た……す……)

 母と『彼』の姿が脳裏に霞み、そして闇に包まれ消えた。そのまま『北沢志保』の意識は薄れ去った。


263 : ハニー 2021/01/09 17:02:16 ID:J0c3f.DKmM

・・・・・・・・・・・・

「っ!」

 『彼』は飛び起きようとした。だが、腕にかかる重石が、それを許さなかった。

 それは、まだ朝焼けも薄い早朝の寝室での事だった。

 ベッドからも抜け出さんばかりだった『彼』は自分の隣で眠り、自身の腕に抱き着く、志保の寝顔を急く息遣いで覗き込んだ。別段、何ともない寝息で静かに眠る志保。念のために、前髪を掻き分けて、その顔色をじっくりと窺った。やはり、至って平常、のように見える。

(な、何だったんだ……あの夢……? 志保が、助けを求めていたような……)


264 : プロデューサーくん 2021/01/09 17:14:54 ID:v/o1Qv8iMk

 分からなかった。暗い空間で、志保が自由を奪われ、涙ながらに自分に助けを求めていた、あの姿。夢のはずなのにやけに現実味を帯びていた。

 昨日、志保は14歳になれる、と儚げながら嬉しそうだった。それが、先の夢では志保は助けを求めていた。自分の妄想か、行き過ぎた思いが夢に出ただけなのか、それともあるいは。

「志保、志保?」

 起きるには、まだ早いが起こさざるを得なかった。その肩を揺らすと、志保は目を擦ると共に、大きな欠伸をして起き上がった。ごしごし、と目元を擦り、『彼』を、見やる姿は、どこかあどけない様だった。

 『彼』は、違和感を突き付けられたようで、また、すがめた。


265 : 我が友 2021/01/09 19:27:48 ID:6mUGm0A0ZY

「どうしたの、お父さん……。志保……まだ眠いよう……」
「し、志保。体は大丈夫か? どこか苦しい所はないか?」
「え? ううん、何ともないよー。志保は元気だよ、お父さんっ」

 寝ぼけ眼なまま、志保は砕けた笑顔で、『彼』の腕に抱き着いた。『彼』の中で情報の整理がつかなかったが、はっきりと分かったことはあった。やや呆然とされるがままの『彼』の額から冷や汗が伝おうとしていた。

(また……小学生になっている……)

 それは、志保の記憶障害も8日目となった朝のことだった。


266 : EL変態 2021/01/11 14:02:05 ID:dMp.B0B0GU

「あ、静香。こっちこっち」
「ごめんなさい、歩さん。待たせちゃいましたか?」
「ううん、全然。そんなことないよ。アタシこそレッスンもないのに、呼び出しちゃってごめんね」

 空の青みが薄れ始め、西日が、その色を変えた頃。ここ、765プロライブシアターの屋上を包む煌々とした茜色にも、負けじと烈々なるピンク色の髪を靡かせ、柵にもたれている歩の姿を静香は見つければ近くに寄る。

 柵に手を置き、ちょっとした緊張を抱いて、歩の出方を伺う静香。
 少し肌寒さを感じるものの、流れる風は爽やかな心地と音で、沈みゆく夕陽の穏やかな温かみは、ぎこちない両者の間を持っていた。


267 : 箱デューサー 2021/01/11 14:03:38 ID:dMp.B0B0GU

「あのさっ、お腹空いてない? これ、アタシのおすすめなんだっ」

 風が止んだ頃、何かに気押しされるように歩が小さな紙袋を持ち出しては、ごそごそと探り当てた中身を静香に差し出した。ちょっと膨らんだ楕円で、英字を散りばめた包み紙で巻かれているそれは。

「ハンバーガー、ですか?」
「そうそう! アタシの好きな店のなんだよ。食べてみない?」

 よくあるチェーンストアで販売されている物とは違う。知る人ぞ知る店なのかな、とちょっとした未踏への好奇心が浮かんでくると小腹の空きを変に意識してしまう。

 頂きます、と静香は包みを開ければ、見慣れない焼き色のバンズに始まり、はみ出る程の連なる赤と緑の瑞々しい野菜、分厚く幅広いパティの存在感に思わず目を丸くした。取りあえず一口食べてみると、無意識に美味しい、と漏らしてしまう。


268 : Pサマ 2021/01/11 14:05:33 ID:dMp.B0B0GU

 でしょ、と返す歩も、お気に入りのハンバーガーを頬張っては、風に煽られたメッシュの毛先にソースが付着してしまって慌てていた。

 こんな所で立ち食いなんて意地汚いかなと思いつつも傍目のないのを言い訳に、歩は元より静香は慣れない美味さに興じた。

「ねえ、静香。志保とのことなんだけどさ、大丈夫?」
「え。な、何がですか?」

 半分程食べ終えた頃、先程までの揚々さが失せた歩の厳かな視線に、静香のハンバーガーを持つ手が止まった。

 一息置いて、残りのハンバーガーを包みに戻し、どことなく緩やかな笑顔を作る歩。

「なんていうかさ。結構、へこんでいる雰囲気だったから。志保に対して色んな事、トライしてるって聞いたよ」


269 : プロデューサーちゃん 2021/01/11 14:10:55 ID:dMp.B0B0GU

「……はい。でも、何をやっても上手くいかなくて。だから、私が勝手に自滅して落ち込んでいるだけで……大した事はありません」

 湧いて出る気後れに脱力してしまうと、静香は首を上手く持ち上げられなくなった。落とした先の視界には、ハンバーガーを持つ両手の小さな震えが忌々しく映っていた。心なしか瞼と眉間が、わずかに絞られる。

「そっか……」

 そんな呟きが聞こえれば、視界に歩の手が伸びてきて、自分の両手に重ねられた。静香がハッとして顔を上げた先は、苦笑い混じりで自分と同じく脱力した首を持ち上げられずにいた歩だった。

「歯痒いよね。仲間の為に何かしたいのに、何やっても上手くいかないってさ」
「歩、さん……」


270 : Pちゃま 2021/01/11 16:13:39 ID:dMp.B0B0GU

「アタシさ、あの時のレッスンの事、やっぱ後悔しきれなくてさ。もっと早く志保を止めてれば、こんな事態にならなかったって何度も何度も考えちゃうんだ」

 歩、静香、志保の三人で行ったレッスン。

 頭から転倒した志保が記憶を失う切っ掛けになってしまったレッスン。師事していた自分が迅速に判断を下していたら、志保は転倒することもなければ、記憶を失うこともなく、今日もレッスンに参加していたのだろう。

 などと絵空事を思い描けば、歩の笑顔は、一層濃く苦味を増した。

「でも、それは歩さんのせいじゃないと思います。そんなに思い詰めなくたって……」
「ありがと。でも、それは静香も同じだよね。静香のせいじゃないのに、なんで静香はそんなに思い詰めてるの?」


271 : プロデューサーさん 2021/01/12 23:15:59 ID:TbYJMmSmRQ

 ぎょっとしたように静香は視線を泳がしてしまう。その様子を歩が、くすくすと笑う。理由が分からず静香は内心、複雑だった。

「な、なんでって……あ、当たり前じゃないですか。同じアイドル仲間なのに……」
「そうだよね。アタシも同じだよ。でも、何か助けになりたいのに、何かやっているだけで何の解決にもなってないんだよね」

 静香の手を離した歩は、夕風に体を預けたように、また柵にもたれかかる。そうして、やり場のないように歩も視線を泳がすように西日に向けた。その横顔を見る静香の眉間には皺が寄りつつあった。

「……それって、私のやっていることなんて無駄だからやめておけって事ですか?」


272 : レジェンド変態 2021/01/12 23:17:50 ID:TbYJMmSmRQ

 言って深読みしすぎたと、静香は我に返った。しどろもどろに、すみませんと伏し目がちに謝る静香の心模様は分かりやすくて歩は、また笑ってしまう。

「そんなんじゃないけどさ。何もできないって自覚したなら、黙って耐えなきゃいけないのかなって思うんだ。静香だって分かっているんじゃないのかな? 今の志保にしてやれることなんて見守ることだって」
「そ、それは……」

 言い淀む静香の瞳が揺れる。認めたくはなかった。それを認めてしまえば、志保のことは『彼』に任せざるを得ないから。でも、それはまだ受け入れたくはなかった。


273 : プロちゃん 2021/01/12 23:27:58 ID:TbYJMmSmRQ

「静香の気持ち、何となく分かるよ。何かアクションしないと罪悪感、感じちゃうよね。何もしない自分が許せないっていうかさ。でも、そういう行動ってさ、相手の為ってよりかは自分の為になっちゃうよね。自分の不甲斐なさを認めたくないから。自分は相手の助けになれるって自分を疑いたくないからさ」

 歩は、また笑う。明後日の方向に向けるそれは自嘲のようにも取れた。静香の両手からカサっと音が鳴り、その中と包装紙は、やや丸められ、皺が増える。

「わ、私は……そんなつもりじゃ……」
「ごめん、責めてるつもりじゃないんだ。勿論、静香がそんな事、考えてるなんて思ってもないよ。ただね、自分でやってダメだったら誰かを当てにしていいと思うんだ。アタシは志保に話しかける程度で、何にも良くならない。自分に出来る事なんて、この程度だって自覚しちゃったら、もっと力になってくれる人を当てにしちゃうんだ。まあ、プロデューサーなんだけどね……」

 静香は、もう反論しなかった。ただ、もう冷め切ったハンバーガーを持つ手だけが震えてた。

 返事が帰らず、棒立ちする静香の手から、歩は、そっとハンバーガーを抜き取った。また暖かいのをご馳走するよ、と歩は言い残し、静香の肩に手を置きつつ、夕風と共に屋上から去っていった。


274 : プロデューサーさん 2021/01/12 23:29:39 ID:TbYJMmSmRQ

 静香は数歩進み、行き止まった柵の手すりに触れれば、広がる街並みの光景を視界に入れた。

「分かってる……。最初から……分かってたわ……」

 そうして、手すりに顔を沈めては額を置いた。その彼女の顔は消沈を絵に描いたようで。静香は、夕風の寒気も忘れ、ただ現実を噛み締めるのが精一杯だった。


275 : Pくん 2021/01/12 23:30:40 ID:TbYJMmSmRQ

・・・・・・・・・・・・

 事務室の『彼』は机上のパソコンの前にも関わらずキーボードに触れる事なく、その空虚な視線を窓辺へ、その先の黄昏に染め落ちる街並みへと飛ばしていた。

 ふと、デスクの引き出しから分厚いファイルを取り出した。内容は、765プロダクションに所属するアイドル達のプロファイル。か行のラベルを過ぎ、ページをさっと止めれば、そこは北沢志保のプロファイルだった。

(アイドルの志望動機は『働きたい』ということ。それから、絵本の中のお姫様みたいというアイドルへの憧れ。14歳。○○中学に在学中。家族構成は、お母さんと保育園に通う弟さんが一人。父親の情報は特になし……)

 規定の書式の枠組みから、はみ出る手書きのメモを指でなぞりながら、ふと39プロジェクトのオーディション風景を思い出していた。志望動機の項目枠に記入した『働きたい』の一語句に付け加えてある注釈の吹き出しには。

『母子家庭で母親に楽をさせたい。家族想いの子?』

 と当時書いたメモで、なぞる指を止めた。


276 : プロデューサーさま 2021/01/12 23:32:33 ID:TbYJMmSmRQ

(あの時は……特に家族について深く聞きはしなかった。母子家庭とは聞いていたが、父親とは何らかの形で定期的に会っているものかと思っていた……。けど、志保はもう何年も、お父さんとは会っていないのかもしれない……)

 その注釈を、なぞった指でトントンと押すように叩く。ふと、オーディション当時、志保の言葉の断片を思い出す。

『うちは母子家庭なので。私が何もしないのはもったいないと思って』

(志保は自分が働けば、お母さんが家にいられると言っていた。母子家庭の為にアイドルをやっているなら、お父さんがいる、ごく一般的な家庭環境だったら、志保にはアイドルを目指さなかった未来もあったのかもしれない……ん?)

 腕を組んでは天井を仰ぐ。

(お母さんを助けるのは結果的にお父さんがいないから? つまり、お父さんがいないからアイドルをしていて……。お父さんがいたらアイドルをしていない……?)

 仰いだ天井を怪訝な瞳で睨む。


277 : プロデューサー殿 2021/01/12 23:33:53 ID:TbYJMmSmRQ

 当たり前の事象が『彼』の脳裏に何度も木霊する。ふっと目を閉じ、思案を頭の深淵に落とし込み熟考する。次に天井を見据えた時、『彼』は立ち上がり窓辺に寄りて、夕暮れの河川に目を落とす。

(何か……見落としているような気がする……)

  追求の思考を回していると、控え目のノックからの来訪者に振り向いた。期待焦がれる相手に、『彼』は歩み寄る。

「失礼します、お疲れ様です」
「ああ、風花。お疲れ様。すまないな、レッスンもないのに呼び立ててしまって」
「いえ、私も早くプロデューサーさんに言っておきたかったので。今からでも大丈夫ですか?」
「ああ、勿論。首を長くして待っていたよ。ミーティングルームを押さえてあるから早速行こう」


278 : プロデューサー 2021/01/12 23:39:01 ID:TbYJMmSmRQ

・・・・・・・・・・・・

「プロデューサーさんの言う、志保ちゃんが記憶障害ではなく多重人格ではないかという指摘ですけど、《解離性同一症》という症状が当てはまるんじゃないかと思うんです。それで、その線で友達にも話を聞いて、私なりに志保ちゃんの状態と照らし合わせて、どういった現状かを考えてみました」

 場所を変えたミーティングルームで対面する風花は、普段とはどこか違う笑顔の消えた面持ちだった。その声色も当たり障りのない事務的な調子のはずが、どことなく冷淡さが目立っていた。

 見慣れた鞄から取り出した見慣れないノートを広げ、やや乱れ調ではあるものの、一頁に渡るメモに目を走らせながら、『彼』に向き直った。

「解離性同一症というのは多重人格障害の呼び名が変わったもので、内容は同じことです。一人の人の中に、いくつかの人格が共存しているのが特徴です」

 『彼』は前のめりになりつつ、静かな相槌を打つ。


279 : ぷろでゅーしゃー 2021/01/12 23:40:39 ID:TbYJMmSmRQ

 風花はノートに目を落としつつ、メモに指を這わせる。

「最初、志保ちゃんは心の年齢が進んだり戻ったりして、記憶障害としては不可解な状況でした。ですが、実は小学生の志保ちゃんの人格がいて、また13歳の志保ちゃんの人格がいて、二つの人格が入れ替わっていたという仮定なら記憶障害ではなくて、多重人格だったと、まだ納得できます」
「な、なるほど……」
「解離性同一症によって生まれる別の人格は、本来の人格とは異なる人間意識の場合が多く見られます。志保ちゃんの場合は他の人格が二人とも『北沢志保』だと自分を認識していたので、記憶障害と診断されたのでしょうね。ちなみに、この症状の原因は幼い時に強いストレスやショックを経験していたことが挙げられています」
「強いストレス……ショックか……」

 『彼』はもたれると腕組みの後、顎に手をやる。

(志保に、それがあるとしたら……父親に起因が……?)


280 : ご主人様 2021/01/12 23:42:09 ID:TbYJMmSmRQ

 視線を泳がしつつ思案する『彼』だが、頁をめくる紙音に現実に戻されると、神妙な風花に目線を戻した。

「ただ、多重人格だったとして、気になる点もいくつかありまして」

 『彼』は頷き、風花はまたノートに目を落とす。

「プロデューサーさん。いつもの志保ちゃんの人格が出ていた時は、あるように見えましたか?」
「いや、見る限りは出てきていないな。小学生、あるいは13歳を自称する志保しか目にしていないよ」
「そうですか……。一つはそこが気になりました。事故から一週間は経っているのに、どうして本来の志保ちゃんの人格が一度も出てこないのか。共存しているのだから一度は出てきてたっておかしくないはずだって」

 風花が言い淀む中、また顎に手をやる『彼』の脳裏に今朝の夢が過ぎる。自由を奪われた志保。そして、その夢にもう一人の影がいた事を思い返した。志保の自由を奪った小さな影の存在が。

「……あるいは共存と言いつつ、志保の中で力の強い人格者がいて、そいつが本来の志保の人格を出さないようにしている。……というのは想像が過ぎるかな」

 と、目を細めて、まさかなと、しかめて笑ってみせる。


281 : Pさぁん 2021/01/12 23:43:59 ID:TbYJMmSmRQ

 しかし、芳しくない表情のまま、面を上げない風花を見ると『彼』の作り笑いは絶たれた。

「実は、そういう症状もあるようなのです……」
「何だって……? そんな事が、か……?」

 虚を突かれた『彼』の目が潜まる。

「元の志保ちゃんが出てこない要因は二点、考えられます。一つは、元の人格意識が極端に弱まって……言わば、志保ちゃん自身が深い眠りについている可能性です。二つ目はプロデューサーさんの指摘通りで、後から出来た別の人格が、本来の人格よりも支配力が強い場合です。……それは主となる人格が入れ替わるようなこともあるそうなんです……」

 『彼』に目を向けない風花の語調が濁り出す。

「前者はともかく、後者の場合は……元の志保の意識はどうなるんだ? 自力では出てこれないのか?」


282 : プロデューサーはん 2021/01/12 23:46:24 ID:TbYJMmSmRQ

「い、今の時点では……な、何とも……。ただっ、本当にそういう状況でもちゃんとした治療をしていけば……ま、また入れ替わる……事も……」

 質疑が続く程、俯く彼女の言の葉が散っていく。

「治療というのは、すぐに効果が出るのか……?」

 平静な口振りの『彼』。机上に置かれた手が拳となる。

「そ、その……長期的な治療になるかもしれないので……すぐかどうか……」

 風花の目が泳ぐ。ノートから離れた手が膝元のスカート生地をきゅっと掴んだ。

「治療の効果が出なければ……どうなる……?」

 『彼』が前のめりになる。押し付けられたままの拳が机を、わずかに揺らす。

「……ずっと別の人格が……志保ちゃんを支配……している事に……なるかと……思い……ます……」

 風花の語調がますます弱くなる。思わず目を閉じる。


283 : P君 2021/01/12 23:51:28 ID:TbYJMmSmRQ

「待ってくれっ。それじゃ、志保が志保でなくなるのも同然じゃないかっ」
「プロデューサーさんっ。声が大きいですっ……。外に聞こえてしまいますっ……」

 我慢し切れず、と立ち上がる『彼』に、風花は小さな入口を見やっては大きく首を振った。

「す、すまない。思わず叫んでしまった……。でも、13歳の志保は『もうすぐ14歳になれる』って言っていた。それが……元の14歳の志保に戻るという可能性はないか……?」

 『彼』は胸を撫で、深呼吸一つにまた腰を下ろした。風花も持ち直したように顔を上げる。しかし、両者とも表情の色味は、強張りが増していた。

「確かに、元の志保ちゃんに戻るのかもしれません……。でも、別人格の13歳が、そのまま別人格の14歳になる事だって考えられます。そうだとしたら、元の志保ちゃんに戻るとは思えません……」


284 : ボス 2021/01/13 17:39:51 ID:bxQAu5YOZY

「……風花の言う通りだ」

 風花の指摘は充分に予測できる範疇だった。そのはずが、戻る兆しと勘違いした自分は愚かだった。自分のぬか喜びを指摘してくれた風花に逐一状況を報告していた事は正解だったと安堵した。

「もし……13歳の志保が14歳になったら……どうなるって言うんだ……」
「わ、分かりません……。もしかしたら、本当に人格が入れ替え……いえ、すげ替えられて本来の志保ちゃんの人格が出てこれない、ことも……」

 静まる空気が張り詰める。その時、何かの物音が、どこからか囁いたが、そんな些末な事を気にかける余裕は二人にはなかった。何か話さなければ、と『彼』は口をこじ開ける。


285 : 監督 2021/01/13 17:40:44 ID:bxQAu5YOZY

「それは最悪のケースだ……。そうなったら、志保がアイドルを毛嫌いするのも静香を拒絶するのもずっと、このままに……」
「そもそも、アイドルに関わった事は、全部なかったことになるかもしれません……。そうなったら、もうアイドルじゃない別の人生を歩むのも同じことです……」

 張り詰める所か、凍りつくような空気に『彼』と風花は沈黙する。『彼』の脳裏に最悪を想定する事態が張り巡らせてゆく。そのイメージがあまりに膨大過ぎて『彼』は、わなわなとした震えを抑えるだけで精一杯だった。

(志保の中にいる支配力の強い人格者……。見えない所に厄介な存在がいるとなれば、どうすれば……)


286 : 魔法使いさん 2021/01/13 17:41:47 ID:bxQAu5YOZY

・・・・・・・・・・・・

「これは……振り出しに戻ったのか……」

 報告を終え、やり場のない風花は、志保ちゃんを見てきます、とミーティングルームを後にした。向かい相手のいない机で一人腰掛けるだけの『彼』は目を伏せて呟いた。

 志保の症状が記憶障害ならば友達同士の触れ合いで記憶を取り戻せるかと『彼』は踏んでいた。『13歳の志保』が14歳になれるという言葉を今度こそ回復の前兆だと鵜呑みにしてしまっていた。

 百合子の本から得て、風花が調べた絵空事にも似た情報が、やけに現実味に溢れて『彼』は迷走一歩手前で何とか踏みとどまっていた。たかが夢の中で聞いた志保の助けを求める声が脳裏から離れない。


287 : 3流プロデューサー 2021/01/13 17:44:16 ID:bxQAu5YOZY

 『13歳の志保』が14歳になれば、それは志保の本来たる人格の消失を意味するかもしれない。そんな結末が頭の中で見え隠れして『彼』は呼吸の仕方を一瞬、忘れる。何気ない携帯端末の通知音が響き、『彼』は現実に戻された。

(とにかく、状況が変わったも同然だ。こうなっては志保のオファーもキャンセルを……いや、まだ代役でも間に合うか……ディレクターさんに交渉して……。……北沢さんにも状況を知らせて……皆には……何と言えば……)

 また『彼』はハッとして顔を上げた。やけにその目を見開いて。いつの間にか荒い呼吸の自分に、ふつふつと得もしれない怒りが込み上げる。思わず机上を拳で打ち付ける。

(違うっ。そんな事、誰が得をするんだっ、誰が喜ぶっ。やっぱり記憶は戻せない、ごめんなさいと頭を下げるだけなら誰にだって出来るっ)

 『彼』は歯を食いしばり、不甲斐ない少し前の自分に激怒する。


288 : せんせぇ 2021/01/13 17:48:08 ID:bxQAu5YOZY

(北沢さんもシアターの子達も俺を信じて、いつもの志保の帰りを待っているっ。本当の志保だって、お母さんを助ける為にアイドルに戻りたいはずだっ……ん?)

 また目を見開く。それは先立つ怒りが鎮火されたように何とも腑抜けたようで、何度も瞬きをしていた。

(なんだ……? 何か……大事なことが矛盾しているような気がする……。この違和感は……なんなんだ?)

 今一歩。僅かな所で何かを掴めそうな、そんな時だった。

「え……?」

 唐突に『彼』の背筋が強烈に痺れ、強い淀みを感じた。異なる負の感情が渦巻いては、ぶつかり合っている。

 しかも、ちょっとやそっとのものではない。さながら金属の打ち合いの如く、火花を散らしているのような強い衝撃が、シアターのどこかから発せられている。気づかぬ内に垂れた冷や汗が床を叩けば、己の戦慄を物語っていた。

(控え室だ……)


289 : Pはん 2021/01/13 17:52:52 ID:bxQAu5YOZY

 『彼』は駆け出した。そこで何が起きているのか分からない。ただ、行かねばならないと控え室へと駆けていく。

 止めなくては。この負の感情を野放しにしてはいけない。

「プロデューサー!」

 10秒もしない内に、廊下の奥から息せき切る歩に遭遇した。彼女は『彼』の目の前まで来るや、下がる手を膝で支えて、大きく肩を上下させた。

「歩。そんなに急いでどうした?」
「ぷ、プロデューサー……静香が……志保に……掴みかかってて……どうにもならないんだよ……」

 呼吸荒い歩の言葉に、『彼』は目を見開いた。思わず背筋に寒気が走る。

「お、お願いだよ、すぐ控え室に来てっ……」

 頷けば『彼』は、また駆け出した。背中から追ってくる歩の存在すら忘れて。


290 : Pさん 2021/01/13 19:13:51 ID:bxQAu5YOZY

・・・・・・・・・・・・

 バンッ!

「静香っ! 志保っ!」

 そうして、衝突事故への気配りも皆無に扉を開け放てば、静香が志保の両肩を掴んでは、怒りの形相をしていた。志保は抵抗もできず首を、ぶんぶんと振るばかりで閉じた瞳から涙が滲んでいる。その二人の間に割って入ろうとする風花は、静香を引き離せないでいた。

 次いで可奈、未来、翼、エミリーの傍目も憚らんばかりに泣きじゃくる少女たちの悲痛極まり情景が飛び込んできた。可奈は尻もちをついて項垂れ、未来はそんな可奈に寄り添いながら、翼はへたり込み、エミリーは立ち尽くし顔を覆い、雫を落とし続けていた。

(4人には志保の話し相手をしていて貰ったはずなのに……。この状況は何なんだ……)

 立ち竦む『彼』の息が詰まる。


291 :ご主人様 2021/01/13 19:52:43 ID:bxQAu5YOZY

「お父さんっ! お父さんっ、助けて、助けてぇぇぇっ!」
「あんたのお父さんはあの人じゃない! あの人は、あんたをアイドルにするプロデューサーなのよ!」
「静香ちゃん! やめて! お願いだから!」

 悲鳴に、怒声に、嗚咽が渦巻く阿鼻叫喚も同様な空間に『彼』の思考も凍り付きそうになる。揉み合う二人の少女を諌める風花の焦り顔が、こちらを向いた。

「ぷ、プロデューサーさんっ。し、静香ちゃんをっ」

 燃え盛るような気迫の静香に、体を動かせずに泣いて叫ぶ志保。一歩を踏み出すのに躊躇した『彼』は、くっと歯を食いしばって静香の背中に回り込む。


292 : 貴殿 2021/01/13 19:53:57 ID:bxQAu5YOZY

「静香っ、落ち着くんだっ!」

 大の男が繊細な少女に、強引も止む無し。『彼』は我武者羅に暴れる静香の手首を取ると、志保から引き剥がした。我を失いかけている少女は、不似合いな力で『彼』に抗う。

「放してっ! 放してっ、プロデューサー!」

 背中からの拘束も何のその。静香の標的は変わらず志保だった。志保は介抱する風花の袖を掴んで息も絶え絶えに、冷や汗が浮かんでは瞼をぎゅっと開こうとしなかった。

「どうしたんだ、静香っ。何があったんだっ」
「志保の、志保の記憶を戻すんですっ! このままじゃ!」
「静香、落ち着いてくれっ。志保が怯えているっ」
「あんなのっ! あんなの志保じゃないっ! 放してぇっ!」
「静香、堪えてくれっ」

・・・・・・・・・・・・


293 : プロデューサーちゃん 2021/01/13 21:29:13 ID:bxQAu5YOZY


 それは、ほんの数十分前だった。

 窓から差し込める夕影で茜に染まる廊下を歩く静香の視界は、少し先の床しか映っていない。彼女の足は『彼』がいるであろう事務室に赴いていた。近づくにつれ、静香の口角がきゅっと締まった。

(お願い……しなきゃ……志保のこと……)

 歩と別れた後の静香の歩調は、ゆったりとしているも物寂しげではあった。一歩一歩と踏み締める度に、心で盛っていた熱は徐々に冷めつつあった。知らぬ内に張っていた肩筋は、また知らぬ内に降りていた。何となく息の通りが滑らかに思える。あれやこれやと考えては回っていた頭も鳴りを潜めていた。あれだけ頼るまいとしていた『彼』への抵抗はまだ残りつつあるものの構わなかった。

 分かっている。私に出来ることなんて、この程度だって。『父親』であるあの人にしか出来ない事ばかりなんだって。


294 : 貴殿 2021/01/13 21:31:02 ID:bxQAu5YOZY

「失礼します。あの、プロデューサー?」

 扉を開けた事務室は夕焼けの眩しさのみで静寂だった。どこに行ったのか、と思い留まり、ホワイトボードの行動表を一瞥して『彼』の足取りをすぐに追った。

(何て言おうかな……。また、お願いしますって……)

 ミーティングルームゾーンに辿り着けば、数ある部屋の一つだけ『使用中』のサインプレートを見つけた。その目の前まで来た、その時だった。

「待ってくれっ。それじゃ、志保が志保でなくなるのも同然じゃないかっ」

 扉の向こうから漏れてきた声。『彼』の張りつめた声が扉の遮蔽を越えてきた。それは周囲の静けさに乗って、はっきりと静香の耳に運ばれていた。

「……え……」

 ノックをしようとした手が硬直した。半開きになった口から漏れる小さな驚愕。踏み出せず棒になった両足。急に聞き耳の神経が研ぎ澄まされる。いまの、ことばは、なに?


295 : 我が下僕 2021/01/13 23:25:10 ID:bxQAu5YOZY

「プロデューサーさんっ。こ……おお……す。そと……しま……」

 断片的だが潜めるもう一つの声。風花さんだ。そして、『彼』も声を潜めたのか。ごそごそとした雑音しか聞こえなくなってしまった。

 静香は気づいた時には扉に耳をつけていた。目は呆然とし、抜け殻のように気配は死んでいたが耳にだけ全神経が集中されていた。止まった頭のまま、静香は情報だけを取り込む。

「確かに、元の志保ちゃんに戻るのかもしれません……。でも、別人格の13歳が、そのまま別人格の14歳になる事だって考えられます。そうだとしたら、元の志保ちゃんに戻るとは思えません……」

 風花の声に、静香は息を呑んだ。呑みすぎて瞳孔が開いた。


296 : 高木の所の飼い犬君 2021/01/13 23:27:23 ID:bxQAu5YOZY

「もし……13歳の志保が14歳になったら……どうなるって言うんだ……」
「わ、分かりません……。もしかしたら、本当に人格が入れ替え……いえ、すげ替えられて本来の志保ちゃんの人格が出てこれない、ことも……」

 あれだけ滑らかだった呼吸が、絞首も同然に苦しくなれば、息遣いが無闇に、かき乱される。

「それは最悪のケースだ……。そうなったら、志保がアイドルを毛嫌いするのも静香を拒絶するのもずっと、このままに……」

 あれだけ冷めていた熱が沸点を飛び越え、身を焦がしていけば、頭が焦燥に振り回される。


297 : Pチャン 2021/01/13 23:28:25 ID:bxQAu5YOZY

「そもそも、アイドルに関わった事は、全部なかったことになるかもしれません……。そうなったら、もうアイドルじゃない別の人生を歩むのも同じことです……」

 あれだけ静寂を保っていた体が、指の先から震えれば、心臓にまで不快な振動を伝えてくる。

 吐息の熱が意図せず高まると共に、杭を打たれたように高まる心音が、そこから先の会話をかき消した。静香は瞳の焦点が定まらないまま、ゆらりと立ち上がり、ふらふらと歩き出した。足音が立つことなく。

「早く……早く……しないと……」

 ミーティングルームを離れ、角を曲がる静香の呟きは誰にも届かなかった。


298 : 師匠 2021/01/13 23:32:14 ID:bxQAu5YOZY

・・・・・・・・・・・・

「あ、静香ちゃん! 来てたんだ! 教えてくれたら良かったのにー」
「未来……。志保は……どこにいるの……? いるんでしょ……?」
「え? 志保なら控え室に、みんなといるよ。あ、知ってる? 志保ってばまた小学生に戻っちゃったんだよー」

 トイレの帰り道。廊下の丁字路を突き進む未来の視界の端に入った静香を、彼女は思わず二度見して戻ってきては手を振る。未来は、にこやかに迎えたつもりだったが、静香はちらっと自分を一瞥するだけで、そのまま横を通り過ぎる。小学生という言葉に、眉を潜めて。

「静香ちゃん? 控え室に行くの? 待ってよー」

 一瞬、見えた視線が妙に冷たく感じたけど、気のせいかなと構わず静香の後を追いかける。隣に並んで、静香ちゃんと呼び掛けても、うんの一言しか返って来ず、未来はちょっと不機嫌寄りの困惑気味だった。

 その凍てた目は何を見据えるか。静香は視線を前に置いたまま、ずんずんと控え室を目指していく。


299 : おにいちゃん 2021/01/14 00:15:04 ID:Rb3idbXHfU

・・・・・・・・・・・・

 ノックをすることもなく扉を開ける静香は、控え室の机に座る志保に、彼女を囲う可奈、翼、エミリーの姿を見つけると息を呑み、わずかに顎が下がった。

 談笑でもしていたのだろう。志保に笑いかけていた可奈は、異様な視線にハッとして笑顔を崩した。その視線の先には静香がいて、その彼女が刺すような鋭い目をしていて更に疑問符が浮かんだ。静香ちゃん、と問いかけても当の本人は自分ではなくただ、志保を見据えていた。

 静香が一歩を踏み出した時、志保はびくっとして隣に座る可奈の裾を握る。可奈は、え、え、と静香と志保を交互に見ていることしかできなかった。唯ならぬ静香の佇まいに困惑するエミリーは翼に求める視線を送るも、翼はふるふると首を振るばかり。

「し、静香ちゃん。どうしたのっ」

 我慢できず張り上げた未来の声も構わず、静香は椅子に座る四人の目の前にまで来て、やはり志保を刺すように見下ろした。


300 : 貴殿 2021/01/14 00:20:01 ID:Rb3idbXHfU


「し、静香ちゃん? な、なんで、そんなに~……怖い顔~……してるの、かな~……?」

 リズムに乗せたかった可奈の言葉は掠れ出るだけだった。裾を掴む志保の手が震えているのを横目に見て、余計に慌てる。

「志保……。あんた……いつまで、そんな調子でいるつもりなのよっ!」

 場を凍り付け、天津さえ砕いてしまうような静香の強い語調。後ろから静香の肩を掴もうとした未来。落ち着かせようと志保の手を取ろうとした可奈。落水に打たれたように志保以外の少女は、えっ、と間抜けな声で言葉が詰まってしまった。

 静香の眉が吊り上がり、唇が絞られ微かに震えている。その雰囲気に可奈の袖を掴む志保の手が強まる。

「な、何……? 志保、怖いよ……」


301 : おやぶん 2021/01/14 00:24:53 ID:Rb3idbXHfU

「……違うわよ。志保は……志保は……そんな喋り方しないわよ!」
「ね、ねえ、静香ちゃん……。なんか~めちゃめちゃ……怖いん……だけど……」

 何が皮切りだったのか。あれだけ志保を気遣っていた姿勢など微塵も見えず、激情を飛ばす静香の姿に翼は拍子抜けだった。その矛先の志保は、ひっと怯え震え、可奈の肩に顔を伏せようとしている。

「し、静香ちゃんっ。お、怒らないでっ」
「やだ……やめて……。志保、知らない……! あっち、行って……!」

 可奈は志保を庇って前に出ようとしたが、静香の眼光がそれを許さない。まだ弱々しくすがる志保の姿が今の静香には怒りでしかない。


302 : ボス 2021/01/14 00:26:09 ID:Rb3idbXHfU

「静香ちゃんっ。志保、記憶がまだ」
「志保は! 何も知らない小学生なんかじゃない! 私たちと同じアイドルなのよ!」

 未来の制止でも収まらない静香は、可奈の肩に伏せる志保の両肩を掴んで無理矢理、立たせた。共に怒声を浴びせられた可奈が、ひうっと鳴き、一瞬、瞼を閉じてしまう。

「このまま、ずっとそのままなんて! 絶対に許さないんだから!」

 静香が声を荒らげる程、志保の瞳が恐怖で震えている。自分相手に物怖じしないはずの瞳が揺れている様は、何とも憎らしい。これが、志保の目なのか。偽りの志保の瞳が憎らしくて仕方ない。


303 : 魔法使いさん 2021/01/14 00:32:16 ID:Rb3idbXHfU

「いやっ! いやっ!」
「し、静香さんっ。ど、どうか落ち着いて下さいっ」

 両肩を揺す振られる志保は抵抗しようとも静香に、ひっしと掴まれ身動きするのもままならない。立ち上がったものの静香に近づけないエミリーを他所に、可奈は止めなきゃ、と呟き畏怖に駆られつつも静香の腕にしがみつこうと掛かった。

「静香ちゃん、や、やめてあげてよっ」

 ドンッ

「きゃっ」

 仕掛けるタイミングが悪かったか。可奈は二人の揉み合いで衝突を受け、よろけては尻もちをついた。静香も志保も可奈を見てもいなかった。可奈は呆然としていた。それは打ち付けた痛みではなく、見上げた静香の形相、瞳の色に。今まで見たことのない色に呆然としていた。

「志保! あんたはアイドルなのよ! 今まで一緒に活動してきたじゃない!」
「知らないっ! 知らないもん! 志保はアイドルじゃない! あっち行ってよ!」

 ただただ、絹を裂くような二人の争い声が、この空間を支配していた。


304 : ご主人様 2021/01/14 00:37:53 ID:Rb3idbXHfU

・・・・・・・・・・・・

 私は、見上げる二人の存在を急に遠くに感じた。いつもおしゃべりしているこの部屋が、どこか別世界のように感じて。張り詰めた空気が息苦しくて、全身が凍ったのかなって思えて。

 怒る静香ちゃんに、叫ぶ志保ちゃん。二人はよく口喧嘩もするし、意地の張り合いだってしてる。けど、こんな追い詰めるようで掴みかかる喧嘩なんて、ただの一度だって見たことなんかない。

 どうして、こんな事になっちゃったのか分からなかった。今日だって本当は公演の打ち上げやろうって前から約束してて、志保ちゃんもお家の事情で忙しいけど、オッケーしてくれてたのに。


305 : 我が下僕 2021/01/14 00:40:41 ID:Rb3idbXHfU

 そうじゃなくても、つい先週まで私たちは普通にレッスンして、帰りにどこか遊びに寄ったりして、普通に過ごしていただけだったのに。

 志保ちゃんが記憶をなくしてから、静香ちゃんはずっと泣いたり、落ち込んだり、今みたいに怒ったりして、他のみんなだって、どこかぎこちない日ばっかりが続いていた。

 どうして、こんな事になっちゃったの。分からないよ、分からないよ。誰かが悪いことしたの? 私が悪いの? 静香ちゃんが悪いの? それとも志保ちゃんが悪いの? もう訳が分かんない。

 妹みたいな志保ちゃんもありかな、ってずっと誤魔化してたのに……志保ちゃんはいなくなってない、って誤魔化し続けてたのに……。

 プロデューサーさんだって、志保ちゃんの記憶は戻るよって言ってくれたから……我慢できたのに……。我慢……してたのに……ずっと……我慢してたのに……なぁ……。

 こんな現実……見ちゃったら……もう……むり……だよ……。全然……いつも通りじゃ……ないよ……。


306 : お兄ちゃん 2021/01/15 19:16:58 ID:ncNqsfQ2Wc

・・・・・・・・・・・・

「か、可奈っ。だ、大丈夫っ?」

 尻もちをついたままの可奈は未来に腕を揺らされると、見上げた視線をゆっくりと振り向けた。その怯えるようで、冷めきったような可奈の目を見た未来が、ぎょっとだじろいだ。それが引き金だったのか。可奈の目元が震えだせば、見る見るうちに『溢れ出した』。

「未来、ちゃん……もう……わた、し……むり……」

 可奈は項垂れる首と共に崩れるように折れていく背を両手を床につき支えるも、溜めに溜め込んだ涙までを支えることはできなかった。その落ちていく雫が床に弾けていく様を歪んだ視界で見れば見るほど、可奈は自制の術を見失う。

「もう……むり……だよ………うわぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」


307 : Pサマ 2021/01/15 19:51:01 ID:ncNqsfQ2Wc

「やめてよ……やめてよぉ……。わ、私……だって……!」

 泣き叫ぶ可奈の腕を掴む指が緩まり、しかし、袖をぎゅっと掴み直した未来の肩もまた震え出した。それは伝染するように未来の目頭を瞬時に熱くさせ、緩やかに滲むはずの雫が溢れ出るのは、別の意思が介在しているような錯覚で、未来もまた理性を失った。

「私だって我慢してたんだからぁぁぁぁ……!」

 未来はより一層の力で袖を掴み、可奈の肩に額を押し当て、本能のままに喚いた。

 二人の少女が泣き続け、二人の少女が争う状況に後ろの翼は、力を奪われたように床にへたり込んだ。更に肩が沈みかける所で踏みとどまる彼女だったが、その瞳が潤み始めたのも束の間。

「なに……これ……。こんなの……こんなの……全然楽しくない……。もうやだ……もうやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 天井を仰ぎ一気に泣き喚いた。頬を伝う涙は無常に床に落ちていくだけで、翼の何を晴らすこともできなかった。その瞳は現実を避けるかのようにぎゅっと閉じられていた。


308 : 箱デューサー 2021/01/15 19:52:39 ID:ncNqsfQ2Wc

「み、みなさんっ。お、落ち着いて……おちつ……。おち……つい……あ、あ……ああああぁぁぁぁぁぁ……」

 必死で皆を宥めようとエミリーの声は縮れていき、己の無力さと、混ざり合う叫びに踏ん張り切れなかった。堪らず両手で顔を覆い、さめざめと泣いては立ち竦んでいた。その指の隙間から雫が漏れ出したのはすぐのことだった。

 その時、外からのノックと共に出入口が開かれた。

「志保ちゃん、いる……え?」

 志保を探していた風花が何の気なし控え室に入れば、目の前で繰り広げられる異様な光景に、目を見開いて一瞬、押し黙る。


309 : 変態大人 2021/01/15 19:55:49 ID:ncNqsfQ2Wc

「違う! 志保は! あんたはアイドルなのよ! 思い出してよ!」
「やだっ! やだっ! お父さん! お父さん、助けて!」

 烈火に燃え、怒声を浴びせる静香に、ぎゅっと閉じられた瞼から涙が滲み、叫ぶ志保。その周りで悲痛な声を上げ続ける未来、翼、可奈、エミリー。途中から一緒にやってきた歩が怪訝そうな視線を風花の背後から覗かせると、理解に数秒を要した。

「し、静香ちゃん! 何してるの!」
「マイガー……。み、みんな、どうしちゃったんだよ!」

 風花は、声を荒らげては二人の間に割って入ろうも、静香の腕はびくともせずに志保の肩から離れなかった。鋭利に細められた静香の瞳の標的は志保だけだった。歩は泣く少女たちに駆け寄るも、その落涙を止められず、慌てふためくばかりだった。


310 : 3流プロデューサー 2021/01/15 19:57:09 ID:ncNqsfQ2Wc

「しっかりしてよ! しっかりしてよ、志保! ねえ!」
「やだっ! やだっ! やだっ!」
「静香ちゃん! お願いっ、やめてっ!」

 静香の心根は如何ものかと考えるよりも、大粒の涙を溢れさせては頭を一心不乱に揺らす志保の姿に風花は、顔面蒼白だった。

「歩ちゃん! プロデューサーさんを呼んできて! ミーティングルーム!」
「お、オッケー!」

 歩は、泣く少女達を前に一瞬の戸惑いはあったものの頷けば、弾かれるように飛び出していった。不幸中の幸いか、『彼』が、この阿鼻叫喚に踏み込んできたのは数分も経たない内だった。


311 : ぷろでゅーしゃー 2021/01/15 20:00:03 ID:ncNqsfQ2Wc

・・・・・・・・・・・・

「どうしたんだ、静香っ。何があったんだっ」

 『彼』は静香への拘束に細心を払いつつ一歩、二歩と風花に縋り付く志保から遠ざく。だが、両手首を掴まれた静香の顔は、ますます怒りの色が濃くなるばかりだった。その凄みは鉄格子を破壊しかねい獰猛な獣の、それに近い。

「志保の、志保の記憶を戻すんですっ! このままじゃ!」
「静香、落ち着いてくれっ。志保が怯えているっ」
「あんなのっ! あんなの志保じゃないっ! 放してぇっ!」

 志保、という名前に静香の目が見開く。それはもう仲間を見る目とは違う。まるで仇討ちとばかりに、目の前の『志保似』の少女に飛び掛かる勢いと眼光の凄まじさが静香を支配していた。勢いが衰えない静香は、離すまいとする『彼』の力加減を忘れそうにさせる。


312 : ダーリン 2021/01/15 20:02:07 ID:ncNqsfQ2Wc

「静香、堪えてくれっ」
「どうしてっ! 志保の記憶は戻らないのにっ! あなたは何もしてくれないのにっ! どうして、私を止めるんですかっ!」

 長髪を舞わせるように首を向ける静香の顔に『彼』は肝を抜かれる。牙を立たせるかのように食いしばる歯を露にした唇は蠢き、見る物を切り刻むようで瞳孔開き切る瞳は、まるで『お前も敵だ』と仇なす睨みを強めるばかりだった。ただ、その目から滲み出る存在が辛うじて、静香が少女であることを『彼』に認識させていた。

「し、静香……お前……」
「あなたがもっと……もっと……してくれ……たら……」

 やがて生気を奪われるように静香は『彼』への抵抗が消えていき、がくりと項垂れた。小さく漏れる嗚咽混じりの声を残して。


313 : ダーリン 2021/01/15 21:23:47 ID:R0t7Ga9llk

 そうして、悲哀の暴風は通り過ぎ、荒く息づいていた志保は風花の介抱によって、泣き続けた4人は歩の励ましによって、平静を取り戻しつつあった。この控え室が静寂に包まれた所で『彼』と、風花と歩の視線が重なった。

「風花、歩。志保を仮眠室で休ませてやってくれ。他のみんなもついていてくれないか?」

 はい、と頷く一同が志保を連れて、一歩を踏み出した所で、脱力したはずの静香が、再び襲いかかるように『彼』の拘束から逃れようとする。

「志保っ! 待ちなさいよっ!」
「し、静香っ!」

 不意を突かれた格好だったが、『彼』は何とか踏みとどまる。


314 : P君 2021/01/15 23:37:58 ID:R0t7Ga9llk

 静香は構うことはなかった。尚も藻掻きながら、皆に連れられ、弱々しい影を、その顔に帯びた志保を睨みつけている。だが、その猛々しいまでの静香の瞳から滲み、溢れようとしてる物が、差し込む夕影で儚く煌めいていた。

「逃げないでよ! あんたはアイドルなのよ! ちゃんと、あんたのステージに立ちなさいよ!」

 痛ましいばかりの怒声が一同の足を止めさせた。風花は沈んだ表情ながらも俯く志保の肩をそっと抱いた。志保の横顔は静香に振り向かない。

「私との事だって! 知らないの一言で済ませないでっ! 今までやってきた事は何だったのよっ!」

 なんて自分勝手なんだろう。この期に及んで、まだ私は自分のことを言っている。理性では理解していた。ただ、本能が本音を隠すことを許さなかった。未だ『彼』との拮抗で押し出せない腕の代わりに顔を前に出そうと一歩踏み込むと、目元から千切れた煌めきの一部が宙に散る。


315 : 我が下僕 2021/01/15 23:40:13 ID:R0t7Ga9llk

 乱れた前髪で目元を隠したままの志保は微動打にしない。

「あんたにとって、アイドルなんて、そんなどうでもいい事だったのっ!? ふざけないでよっ!」

 まくし立てた余波が静香の肩を揺らしていた。その瞳は波紋止めどない水面の如く。口元に漂う吐息の熱さも、緊迫した空間に打ちひしがれる身の震えも、今の静香には、取るに足らない事。どれだけ思いをぶつけても振り向いてくれない志保の姿が、ただただ悲しく虚しかった。

 そうして少しの沈黙を挟んでも何も動かない志保に、静香は力無く項垂れてしまった。

「戻って……戻ってきてよ……志保ぉ……」

 精魂尽きたように静香の声は消えゆき、また嗚咽となった。

「……俺は静香と話をするよ。みんな、志保を頼む」

 見兼ねた『彼』が、いたたまれない風花と歩に頷くと、二人は志保を連れて歩き出した。動かなくなった静香を、またいたたまれない横目で見送ろうとした未来は、べそを引きずったまま、『彼』へと歩を向けた。


317 : プロデューサー殿 2021/01/16 12:39:03 ID:q8p667cOKA

「わ、私……し、静香ちゃんについています……」

 その未来に続いて、私も、私も、と可奈、翼、エミリーが目元を擦りながら歩み寄った。数秒の思案の後、『彼』は分かったよ、と頷く。戸口に手をかけた風花が止まり、こちらに驚きの顔を向ける。その視線に再度、小さく頷く『彼』の顔を見た風花は、視線を伏せがちに歩と共に志保を連れていく。

 『彼』は、その時見た。俯く志保の口が空白の三音を綴っていた。口元の動きを頼りに『彼』は思案する。

(し……ず……か……?)


318 : 番長さん 2021/01/16 12:40:00 ID:q8p667cOKA

・・・・・・・・・・・・

 風花、歩が無言の志保を仮眠室に連れていき、控え室には茜に焼かれる『彼』と静香。そして、未来、可奈、翼、エミリーが残され、空気も静まり返っていた。『彼』は静香の拘束を離し、俯く彼女を見続けた。

「静香……落ち着いたか……?」

 そうして、気遣う次の言葉を探る『彼』は。

「プロデューサー」

 首を上げた静香の目に溜まる物をまた見て、それを失った。加えて、先の狂犬の様は消えて、儚い少女に戻っていたとなれば尚更に。それ所か、憔悴しているのかと言う程に茫然自失の有様だった。その肩はまるで笑っている様。

「このままだと……志保の人格は……別の人格に……変わって……しまうかも……しれないん……ですよね……」


319 : プロデューサー 2021/01/16 12:42:28 ID:q8p667cOKA

 しゃくり上げ、ちぐはぐに喋る静香が痛々しい。その後ろに控える少女達がえっ、とざわめく。『彼』の緊張が眉間を険しくさせる。

「静香、お前は……俺と風花の話を聞いていたんだな……?」

 力なく頷く静香。その拍子に一筋の涙が頬を伝った。その潤んだ瞳は悲しみの淀みに支配され、『彼』は直視し難く眉を潜めそうになる。

「プロデューサーさん……どういう……ことなんですか……?」

 覇気がなく手もだらんと垂れ下がるだけの可奈は呆然と『彼』を見据える。『彼』は淡々と口を開いた。志保が記憶障害ではなく多重人格である可能性。その中で力の強い人格者が志保を支配している恐れ。その影響による志保本来の人格の挿げ替え。

 続ければ続ける程、少女達の顔色は青ざめていくのが見て取れた。たかが推測で皆の心境を振り回す事は望まなかったものの、静香に聞かれてしまった落ち度は自分で拭うしかなかった。


320 : Pさぁん 2021/01/16 12:43:54 ID:q8p667cOKA

 その代償たる彼女達の面持ちから『彼』が目を背けるのは許される事ではない。言葉を失い、目を伏せる少女達に代わり、静香は『彼』への視線を外さなかった。

「プロデューサー……言い……ましたよね……。必ず……志保の……記憶を……戻すって……」
「ああ……」

 『彼』は言い訳しなかった。

 志保の中に、もう一つの人格がいて、それが本来の人格に成り代わるなど、高々個人の推測に過ぎない。しかし、気にするな、考えすぎるなとそんな今更の上辺文句が、涙をたたえる少女達の何を癒せるものか。

「もう……嫌です……。志保の……あんな……姿……」

 一歩を踏み出したかと思った静香は、吊られた糸が切れたように倒れ込んだ。その小さな頭は『彼』の胸板に沈んだ。ふわっと浮き上がった後ろ髪が降りる様を『彼』は、黙って見ていた。


321 : 貴殿 2021/01/16 12:46:33 ID:q8p667cOKA

 こんな時、肩に手を添えて元気づけの一言も投げる『彼』だったが、今は傍観しかできなかった。胸元から静香の火照った熱と同時に、冷たい感触が広がると『彼』の拳は強く握られていた。

「なのに……どうして……戻して……くれないん……ですか……」

 か細い左の指が『彼』のシャツを掴む。胸元を締め付ける握力、それは『彼』の心まで及んだのか、変な息苦しさに陥った。

「言った……じゃない……ですか……戻す……って……。記憶を……戻すって……言ったじゃ……ない……ですか……」

 か弱い右の拳が『彼』の胸板を叩く。型崩れした拳骨で、衣擦れ程度の打音なのに、届くはずのない『彼』の心を揺さぶった。


322 : 魔法使いさん 2021/01/16 12:50:01 ID:q8p667cOKA

「このまま……だと……志保が……いなく……なって……しまう……のに……どうしてっ……どう……して……」

 もうどれだけ心を擦り減らしたのか。こんなにも泣き顔を晒し、弱々しく縋る静香の姿を、今まで見た事があっただろうか。少女ながら子供扱いはするなと、普段は自分に引き目を見せない気丈さを振舞っていたのに。限界まで静香を追い詰めてしまった、と己の無力さに『彼』の拳が、わななく。

 『彼』は呼吸を整え、静香の両肩に手を添えた。

 ゆっくりと自分の胸元から引き離し、膝を折れば、流れる涙で頬が溶けてしまいそうな少女の顔を正面から見据えた。

「静香。二言はないよ。志保の記憶は必ず取り戻す」

 例え、その言葉に根拠はなくとも、その気持ちに嘘はない。


323 : ボス 2021/01/16 12:52:18 ID:q8p667cOKA

「……本当……? 本当に……本当に……?」

 大きく胸を上下させ、泣きじゃくる静香。

「約束だ」

 『彼』は頷く。目を逸らさず、真っ直ぐに見つめて。

「約束……」

 静香の呟きに『彼』は再度、頷くも静香は首を横に振る。え、と『彼』が内心驚いていると、茫然自失寸前の少女の目に意志の光が宿り始める。流るる涙は、強ばる頬でせき止めていた。

「……ちゃんと……約束……して……!」

 ぴくぴくと落ち着かない小指を『彼』に差し出す静香の目は涙をたたえつつも執念浅からぬ気風で『彼』を見定めている。

 それは指切り。ある種の契りの証。


324 : EL変態 2021/01/16 12:55:06 ID:q8p667cOKA

(信用されてないな……)

 内心、自嘲気味に小指を差し出す『彼』だが、唐突に、この数日間の静香とのやり取りが脳裏に蘇った。そして、この契りの意味を探る。

(俺は……ちゃんと静香の気持ちを……理解していたか……? 志保のことばかり気にして……ちゃんと周りを見ていたか……?)

 志保の事故から自分は必死になる静香に対して何をしていたか。ただ、静香の主張に蓋をして、志保から遠ざけようとしていただけではないか。

 静香を守る為、志保を守る為に、それが最善だと思い込んで。そして、結果も出せないまま、ただ静香に無意味な言い訳を繰り返していた。

(この一週間、俺はただ必死だった……。でも、それ以上に辛かったのは、静香たちのはずだ……。静香たちは、きっと一日千秋の思いで待っていてくれていたはずなのに……俺は……)


325 : そこの人 2021/01/16 12:57:22 ID:q8p667cOKA

 自身の言葉も聞かず、何を示すこともできない者に対して、どうして信用が置けようものか。だが、それでも静香は、そんな『彼』を彼女なりに信用しようとしている。それがこの指切りなのではないか。

 いや、違う。

 これは限界まで心を擦り減らした静香が『諦め』を決意させたものかもしれない。志保を助ける事を諦め、信用足らずとも任せ、身を引く為の割り切り。この契りは静香自身への折り合いではないか?

 だとすると、そこまでの行動を取らせた自分とは何か。『彼』はつい先程自嘲した自分を情けなく思えば粛々と憤る。

(信用されなくて当然だ……。俺は結局、静香を子供としか見ていなかったんだ……。心のどこかで子供が出しゃばっているんだと……そう決めつけ……荷が重すぎると言い訳して……静香の気持ちを理解しなかったんだ……)


326 : プロデューサーちゃん 2021/01/16 12:59:22 ID:q8p667cOKA

「お前の『言う通り』だ……」

 そんな思考の渦を刹那の間に『彼』はポツリと漏らせば、まだ震える少女の小指差し出す手をもう一つの手で支えた。

「すまなかった、静香」
「え……?」

 静香の目が見開かれる。それは手から伝わる温もりと、どこか鋭利で深淵な『彼』の瞳に吸い込まれそうだったから。

「俺はお前を志保から遠ざけようとするばかりで、お前の気持ちにちゃんと向き合ってなかった。本当にすまない」

 静香の頬から強ばりが消えた。すると、眉間の皺もなくなり、やたらと瞬きを繰り返している。だが、その目は『彼』の視線から逃げることはなかった。


327 : 監督 2021/01/18 21:18:13 ID:mDVlD5vl8s

「どんな事をしても、どれだけ傷ついても、お前は志保を助けたかったんだな。何よりも大事な仲間だもんな」

 静香の唇が絞られたかと思えば、ふるふると震え出した。瞼に押し込められながらも波立たなかった涙が揺れ始める。

「静香。自分を顧みない程に志保を助けたい、お前の気持ち、よく分かったよ。お前が、どれだけ、この状況に耐えていたのかもよく分かったよ。これでもかってくらいに突き刺さった」

 『彼』は胸板を叩いた。ばんと鳴る音は静香にも、はっきりと伝わった。静香は呼吸と共に荒くなった動悸に責付かれるように胸を上下させている。

「今なら、お前にちゃんと約束できる。必ず、みんなが知っている志保をここに連れてくる」

 『彼』は静香の手を支えつつ、その不釣り合いな小指を彼女のそれに絡ませるも、静香の指はまだ伸びきったままで『彼』の指に応じる気配がない。しかし、静香の瞳は揺れに揺れ、今にも涙腺が瓦解しそうに、しゃくり始めている。落涙を堪えてまでの痩せ我慢はとうに消えていた。


328 : 2021/01/18 21:20:49 ID:mDVlD5vl8s

「だから、静香。お前の想い、俺に預けてくれないか? お前自身の意思で俺に託してほしいんだ。静香の想いも一緒に持って、志保を助けたい」

 『彼』と交わる静香の小指が震えている。それが結ばるかと思った寸前で静香は指切りを力任せに、ほどいた。だが『彼』が驚くよりも早く宙を漂う『彼』の手は静香の両手が包むように、しかし、ひっしと力強く握られていた。

 見れば、静香はぎゅっと瞼を閉じて何度も頷いていた。滲み出ては流るる涙も構わず、彼女は額を二人の繋がりにあてがう。静香から滴る冷たさが二人の手に伝わってゆく。

「……おね、がい……志保を……たす、けて……」

 霞んでゆく声を紡ぎ、自身の震撼に耐える静香だったが、程なく嗚咽も構わず泣いた。『彼』は雫、流れ続ける二人の繋がりに左手を添えた。『彼』は己が右手を包む彼女の手が今程、小さく見えた事はなく、そこに込められた力も今程、痛く感じた事はなかった。


329 : 監督 2021/01/18 21:22:57 ID:mDVlD5vl8s

「プロデューサーさんっ。私もっ、私の気持ちも持って行ってっ!」

 静香の右隣から踏ん張るように声を張り上げ、触れれば崩れるような静香の手を包み込む手は春日未来。

「わ、私も……! 仕掛け人さまっ。どうか……どうか……!」

 未来の隣からは、また一つの小さな手が震えながら重なる。現実から背けようとしま瞼をこじ開け、築かれる手の塔への祈願かのように頭を垂れるはエミリー・スチュアート。

「私も……お願いしますっ。志保ちゃんを助けて下さいっ!」

 静香の左隣から慄きを押し殺すように唇を絞りつつ、威勢よく手を重ねるは矢吹可奈。

 次々と増える温もりに驚いたように顔を上げる静香が、戸惑うように皆を見渡せば、お返しとばかりに少女たちから様々な視線を受けた。

「志保ちゃんを助けたいのは、静香ちゃんだけじゃないんだよー!」

 エミリーの隣から強引に腕を伸ばし、手を重ねては、静香を睨みつけるものの、不機嫌そうなだけの伊吹翼。


330 : プロデューサーさん 2021/01/21 00:13:35 ID:UFMFitWR1M

「そうだよっ。一人で抱え込むのやめてよって言ったじゃない、静香ちゃんっ!」
「大事なことは聞かせてよーっ。静香ちゃん一人で辛い目に遭ってるのなんて見てられないよっ!」
「私も、静香さんの口からお話頂けなかったのは寂しかったです……ぐすっ……」

 未来、可奈、エミリーの訴えに、静香の涙腺はまた瓦解を起こした。叱られた幼子のように、びくりと震え、静香はまたぎゅっと瞼を閉じては、背中が丸く縮こまっていけば。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 皆に顔向け出来ずに何度も謝った。そうして、静香を支柱としていた手の塔は崩れ、集まる輪を解いた少女たちは、まだ泣きじゃくる静香を懸命に慰めた。

 可奈はまだ震える背中をさすり、翼は揉み合いで乱れた髪を梳かすように撫で、未来は悲しみで、くずおれないように肩を抱いた。エミリーはもらい泣きしつつも必死に、ハンカチで止めどない涙を拭い続けた。

(静香……みんな……すまない)

 そんな少女たちを数歩、下がった所で見る『彼』は、場が鎮まるのを見守っていた。ただ、皆の介抱にされるがままの静香を、搦め捕っていた暗然は、包み込む安閑へと変わりつつあった事に、『彼』は人知れず頬を緩めていた。


331 : der変態 2021/01/21 00:18:21 ID:UFMFitWR1M

・・・・・・・・・・・・

 静香は皆に連れられ、日没差し掛かる外で何とか気を鎮めた。まだ赤み残る目を伏せがちに、その足で皆は静香を囲いつつ帰路に着いた。

 そんな少女たちの姿を『彼』は仮眠室の窓より見つめていた。やがて、その小さな姿が見えなくなれば、志保が眠るベッドの傍らで腰掛ける風花を見やる。背筋が伸び切らない彼女は、差し込む黄昏に染まり、物言わぬ哀愁を醸し出していた。

「ごめんなさい、プロデューサーさん……。私が余計な憶測を言ったばかりに、こんな事になってしまって……」
「そんな事はないよ、風花。風花の意見で、事態は前進している。それに早かれ遅かれ、みんなにも言うべき事だったんだよ」

 『彼』の手が風花の肩に置かれれば、はい、と力なく頷く彼女の手が、その上に重なった。後ろの壁にもたれる歩も、事の顛末を聞き、浮かない顔だった。


332 : Pたん 2021/01/21 00:20:23 ID:UFMFitWR1M

 『彼』は二人の沈んだ顔を見ていると、先程の少女たちの泣き顔が鮮明に蘇ってきた。あの姿が、シアター中のアイドルたちに伝播する未来が掠め通り、一人、眉間を険しくさせた。

(もう、みんな、限界なんだ。これ以上、引き伸ばすのは更なる混乱を招くことも……。何か手はないのか……)

 『彼』は思案する。この一週間、決して無駄骨を折ってはいないはずだ。様々な所から、数々の情報は出てきた。それなのに。

(何故、こうも上手く纏められないんだ……。何か……決め手が欠けているからか……)
「アタシも静香に余計な事、言っちゃった感あるしさ……。アタシが静香をけしかけたちゃったようなもんだよ。あんな事、言うもんじゃなかったよ」

 コツコツと隣に来た歩に、風花はハッとすれば、肩に置いた『彼』との重ねた手をやや慌てて解いては、彼女に向き直る。『彼』は知ってか知らずか自由になった腕を組んでは思考に沈んだままだった。

「あ、歩ちゃんは、静香ちゃんと何を話してたの?」


333 : Pサン 2021/01/21 00:32:58 ID:UFMFitWR1M

「実はね……助けになりたいのに何をやっても助けにならなかったら、プロデューサーを頼ってもいいんじゃないかって言っててね。でも、返って、静香の怒りを買っちゃったかもしれないね……」
(……ん?)

 そうだったんだね、と消える相槌を打つ風花の後ろで、ぴくんと『彼』の眉が振れては歩に視線を向けた。

「歩。静香と何を話してたって?」

 背後にまで迫り、振り返ったすぐ前に『彼』がいて、歩が小さく驚く。わざわざ、膝まで折って合わせた目線を向ける『彼』に歩は何かしらの圧力を感じていた。

「え? い、いや、助けになりたいのに何をやっても助けにならなかったら、プロデューサーを頼ってもいいんじゃないかって……」

 ややしどろもどろに答えたはいいものの、『彼』はじっと歩を見つめ続けていた。この距離感と沈黙に歩は、ぽかんと瞬きをするばかり。


334 : プロデューサーちゃん 2021/01/21 00:35:35 ID:UFMFitWR1M

「……そうか……」

 そんな空打ちのような一言で『彼』は立ち上がれば、眠る志保の顔を見る。静香との揉め事で呼吸困難とも思われた息は今は落ち着き、規則正しい寝息をくりかえすばかりだった。

「とんだ灯台下暗しだったな……」
「プロデューサー? どうしたの?」

 風花と互いの、はてな顔を見合わせ、歩は仰け反るように『彼』を見上げた。その不自然な程に落ち着いた雰囲気に小首を傾げる。

「ありがとう、歩。お前が最後のヒントだったんだな」
「えっ。な、なになにっ? 何かアタシ、言ったっ?」
「ああ、それはな」

 飛び跳ねるように立った歩が『彼』に迫るが、もそもそとした衣擦れの音に皆がベッドに向いた。身を横に向けた志保の目が、『彼』を真っ直ぐに見ていた。

「お……お父、さん……」

 さえずるような小さな声が鳴いた。


335 : ご主人様 2021/01/21 00:40:20 ID:UFMFitWR1M

 風花と歩が椅子ごと身を退き、代わりに『彼』がしゃがみこんで志保の頭を撫でた。志保は甘えるように目を細め、擦り寄るように頭を撫でつけた。

「志保、大丈夫か?」
「うん……。志保は……大丈夫だよ……」

 大丈夫、と言うには、あまりに、か細い声だった。加えて、うっすらとした笑顔を浮かべる志保は儚く消えてしまうのでは、と錯覚させる。

 『彼』の後ろに控える風花と歩も、怪訝な色を顔に映している。心配が表面化しそうになった目元を正し、『彼』は彼女の肩を抱いて、おもむろに起こし上げた。


336 : 魔法使いさん 2021/01/21 00:45:30 ID:UFMFitWR1M

「志保、帰ろう。早く帰って休んだ方がいい」
「……志保ね、遊園地に行きたい……」

 抱き起こした腕の中で、呟くように発せられた声に『彼』は、間近に迫った志保の笑顔の隅に、じんわりと浮き出る汗を見た。それが彼女の笑顔を、ぎこちなくしている原因なのか。『彼』は平静に努める。

「突然、どうしたんだ、志保? 具合が悪いんじゃないのか?」
「ううん……。志保……お父さんとの思い出がほしいの……。一つでも……たくさん……」

 志保は尚も微笑みつつ、手をそろそろと伸ばす。崩れそうでいて小さなその手に、危機迫るようで唯ならぬその声に『彼』は応えた。『彼』の手が、志保のそれに被されば、えへへ、と弱々しいながらも嬉々として『彼』の胸元に頬を擦り寄らせる。


337 : 変態大人 2021/01/21 15:15:01 ID:M2x4Y2NKkk

「分かったよ、志保。今から……すぐに行こうっ」
「……嬉しい。えへへ……楽しみ……だな……」

 着くまで寝ていなさい、と『彼』の心配を隠せなかった声色に志保は頷けば、また瞳がゆっくりと閉じられた。『彼』のシャツを握りしめつつ。

 志保の寝息だけに落ち着いた静けさに戻ると、風花は眠る志保を見つめるだけの『彼』に言わずにいられなかった。

「プロデューサーさん、どうするんですか?」

 数秒の沈黙。何を思うか、遅れて『彼』は顔を上げた。やはり、その顔は不自然な程の落ち着きようだった。


338 : プロデューサーちゃん 2021/01/21 15:16:24 ID:M2x4Y2NKkk

「話した通りだ。俺は今から志保と遊園地に行ってくる」

 ええっ、と歩が驚くのも余所に『彼』は携帯端末を取り出しては、素早い操作の後にすぐにポケットにしまい込んだ。途端に、二つの通知音が響き、風花と歩が顔を見合わせれば、互いの携帯端末を取り出した。その通知内容を見た彼女たちは、すかさず『彼』に視線を投げつけた。

「プロデューサー、こ、これって」
「すまないな。詳しい事は『終わってから』説明するよ」

 よし、と腕を奮わす『彼』はブランケットごと志保を抱き上げ、もう星屑たちが目立ち始めようとする黒空を見据える。そうして、出入口に向かった『彼』の足が止まったかと思えば、半ば呆然とする二人に振り返った。

「そうだ。歩と風花も良ければ来てくれないか? 二人にもついてきてほしいんだ」


339 : バカP 2021/01/21 15:17:24 ID:M2x4Y2NKkk

・・・・・・・・・・・・

 その時、765プロライブシアターの最寄り駅まで辿り着く路上で少女たちは同時に鳴る通知音の響きに驚きつつも端末を取り出す。静香の涙が引っ込み、ようやく落ち着こうかという時だった。

 未来、翼、可奈、エミリーは、その内容に揃いも揃って、まだ伏し目がちで通知音など気にできない静香に端末画面を押し付けた。

「し、静香ちゃん! プロデューサーさんからメッセージ来たよ!」
「……え。……あ……あ……これって……」

 一番前に出てきた未来の端末画面を見た時、見る見るうちに静香の目は陰鬱な色を薄めて丸くなっていく。

『今夜、志保の記憶を取り戻す』

 慌てて、静香は端末を取り出せば、同様のメッセージが届いており、腕が震えた。すると、風花さん、と大きめの文字の着信画面に移行して、また慌てて、通話に切り替えた。


340 : プロデューサー君 2021/01/21 15:18:59 ID:M2x4Y2NKkk

「は、はい、もしもし、静香ですっ」
「俺だ、静香」
「え、プロデューサー?」

 どういうこと、どういうこと、とメッセージの真相を探る少女たちが『彼』の名に一斉に静香に注目していた。だが、そんな視線に気づく余裕もない程に静香は嫌に緊張感に襲われ、固唾を呑んだ。

「メッセージは見たな? 一緒に帰ってるみんなの代わりに、静香にも一緒に立ち会って貰いたいんだ。今から言う所に、来てくれないか?」
「立会い……」

 静香は言い淀む。あれ程、暴言を吐いた自分に気を遣ってくれているのだろうか。静香は思わず、首を小さく横に振る。そして、顔を上げ、一呼吸置けば。

「大丈夫です。今更、プロデューサーを疑ったりしません。志保のこと、お願いします」

 自然に出た言葉が妙に、はきはきとして息の通りがやけに清々しかった。


341 : Pーさん 2021/01/21 15:21:16 ID:M2x4Y2NKkk

「ありがとう、静香。でも、違うんだよ。静香にして欲しいことがあるから連絡したんだ」
「え……?」

 どういうこと、と静香は瞬きを繰り返した。

「俺の役目は志保の記憶を取り戻すことだけど、その後のことは静香、お前に頼みたい。記憶の戻った志保を、お前が出迎えてやってくれないか?」

 『彼』の変わらぬ口調に静香は動揺していた。何故だろう、と考えてしまうと余分な思考を回ってしまう。

「で、でも、そ、それだったら志保のお母さんを呼んだ方がいいんじゃないんですか……? それに他のみんなだって……」
「そうだな……。でも、静香に来て欲しいんだ。俺の我侭で、すまないけど聞いて貰えないか?」


342 : ぷろでゅーしゃー 2021/01/21 15:22:32 ID:M2x4Y2NKkk

「わ、私に……。で、でも……」

 静香は返答に迷っていると、何故か心音が耳にまで届くくらい高鳴っていた。あれだけ志保の為の行動を自発的に起こしていたのに、何故か、『彼』に言われると中々、うんと言えなかった。『彼』の事は信頼した、はずなのに。

「静香ちゃん、行ってきてよ!」
「え? わ、み、未来っ」

 気づくと静香の携帯端末にぴったりと耳をつける未来の姿に思わず一歩引いた。だが、聞き耳を立てていたのは未来だけではなかった。

「うんうんっ。早く行ったほうがいいよ!」
「静香さんの連絡が来るまで私、起きてますから!」

 いつの間にか忍び寄っていた可奈、エミリーは戸惑う静香の手を取りつつ、大きく頷いていた。それでも静香が目を伏せようとすると、突然、頬を刺されたような痛みに振り返る。


343 : der変態 2021/01/21 15:25:58 ID:M2x4Y2NKkk

「後で、ちゃーんと何があったか教えてよね~。もう怒ったり泣いたりするのは、なしだからね~」

 不機嫌そうな翼は静香の死角の頬をぐいぐいと強めに、つついて眉を釣り上げていた。分かってるわよ、と、やや焼糞に静香が彼女の指から逃れると嘆息しつつ、端末を持ち直し、呼吸を整えた。

「プロデューサー。私、行きますからっ。待っていて下さいっ」

 待っているぞ、との『彼』の言葉に大きく頷く静香の目は、凛とした威光を携えていた。通話を切れば、皆にできる限りの、ありがとうを残しつつ、静香は来た道に振り返り、駆け出した。待ってるからねー、と後ろから届いた未来の声に静香は振り返らず、しかし、腕を精一杯伸ばして応えた。

 不思議な程に軽やかな走りっぷりに、静香は違和感ながらも爽快感を覚えた。暗く閉ざされたような空に光明を垣間見るような奇妙な錯覚をも覚えた。何故なら、駆ける彼女の胸中には、何の不安も迷いもなかったのだから。


344 :貴殿 2021/01/21 15:28:03 ID:M2x4Y2NKkk

今回は、ここまでです。
志保の話は次回で終わります。
次回もよろしくお願いします。


345 : P君 2021/01/21 15:28:52 ID:M2x4Y2NKkk

なんて、普通に締めましたけど。

前回より、かなりの間が空いた事を改めてお詫びします。
加えて、今回1.5/2とタイトルを銘打ったこと、グダグダ投下などの中途半端さをお許し下さい。(後一個分の話で終わるかと思ったら終わりませんでした)
今回、キャラの所作や心の機微、場の雰囲気をなるべくお伝えしたく、地文で書きました。次回もこんな調子で書いてきます。
このような長文をここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。改めて、次回もよろしくお願いします。


346 : ハニー 2021/01/21 16:10:40 ID:uGrHuci8EQ

お疲れ様ー
長い方が読み応えあって個人的に楽しめるんでこれからも頑張ってください


348 : 彦デューサー 2021/01/21 16:38:25 ID:tbzkD.TAR2

お疲れ様でした
静香ルートもありそうな引きだなあ
次回も楽しみにしてます


347 : ダーリン 2021/01/21 16:24:30 ID:4f6CzcQ87s

まさか幕間で過去シリーズ数本分の長編が来るとは予想外だった


350 : ダーリン 2021/01/23 07:39:01 ID:QWdJEX39x.

いつまでも待つぞ待つぞ



引用元:【ミリマスss】北沢志保「プロデューサーさん。私も自分の家庭を作りたいです」1.5/2







コメント一覧

    1 それからの名無しP:2021-01-29 16:51:23 ID:N2QyYTYx
    志保の話はヘビーだね…


    2 それからの名無しP:2021-01-30 20:27:15 ID:YzAwYmU2
    一気に読んじゃった 続ききになる~


    3 それからの名無しP:2021-02-03 03:59:44 ID:NmZhNDgy
    めちゃくちゃ待ってたわ。
    投稿者さん生きててよかった。


※過度なキャラ・声優に関する暴言はやめて下さい。
最近コメント欄内での煽り合いが目立ちます。
煽りはスルーで仲良く語りましょう。
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